塹壕戦

 ACU2309 9/2 神聖ゲルマニア帝国 アルル王国 第二防衛線


 雨が降っていて視界が悪い。敵の位置を示すのは発砲の際の閃光のみ。


 ヴェステンラント軍の稲妻型に掘られた塹壕とゲルマニア軍の凸凹の塹壕。その間には矢と弾丸が飛び交っている。


「まもなく前衛の矢が切れます!」

「了解! 後衛と交代せよ! 死体も運び出せ!」


 スカーレット隊長は命じた。


 塹壕の中では兵士が代わり代わりに並び、ゲルマニア軍の陣地へ間断ない射撃を続けている。それはゲルマニア兵も同じことで、銃声が途絶えることはない。このまま前線を進めなければ、恐らく永遠にこの闘争は続くだろう。


「手榴弾!」

「退避!」


 ヴェステンラント軍の塹壕の特徴は、爆発物に対応する為の退避壕を設けていることである。この近距離では手榴弾が主であるが、そのような兵器が飛んできた時は周辺の兵士が一斉にそこに隠れるのである。


 爆音がして、土が舞い上がる。だが兵士は無傷だ。作業が中断された以外に問題はない。もっとも、それがゲルマニア軍の目的である訳だが。


「掘削作業、排水作業を進めろ!」

「はっ!」


 塹壕堀の主たる作業である掘削は容易に行える。複数の土の魔女を前線に配置し、大地を削らせて後方に運搬すればよい。


 だが問題はその後である。ただ地面を掘るだけでは塹壕とはならず、最低でも木材で側面を補強しなければならない。


 掘削は単なる土の移動の魔法である為問題ないが、そのようなものはきっちりと用意して運んでこないといけない。一日で崩壊する魔法ではその役目は務まらない。


 また、塹壕の中に溜まっていく雨水については水の魔女がひたすら外に捨てることで対応していた。


「今は攻撃が幾分おとなしい! 急げ!」

「「はっ」」


 魔女が魔法の杖をかざすと、まず土が持ち上がって自然と溝が出来る。その土は魔法で後方に運搬。そしてその溝に工兵が素早く木の板を運び込み、急ごしらえではあるが固定していく。


 だが、スカーレット隊長の指示通りにことが進んでくれることは殆どなかった。


「砲撃!」

「クソッ! 退避!」


 遠くからの砲声についてはこれまた土の魔女が常に――物理的に見てはいないが――監視している。土の魔女がどうして音波探知機のようなことをしているかについては、ここでは詳細は省く。


「板が木端微塵です!」

「塹壕も崩れました!」

「3人くらい死にました!」

「またかっ――もう一度だ! いや何度でもやるぞ!」


 ゲルマニア軍の攻撃も巧みだ。こちらが作業に入ると途端に爆発物が飛んでくる。そうして作業は振り出しに戻り、時間だけが空費されていく。


 だが、後ろを振り返って見れば斜めに掘られた塹壕が見渡す限り広がっている。ヴェステンラント軍は1週間ほどをかけて着実に前進していたのだ。


 ○


「撃ちまくれ! 敵に時間を与えるな!」


 オステルマン師団長は叫ぶ。第18師団は師団を3つに分け、それらが交代で射撃を続けるようにしていた。瞬間的な火力よりも継続的に銃を撃ち続ける方が意味があるからである。


「クソッ、足が冷たいな……」

「え、ええ。これは予想外でしたね……」


 ヴェッセル幕僚長は震える声で。


 ゲルマニア軍の塹壕は長雨で泥水に浸かっていた。そこに突っ込んだ足は冷え切っており、少なからず士気に影響を及ぼしている。


「ここまで長時間に渡って塹壕を使い続けることは、想定されていませんでしたからね……」

「だな。これでは排水溝で戦っているようなものだ」


 無論、作業中に雨が降ることは多々あった。その際は毎回作業員を動員して人力で排水をしていたのだが、ヴェステンラント軍の矢が四六時中飛んでくるこの戦場でそんな呑気なことはしていられない。


 結果、塹壕の中には水が溜まっていく一方である。ゲルマニア軍もやはり、根本的には塹壕戦のことを決戦の延長だと考えていたのだ。決戦が終わった後に水を抜けばいいのだと。


「そういえば、閣下は火の魔女なのですよね?」


 ふと思い出したヴェッセル幕僚長は期待を込めた声で尋ねた。


「ああ。ハインリヒは魔法で足元を温めろっていうのか?」

「流石は閣下、図星です。そうして頂けないでしょうか?」

「却下だ」


 ジークリンデは1秒と待たず切り捨てた。彼女とて、例え別人格のものであろうとも自分の魔法くらい把握している。


「そ、それは何故でしょうか?」

「確かに、私が魔法を使えば、この師団では、問題を解決出来るだろう」

「はっ――なるほど。私の考えが浅はかでした」


 つまりジークリンデはこう言いたいのである。自分の師団だけが楽をするのは許されないと。


 いくらゲルマニアで最強の魔女とは言っても、ここにいる20万の兵士の足元を同時に温めることは出来ない。第18師団だけ(比較的)快適な環境で戦争をしていれば、他の師団との諍いを生んでしまうだろう。


「まあ、しかし、この問題の解決方法は模索するべきだろうな」

「はい。その通りです」


 これはいずれ解決せねばならない課題だ。だが、今は目の前のことに集中すべきだろう。


「ヴェステンラント軍が掘削に入りました!」

「迫撃砲、撃て!」


 迫撃砲。


 歩兵でも扱えるような小型の大砲であり、比較的近距離の敵を攻撃する際に用いる。また、対空機関砲並みの俯角で打ち上げて上から敵を襲わせるという特徴もある。


 これの製作自体は大砲の縮小版である為、簡単であった。しかしこの発想を持った人間はシグルズ以前にはいなかった。


「命中! 今回も成功です!」

「よくやった! 引き続き、撃ち続けろ!」


 作業中だったヴェステンラントの塹壕は崩れ、またやり直しとなる。こんな嫌がらせのようなことをゲルマニア軍は延々と繰り返していた。


 両軍一歩も引かない熾烈な戦闘。だが、一日に100パッススもないが、ヴェステンラント軍は確実に接近して来ている。


 雨はまだまだ止む気配すらない。

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