アリスカンダルの外交姿勢

 ジハードがシャーハン・シャーの到来を告げると、途端に店があわただしくなる。次々と給仕の者がやって来て、シグルズらを最上階の小部屋に案内した。


「ヴェロニカと言ったか? お前はこっちに来い」


 ジハードがヴェロニカを引き留めた。この会談の邪魔にならないようにという、ジハードの計らいだろう。正直、シグルズにとってもその方が助かった。


 ヴェロニカは縋るような眼でシグルズを見たが、彼はジハードの方についていくよう促した。


「わ、分かりました……」

「旨いものでも奢ってやるから」

「ほ、本当ですか!?」

「ああ」

「は、はは……」


 ヴェロニカの扱いが上手いことだ。ヴェロニカはジハードと共に別の部屋に行った。ここからは、シグルズ、クロエ、アリスカンダルのみが相まみえることとなる。


 3名は案内されるままに丸いテーブルについた。


「さて、まずは我が国のことについて話そう。この店は、我が国の縮図だ。我が国では魔法にも科学にもこだわりはない。それ故、どちらを使うことにもさして抵抗を抱かない」

「しかし、レモラ一揆が起こったじゃないですか」


 シグルズは反駁せざるを得なかった。あの一揆は科学や産業革命への反発が明確な形を持って現れたものである。それについてはどう語るつもりだろうか。


「確かに、起こった。あれが反機械化運動の極致にあったこともまた、知っている」

「でしたら――」

「だが、それはもう過去の話。あの一揆が起こったことにより、地下組織の成員はほぼ判明し、彼らはほぼ壊滅した」

「ほぼ、ですか?」


 クロエは不思議そうな顔をして尋ねた。恐らくは作った表情だろうが。


「恥ずかしながら、そう、ほぼだ。完全な壊滅には至っていないというのが現状だ。そもそも、一揆の首魁であったアルタシャタ将軍には逃げられてしまっている」

「なるほど。よく分かりました」

「ああ……」


 シグルズは気まずかった。何せ、アルタシャタ将軍を逃がしたのはシグルズだ。彼が本気でアルタシャタ将軍を捕えようとしていたら、今頃アリスカンダルの心配事は一つ減っていたことだろう。


 悪いことをしてしまったと謝りたかったが、流石にこの件について言い出すことは出来なかった。


「まあいい。重要なのはそこではない。まず、私は何も君たちに不愉快な思いをさせる為にここに呼んだのではない。寧ろ、ヴェステンラントとゲルマニア、両国と同時に友好的な関係を築きたいと思い、ここに連れてきたのだ」

「友好的な関係……」

「それは少々、無理があるのではないでしょうか」


 とても戦争中の当事国同士に向けて言う言葉ではない。


 だが、この疲れ果てた男が冗談を言うとも思えない。少なくとも落ち着いてはいるから、乱心ということでもないだろう。


「私がせっかく両国にとって利益となることを言っているのだ。否定していいのか?」

「…………」


 これは、シグルズの目的がガラティアとの不可侵条約であることを読んでの発言だろうか。或いは偶然にもそれっぽくなっただけか。


 いずれにせよ、ガラティアが友軍として参加してくれるとまで思ってはいないゲルマニアとしては、この提案は素直に受け入れるべきである。


「ゲルマニアと貴国が仲睦まじくなることで、ヴェステンラントにどんな利益があると?」


 しかしクロエは食い下がる。或いはガラティアにより積極的な行動を求めたいのかもしれない。


「この提案を呑まない場合、我が国はヴェステンラントと友好的な関係を築くことが不可能と判断し、ただちにゲルマニアの側に立って参戦しよう」

「……ヴェステンラントが貴国にどれだけのエスペラニウムを輸出しているとお思いですか?」


 ガラティアのエスペラニウム産出量は、その人口規模に対して十分とは言えない。反対に、ヴェステンラントはエスペラニウムを持て余している。


 ガラティアの軍事力は、ある程度はこの貿易で支えられているのだ。


「当然、ヴェステンラントと開戦すればエスペラニウムを輸出してはもらえなくなるな」

「ええ。ですので――」

「で、あれば、ゲルマニアから機関銃と小銃を輸入するまでだ。兵士と金なら余っている」

「……」


 取り付く島もないとはこのこと。語調は弱弱しいが、その言葉はまるで剣のように相手を斬り伏せる。


 だがそれも当然のことだ。ガラティア帝国の経済力は、アリスカンダルが即位してからの15年ほどで6倍に拡大したとされる。これは主に帝国の大規模な拡大によるものだ。


 それを成し遂げた男が暗君である筈がない。少なくともその明晰な頭脳は健在であった。


「まあ、こうして策を弄してみたが、結局のところ、私が言いたいことは一つだ。私はもう、戦争など御免なのだ。静かに過ごしていたいだけなのだ。だから、クロエ殿とシグルズ、我が国が貴国を攻撃することは断じてない」

「それは……」


 それはシグルズが持ち帰るように言われた言質。こうもあっさりと、それも向こうからもたらされた。


「本当ですか?」

「ああ。何なら、国書でも用意させようか」

「それは是非、お願いします。ゲルマニアの分は別に作らなくてもよろしいかと思いますが」

「い、いや、お願いします、陛下」

「――分かった。すぐに手配させよう」


 アリスカンダルは僅かに笑みをこぼした。


 結局、アリスカンダルは全てをあらかじめ予想していて、それへの答えもとうに用意していた。交渉の余地など、初めからなかったのである。全ては彼の掌の上に出来事であった。


 因みにヴェロニカは幸せそうに戻って来た。ジハードには感謝せねば。


 ――しかし、暇だな。


 シグルズの滞在予定期間は3日であった。だが、初日のうちに用事は完了してしまった。彼は今、暇なのである。

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