総力戦

 ACU2309 7/6 神聖ゲルマニア帝国 グンテルブルク王国 帝都ブルグンテン 総統官邸


「シグルズ、まずは君の功績を称えよう。残念ながら、もう君に見合う勲章がないのだが」


 ヒンケル総統は言った。既にシグルズは帝国で最高の勲章――柏葉付騎士鉄十字章をもらってしまっている。勲章をこれ以上与えられないというのは事実だ。


「いえいえ。勲章など大して欲しくはありません。僕はゲルマニアの勝利に貢献出来ればそれで十分です」

「そう言ってもらえると助かる。それで、今後はこの塹壕を国境線の全てに広げればいいんだな?」

「はい。そうすれば、帝国に鋼鉄の盾を装備させるようなものです」


 塹壕は戦線全てを埋め尽くさなければ意味がない。背後や側面からの攻撃に対しては、塹壕は全くの無力であると言っていいからだ。


「その考えは理解出来る。それが実に素晴らしいことだとも分かるのだが……」


 そこで総統は苦しげな顔をした。何か問題が発生したのだろうか。


「どう、されました?」

「ああ。実はな、色々と試算してみたのだが、どうも労働力が足りなさそうだということになってしまったのだ」

「なるほど……」


 確かに、未だ封建制の残滓が残るような国で、総力戦体制にも等しいものを構築せよというのには無理がある。だが、これ以外に勝機はないと、シグルズは確信している。


「西部方面軍を総動員しても、足りないのですか?」


 西部方面軍は何だかんだで増員され、今では40万人にまで回復している。


「ああ。足りんな」


 即答したのは西部方面軍総司令官のザイス=インクヴァルト司令官。


「そう、ですか……」


 シグルズには建築のことはよく分からない。しかし、有能なゲルマニア軍の指導部が派手な読み間違いをするとも思えない。だからこの点については素直に信じるべきだろう。


「だったら――」


 だがシグルズには出来ることがある。


「具体的にはどのくらい人が足りないのですか?」


 人手を確保する手段。国家総動員のやり方についてなら、シグルズにもいくらかの知識はある。無論、前世で得た知恵だ。


「およそ60万だ。仮にゲルマニア軍の全兵力を結集してもまだ足りない。ヴェステンラント軍の侵攻には間に合わないだろう」


 総勢110万という計算。大雑把過ぎる気もするが、それはまあよしとしよう。


「では、公共事業を起こすのはどうでしょうか?」

「公共事業?」


 始めてザイス=インクヴァルト司令官が頭の上に疑問符を浮かべた。『公共』、『事業』という単語は存在するが、『公共事業』という単語はこの世界にはまだないらしい。


「つまりは、国境付近の国民を大勢雇い入れ、塹壕堀の仕事をさせればいいのです」


 ナチスドイツのアウトバーン計画。大量の雇用を確保したその計画を、この世界にも適用しようという訳だ。もっとも、主たる目的がアウトバーンとはずれているが。


「それはつまり、大量の臣民を公務員にするということか?」


 ヒンケル総統は尋ねた。


「公務員、というのとは違います。あくまで一時的に雇うだけです。仕事が終わればまた普通の市民に戻ってもらいます」

「……何となく見えてきた。一時的に徴兵をするということだと考えていいか?」

「戦ってはもらいませんが――それに強制もしないつもりですが、それに近いものかと」


 あくまで仕事を与えるだけだ。中世の賦役のような強制労働ではないし、それよりも生産性はよくなるだろう。


「それでも、残り60万が確保出来るものか……」

「それは、僕には分かりかねます」


 新規の大量動員で一番手っ取り早いのは公共事業だ。だが、それでも60万人を一気に確保出来るかというと、正直怪しい。


 更なる動員の手段。人を何としてでも西部国境に集める方法。シグルズは考える。


「それでは、東部占領地の統治の負担を減らしましょう。そうすれば東部方面軍からも人を送れる筈です」

「それはそうだがな、シグルズ君。我々は既にギリギリの状態なのだぞ?」


 むさいおじさんのローゼンベルク司令官は言う。広大なダキア大公国の全土を監視するのはそれだけで多大な負担なのだ。


「でしたら、より苛烈な統治を行いましょう。ゲルマニアに弓を引こうとする者はことごとく処刑する勢いで」


 シグルズは言い放つ。


 ナチス親衛隊。世界各国の秘密警察の元祖。その偉大な事績をこの世界にも持ち込もうという訳である。


「なっ、何を言うのだ。そういうのは軍の仕事では――」

「それでは、我々がやりましょうか?」


 そう言って不気味な微笑みを浮かべるのは、当の親衛隊全国指導者のユリウス・マルクス・カルテンブルンナーである。貴族でないのにいつも貴族っぽい派手な格好をしている男だ。


 ゲルマニアの親衛隊は、ナチスドイツよろしく、社会革命党の私軍である。軍部とは別に存在する軍事力だ。


「親衛隊が出る幕ではないと思うが」

「ほう? それでは閣下は、このままで円滑な統治を行えるのですか?」

「今のままでも十分だ」

「20万人も動員しておいて、十分だとは思えませんねえ」


 いつも自分が一番有能だと信じて疑わないだけに、カルテンブルンナーは他の将校から大いに避けられている。まあ実際に非常に有能な人材であるのは確かなのだが。


「では君ならばどうなのだ?」

「私ならば――3万もいれば十分です」

「本気で言っているのか?」

「勿論ですとも」

「……」


 ローゼンベルク司令官もカルテンブルンナーも、お互い譲ろうとはしなかった。沈黙の中で火花が散る。


「ローゼンベルク司令官、親衛隊は確かに信用の置ける組織だ。彼の言うことも恐らく真実だろう」


 カルテンブルンナーの側に回ったのは、意外にも軍部の最高指導者――カイテル参謀総長であった。


 親衛隊には確かに実績がある。


 共産主義者や民主主義者の摘発、そして撲滅。党の支配に従わない貴族や一部民衆の粛清。四民平等と総統独裁のゲルマニアの指導体制は彼らに支えられていると言っていい。


 その体制のお陰でゲルマニアが未だに存続していることを考えると、ローゼンベルク司令官も大きくは出られなかった。


「――閣下がそう仰るのなら、承知しました。東部の占領行政には親衛隊にも協力して頂きます」

「ありがとうございます、閣下。お手間はかけさせませんよ」

「勝手にしてくれ」


 ――なんか勝手に上手くいったなあ。


 シグルズも親衛隊の投入を提案しようとしていたのだが、親衛隊から勝手に来てくれた。何だか拍子抜けである。


 ともかく、これで追加の15万人を確保。塹壕の設置は何とか間に合うこととなった。

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