膠着

 ACU2309 8/9 帝都ブルグンテン 総統官邸


「本日を以て、予定されていた全塹壕線の構築が完了しました」


 事務的な報告に、総統官邸の会議室は静かな歓声に包まれた。


「ギリギリのところで間に合いましたな」


 カイテル参謀総長は言う。既にルシタニア領内の最後の要塞が陥落し、後5日でも遅れていたらヴェステンラント軍の攻勢が先に来ていただろう。


「ああ。この一大事業を成し遂げた全ての将兵、そして全ての臣民に、感謝を伝えたいところだ」

「その通りですな。まさか国境線全てに渡る建造物を一月で作り上げられるとは、総統閣下の独裁制のお陰です」

「私はこの国を思ってよりよい政治を追求しただけだ。それ以上でも以下でもない」

「そんな、ご謙遜を」


 こんな他愛もない雑談がそこかしこで行われるくらいには、総統官邸は盛り上がっていた。


 ○


 ACU2309 8/ 14 ルシタニア王国 デュロコルトルム


 ヴェステンラント軍は順調に前線を前進させ、ついにゲルマニアの本土に侵入しようとしていた。国境にほど近い都市ドゥロコルトルムに、白の魔女クロエの本陣はあった。


「殿下、どうやら敵は国境線に塹壕を掘っている模様です」

「塹壕、ですか」


 それについては苦々しい記憶ばかりが残っている。


「それで、国境と言ってもどの辺りに掘ってあるのですか?」

「そ、それが……」


 伝令は口ごもる。


「どうしました?」

「その、国境線の全てであるとか。ゲルマニアとルシタニアの国境線の端から端までに塹壕が掘られているとのことです」

「……その報告に間違いはないですか?」


 にわかには信じられない。要塞の周囲を塹壕で埋め尽くすくらいならまだしも、長大な国境線と同じだけの長さの塹壕を掘るなど、果たして可能なのだろうか。


「はい。私も思わず耳を疑い、前線のブリューヘント伯にまで確認を入れました。それで、確かな情報であると」

「そうですか……報告は以上ですか?」

「はい」

「では下がっていいですよ」

「はっ」


 それでもクロエは疑ってかかり、偵察隊に別個に問い合わせたが、返ってくる反応はすべて同じ。国境線はどこを取っても塹壕で塞がれておりますと。


 ○


「クロエ様、今回の大攻勢は延期を提案します」


 マキナは静かに言う。


「どうやら大八洲と開戦しそうらしいですし――ええ、そうしましょうか」


 最悪の想定だが、西と東の戦線で同時に大敗した場合、ヴェステンラントはどうしようもなくなってしまう。その危険だけは避けねばならない。


「スカーレット、あなたはどう思いますか?」

「私も、今回ばかりはマキナに同意します。無論、時が来れば一番槍は私にお任せください」

「あなたが消極的だとは、珍しいですね」

「私も少し考えを改めました。ゲルマニアは決して侮ってかかるべき相手ではありません。我が武勇の全てを以て戦うべき相手かと」


 スカーレット隊長はルテティアの戦いで痛い目を見ていた。ゲルマニアを叩き潰すなど赤子の手をひねるようなもの――とは、最早思ってはいない。


 珍しくマキナとスカーレット隊長の意見が合うと、穏健派も急進派も一気に従うものである。攻勢の延期はあっけないくらい簡単に決まった。


 因みに、エウロパ遠征軍の総司令官は赤公オーギュスタンだが、前線の指揮はクロエに一任されている。


「では、暫くは大八洲の方を見守るとしましょう。以上、解散」


 ○


 ACU2309 8/15 ルシタニア王国 トロサ


 赤の魔女ノエル率いる軍団が駐屯しているのがルシタニア王国中部のトロサである。ノエルは今イベレス山脈(ピレネー山脈)の攻略を進めているのだが、一向に状況は進展しないでいた。


 それどころか、状況は日々悪化し続けている。


「今週も輸送部隊が16件、襲撃を受けました。このままでは兵糧が不足してしまいます……」


 と重々しく告げる眼鏡をかけた小柄な少女はゲルタ・ロイエンタール・フリック。戦場では防御が苦手な赤の魔女の盾となり、軍議では彼女の頭脳となる。


「チッ。こうなったらルシタニア人から食いもんを略奪でもしてやろうかねー」

「そ、それはあまりお勧め出来ませんよ」

「分かってるさ。だけど、このクソッたれな状況、どうすりゃいいんだ?」

「私にも分かりません。やはり、敵地で戦っているということ自体が間違いだとしか……」


 この1か月、色々と考えた。だが、どう考えても結局は兵士の不足に行き着く。だがこれ以上の兵士を運用出来るだけの物資を運んでくるのは、ヴェステンラントの国力では不可能である。


「それに、これから大きい戦争が始まるらしいしな。ますます状況が悪くなる一方じゃないか」


 これからは西にも大量の物資を送らなければならなくなる。更なる増援はもとより、もしかすれば補給が今より酷くなるかもしれない。


「まったくです。まあ、大八洲がしかけてくることについてはずっと前から分かっていたことですが」

「そうなのか?」

「え、ええ。はい。逆に殿下は知らなかったのですか?」

「――そうだけど」

「そうですか……」


 まさかそれを知らないとは思わなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る