シャーハン・シャー・アリスカンダル
男の目は左が褐色であり右が青であった。男は背が高く、健康的な体つきで、顔は美しかったが、生気というものがまるで感じられなかった。
「一眼は夜の闇を、一眼は空の青を抱く……」
「巷ではそんな風に言われているが――知っているのか」
「はい。アリスカンダル陛下、ですよね?」
その特徴的な瞳に加え、その他の特徴も事前に聞いていたものと完全に一致している。シャーハン・シャーがわざわざ影武者を用意していなければ、彼がこの国の最高指導者だ。
「いかにも。我が名はアリスカンダル・イブン・ラーディン・イブン・メフメト。この国のシャーハン・シャー――君たちの言い方では皇帝だ」
「僕は神聖ゲルマニア帝国の外交特使、シグルズ・フォン・ハーケンブルクです。よろしくお願いします」
「そちらはヴェステンラント合州国のクロエ殿、であっていたかな?」
アリスカンダルはシグルズの奥で居心地が悪そうにしているクロエに話しかける。
「はい。お久しぶりですね、陛下」
「随分と成長したな」
「それはどうも」
「知り合い、なのですか?」
「まあ、な……」
アリスカンダルは軽くため息を吐いた。それはこれ以上の回答を拒絶するようであって、シグルズはこれ以上踏み込めなかった。聞いていた通り、彼には覇気というものがまるでないのだ。
「それと、ジハード、自己紹介くらいしてくれ」
シャーハン・シャーは近くで黙り込んでいる、白布で顔を覆った少女に話しかけた。不審者ではなくれっきとしたシャーハン・シャーの部下らしい。
「私はジハード・ビント・アーイシャ・アル=パルミリー。この国の不死隊を率いる者だ。その、よろしく」
不死隊というのはガラティアにおける親衛隊のようなもので、その指導者となれば、つまるところこの国で最強に近い魔女ということだ。
「よ、よろしく」
「こちらこそ、よろしくお願いします」
背丈が低いのもあって、シグルズは微妙に距離感を掴みかねた。というか、考えてみてもどちらが格上なのかよく分からなかった。
クロエは誰に対しても丁寧に話すから、特に悩むことはなかった。
――ん?
考えてみるとこの状況、かなり意味不明だ。どうして戦争真っ最中の国の特使が並んで皇帝に挨拶しているのか。どうしてアリスカンダルはそれを当然のように受け入れているのか。
答えは、簡単なことであった。
「どうしてこんなことになっているんだ、という顔をしているな」
「ええ、まあ……」
「その答えは、私が君たちを同じ時間の同じ場所に呼んだからだ」
「なっ――」
「私たちの考えはお見通しということですか」
クロエは呆れたように、かつ感心したように。
「その通り。流石は大公殿下、賢いな」
「……どういうこと?」
「君たちはどうせ、いざとなったら武力で恫喝してこいとでも言われている、或いはそう考えているのだろう? であれば、均衡状態を作ればいい」
「なるほど。確かに、賢い」
確かにシグルズはそういう命令を受けている。だがクロエがここにいてはそれも不可能だ。そこまで読んでいるとは恐れ入る。
「しかし、陛下は護衛を一人しかつけずにこんなところまで来られたのですか? 私にはあまり賢い選択とは思えませんが……」
「ああ。こんなやつれた男を見て、まさかシャーハン・シャーだとは思うまい」
「そうですか……」
アリスカンダルの自虐的な笑みに、クロエも気分が沈んでしまう。大公としてではなく、一人の人間としてだ。もっとも、大公としては仮想敵国にやる気がない方が望ましい訳ではあるが。
「さて、こんなところで立ち話もなんだ。場所は無論、こちらで用意してある。ついてきてくれ」
シャーハン・シャー自らが案内するという異例の事態である訳だが、彼の言うように、シグルズ一行が注目されることはなかった。精々、珍しい容姿をしているクロエが若干目を惹いている程度。
因みにマキナはまた透明に戻って、どこかの屋上からクロエを見守っているらしい。ヴェロニカは一応ついてきているが、役には立たなさそうだ。
「ここだ、くつろいでくれたまえ」
招かれたのは高級そうな料理店。下関条約もどこかの料亭で結ばれたらしいから、そういうのは普通なのだろうか。
よく見ると、その天井からは煙突が伸び、白煙が上がっていた。
「これは……」
それを見て、クロエは露骨に不快そうな顔をした。本心からもそう思っていたし、不快感を明確に示しておくというのは外交でも大事なことだ。
「これはすまないな。最初に不快にさせてしまって」
「最初……?」
「中に入れば分かる。暫くは何も言わないでくれると助かる」
「はあ」
クロエは取り敢えず黙り込むことにした。そういうのなら、後から文句を言ってやろうと。
そして店内に入ると、シグルズもクロエもアリスカンダルの真意をすぐに理解することなった。
「魔法で料理をしている……?」
「その通りだ。君たちゲルマニアでは不可能な芸当だろう。もっとも、ここで使っているのはヴェステンラントから輸入したエスペラニウムだが」
「しかし、蒸気機関も作動しているように見えますが」
「ああ。まあ大したことはしていないのだが、皿洗いなどにゲルマニアから輸入した蒸気機関を使っている」
つまりここはヴェステンラントからの大使もゲルマニアからの大使も一様に不快にさせてくれる素敵な場所ということだ。
その鉄面皮ぶりに、シグルズとクロエは思わず顔を見合わせてしまった。
「別に、不快な思いをさせたくてここを選んだ訳ではないのだ。ただ、我が国というものを見てもらいたくてな」
「ガラティアは魔法と機械の共存する国だと?」
「そんな高尚なものではない。ただ、どちらにも付けないだけだ」
「……なるほど」
それなりのエスペラニウムの産出量を誇りながら、同時にゲルマニアとの交流と経済力がある。そうして生まれたのが、この一見奇妙な厨房なのだろう。
「それと、特にシグルズ、我が国をガラティア帝国と呼ぶのは控えてもらいたい」
「え?」
――じゃあ逆に何て呼ぶの?
「ガラティアというのは、我が国の一部の名称に過ぎない。確かにガラティア君侯国は我が国の中心であるが、全体の名称ではない」
「では、何と呼べば?」
「単に帝国、或いはメフメト帝国とでも呼んでくれ」
「メフメト帝国……」
オスマン帝国と似たような感覚だ。そちらも君主の家名が国名のように扱われていた。
だが、目の前にメフメトさんがいるとどうも呼びにくい。
「じゃあ、帝国と呼ばせてもらいます」
「ああ。それでいい」
アリスカンダルの顔が少しだけ明るくなった。
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