第六章 真珠湾攻撃

晴虎と朔

 ACU2309 6/28 大八洲皇國 中國なかつくに 平明京 金陵城きんりょうじょう


 大八洲皇國おおやしますめらみくに


 その広大な領土は、地球で言うところの日本、中国、モンゴル、台湾、フィリピン、ブータン、ネパール、バングラデシュ、インドの北部に及ぶ。


 この国の元首は唯一絶対の現人神――治天下皇御孫命である訳だが、政治の実権を握っているのは征夷大將軍、上杉四郞晴虎である。


 ○


 晴虎の居城たる金陵城は、地球で言うところの南京の辺りにある平明京の端にある。この城は江戸幕府の江戸城のような首都の中心にはなっていない。城の周囲は比較的閑静なものである。


 城内、蝋燭が照らす暗い部屋で、男女が語らっていた。


「酒をこれへ」


 若く美しい指導者晴虎は、目の前の少女に盃を差し出す。


「はい。ただいま」


 優美な動きで酒をつぐ黒衣の少女は、晴虎第一の家臣、月津巫女つくつみこの長尾左大將さくである。


 月津巫女とは、ヴェステンラントで言うところのレギオー級の魔女に相当する、大八洲最強の武士としての名である。彼女の他にもう一人、対となる者として、天津巫女あまつみこが存在する。


 月津巫女と天津巫女を合わせて高天巫女たかあまのみこ。いずれも上杉家に仕える武家である長尾家の人間である。彼女らがどうして他と隔絶した力を持つのかは、未だに判然としていない。


「酒は程々にして頂きませぬと、お体に障りますよ」

「何、乱れはせぬよ」


 酒豪の晴虎とこうして酒を酌み交わすのが、朔の日課であった。もっとも、彼女はすぐに酔ってしまうから、あまり沢山は飲めないのだが。


「存じておりますとも。しかしながら、西方の医者の言うところには、酒を飲む者の寿命は飲まざる者と比べ、明らかに短くなると聞きます。晴虎様には今後とも末永く、大八洲を率いて頂かねばなりませぬ故」

「我も聞いたことはある。だが我は、酒を飲まぬ百年の生よりも、酒と共にある五十年の生を好む。第一、我が一生征夷大將軍である訳でもあるまい」


 征夷大將軍は、ある程度の歳になったら隠居し、子に早いうちから職権を譲るというのが慣例になっている。万が一にも権力争いで国が割れるのを防ぐ為だ。


「そう、でございますが……」


 朔はかける言葉を持たなかった。そういう問題ではないのだ、とは、とても切り出せなかった。


「して、先の戦、偶然ではないようであるな?」


 晴虎の眼光が鋭くなる。戦場を見つめる目だ。


 先の戦とは、シグルズが大勝したロウソデュノンの戦いのことである。その情報は一日のうちに全世界に広まっていた。


「そのようでございます。音に聞くところでは、ゲルマニア国は新たな戦術を用い、見事にヴェステンラントの軍勢を退けたとか」

「朔、お前はどう見る? この戦、ゲルマニアに勝機はあると見えるか?」

「わたくしの目には、かの国の勝利は見えませぬが、少なくとも今しばらく耐え抜くことことは能うものかと映ります」

「で、あるか。我の目には、ゲルマニアの勝利が見える。なれば、見当違いをしていることはあるまい」

「晴虎様が左様に仰られるのならば、それが真にございます」


 実際に戦った兵士や両国への諜報活動から得られた情報を総合して、この勝利は偶然の産物ではなく、再現性の極めて高い新たな戦術の登場であると、両名は判断した。


 即ち、ゲルマニアが数ヶ月ともたずに崩壊しヴェステンラントの軍門に降るであろうという予想は、完全に否定された。


 今後ともヴェステンラントはエウロパでの戦争を続ける蓋然性が高い。なれば、大八洲が動くべきは今である。


「なれば、これより戦の支度を始める。当家の戦支度は万全であろうな?」

「もちろんにございます」

「うむ。よいな」


 彼女の通称である左大將は、朝廷における位ではなく、上杉家が制定した左侍大將の略である。その職務は上杉家の軍団全てを束ねることだ。


 そして上杉家を含めた大八洲の全ての大名の総大将こそが、征夷大將軍たる晴虎なのである。


「この儀、諸大名にすぐに伝えるとして、まずは武田殿からであるな」

「――はい。左様でございましょう」


 武田という名を聞いて、朔は僅かに顔をしかめた。


「朔はまだ武田殿を嫌っておるのか?」

「べ、別に、嫌っているなどということはございませぬが、ただ無礼者とは思っております。晴虎様から偏諱へんきを賜ったにも関わらず、それを後ろに付ける大名など、聞いたこともございませぬ」


 偏諱を賜るとは、上位の将軍や大名が地位が下の者に自分の名前の漢字を与えることである。地球での具体例としては、豊臣秀吉の『秀』の字が、小早川秀秋や徳川秀忠などに与えられている。


 この例からも分かるように、貴人からもらった漢字は常識的に名前の一文字目に置くべきものである。


 しかしながら武田殿――武田樂浪守らくろうのかみ信晴は、晴虎から拝領した晴の字をあろうことか後ろに置いたのである。


 朔はこの点について、一度たりとも容認したことはなかった。


「名など、漢字など、所詮は現世うつしよの些事に過ぎぬ」

「そう、なのでございましょうか……」

「いずれにせよ、武田殿と直接会うこともないのだ。気にすることはない」

「左様、ですね。今川殿には何とお礼を申せばいいのやら」


 今川辨辰守べんしんのかみ昭元。領地は潮仙ちょうせん半嶋の南西部の狭いものであるが、同半島の大半を収める武田家と上杉家の仲介役として、両家から信頼されている大名だ。


 両家がやり取りをする時は、基本的に今川家を通して行われる。無駄そのものではあるのだが、余計な諍いを生むよりはマシであろうということだ。


「母衣衆を集めよ。これより諸大名に戦の是非を問う」

「承知致しました」


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