大八洲式の風呂
ACU2309 9/15 ガラティア帝国 レモラ王国 王都レモラ
「クロエ様、ガラティア側より使いが来ているようです」
「使い、ですか」
「はい。大して急いでいるようでもありませんでしたが」
クロエもシグルズと同様に暇していた。レモラでは信頼出来ると評判の宿に泊まって引きこもっていた訳だが、何か、来た。
適当に支度を済ませると、クロエは使いとやらを部屋に入れる。
「我が国のシャーハン・シャー陛下より、このような文を預かっております」
「手紙、ですか」
こんな回りくどいことをしなくていいものをと思いながら、クロエは手紙を開いた。中には緊張感が欠片もない面白いことが書いてあった。
「お風呂……ですか」
「はい。近年我が国では大八洲皇國から衛生技術を輸入しておりまして、その結果として最近新たに建設された浴場にクロエ殿を招待したいとのことです」
「分かりました。わざわざありがとうございます。まあ、行けたら行くとでもお伝えください」
「かしこまりました。それでは、失礼いたします」
使いは去った。
「それで、クロエ様、どうされるのですか?}
「そうですね……まあ、どうせ暇ですし、行ってもいいと思いますよ」
それに興味もあった。話に聞くところだと、大八洲では温泉に体を浸してくつろぐことが楽しみであるらしい。諸外国の温泉の使い方とは一線を画したものだ。
――もっとも、意図は見えますが。
一つは大八洲とガラティアの良好な関係を示し、ヴェステンラントに釘を刺すこと。それに、ガラティアの経済的な余裕を見せつけるというのもあるだろう。
政治的なものは感じるが、どの道、他にやることもない。いい暇つぶしにはなりそうだ。
「場所とか時間とかは……」
改めて書状を見てみる。
書状には浴場の場所や時間などが事細かに指定されていた。どうもわざわざ貸し切りにしてくれるらしい。これは行かないと申し訳ない気がする。
「随分といい待遇ですね」
「私たちは国賓ですので、そう驚くべきことでもないかと」
「国賓、かは微妙ですが」
公式に訪れている訳ではない。あくまで周囲には秘密の訪問だ。シグルズ――ゲルマニアにはばれてしまったが。
それに、国賓にしては扱いが雑である。旅費の負担くらいしかしてくれなかった訳だから。この宿屋もクロエが自力で探し出したものである。
「とにかく、私は行こうと思います。準備をしておいて下さい」
「承知しました、クロエ様。楽しみです」
「……?」
――マキナが感想を言うなんてこともあるのですね。
○
湯に体をつかった片方の肌は雪のように白く、華奢な体型も相まって、今にも溶けてしまいそうである。もう片方は武骨な鈍色の骨で繋ぎ留められた体を晒していたが、美しいことに変わりはなかった。
だだっ広い浴場には、クロエとマキナしかいない。孤独感がすごい。
「何というか、貸し切りというのも微妙ですね……」
「そうでしょうか?」
「この広さが無駄になっている気しかしないのですが」
「確かに、大人数を一気に収容する目的に造られているようです」
「ええ。まあ、そういうことです」
マキナはクロエの感情をあまり理解していないようであった。それはいつものことなので、クロエは気にしない。
「ところで、その鉄骨ですけど、水に晒して大丈夫なんですか?」
金属というのは水に漬けているとすぐに痛むものだ。彼女にそれが起こった場合、洒落にならないことになるだろう。
それに、体の断面になっているところを水に晒しているのも大丈夫そうには見えなかった。水が染みたら悲惨なことになりそうである。
「はい。問題ありません。この骨は錆びないようにメッキを施していますし、損傷が生じたならばすぐに修復します」
「そうですか。だったらいいのですが……」
論理と感情は別なものだ。どんなに安全だと証明されても、この姿を不安に感じない人間はいないだろう。
そういう訳で、クロエはあまりくつろげなかった。すぐ横に爆弾でも置かれているような気分である。
「ところで、クロエ様」
「はい。何ですか?」
「クロエ様の体は、やはり美しいのですね」
「なっ――」
何を言い出すかと思えば突然そんなことを言う。返事を思いつかず、クロエは固まってしまった。
「私の醜い体とは比べるまでもありませんが、クロエ様は美しい」
「ど、どうも……」
素直に喜ぶべきなのかもよく分からない。
だが、一つだけ言えることはある。
「マキナ、あなたは醜くなんてありませんよ」
「いえ、世辞はいりません」
「お世辞なんかではありません。第一、私たちが会えたのはその体が理由でしょう?」
「それは――はい。もっとも、私には体重のうちで最も重い部分を司る魔女に仕えるべきという考えは未だに理解出来ませんが」
候補は生命を司る青の魔女か金属を司る白の魔女であったが、金属部分の重量の方が重いということになり、マキナはクロエに仕えている。もっとも、そのせいで体重が異様に重くなっていたりするのだが。
「まあ、それはどうでもいいでしょう」
「その通りですね」
向かい合ってクロエは微笑む。
その裁定が行われた理由などどうでもいいのだ。マキナとクロエが出会えたという事実。それこそが重要なのである。
と、その時、2人の顔に同時に緊張が走った。
「足音……」
「はい。そのようです」
時間が来たことを知らせる係の者かもしれない。だが、その足音がやけに硬質なのを聞き、クロエは嫌な予感がした。
「クロエ様の身はこの私がお守りします」
「ええ。頼みましたよ」
クロエはエスペラニウムを携帯していなかった。考えが足りなかったと今更ながらに後悔する。
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