ネルソン提督

「ん? 何だ?」


 シュトライヒャー提督の戦艦で、突如として金属が軋むような音が聞こえてきた。


「上を確認してこい」


 ヴェステンラントの魔導士が飛び回っているせいで、甲板に長時間出ていることは出来ない。向かわせた兵士も少しだけ外を見てすぐに帰ってくる。


「閣下、大変です! 装甲が剝がされています!」

「は? 何を言っているんだ……?」


 そんな馬鹿な話があり得る筈はない。


「魔導反応より、白の魔女クロエ・ファン・ブランと判明!」

「奴か……」


 甲鉄戦艦はあくまで、木造の船体の上に鋼鉄の装甲を貼っているものである。無論、ちょっとやそっとの衝撃(砲撃程度)では剥がれないようにはなっているが。


 しかし、合州国最強の魔女となれば、或いは不可能でもないかもしれない。しかし、これは寧ろ千載一遇の好機でもある。白の魔女を討ち取る好機だ。


「周囲に他の魔女は?」

「反応では検知出来ません」

「よし。機関銃を上に持っていけ。奴を海に叩き落してやれ」

「はっ」


 魔法は同時に2種類までしか使えない。なれば、今の白の魔女は無防備も同然。弾丸の嵐を浴びせてやれば、簡単に殺せるのだ。


 ○


「今だ! 上がれ!」


 機関銃は3人で持ち、一気に階段を駆け上がる。そのまま白の魔女に向けて引き金を引けばいい――筈だった。


「火だっ!!」「助け――」


 艦内の兵が見たのは、外に出た機関銃手が爆炎のような炎に吞み込まれる姿であった。熱風が艦内にまで吹き荒れる。


「奇襲、なのか……」

「提督に報告しろ!」

「クッソ、これじゃ出られねえぞ……」


 艦の防御をより緻密にする為、甲板への出口は最小限にしてある。しかし、それが祟った。出口を炎で完全に封じられてしまったのだ。


 ○


「魔導反応! 赤の魔女です!」

「何だと!? さっきは他にいないと言っていたじゃないか!」

「お、恐らくは、白の魔女にぶら下がって飛んでいたものかと」

「そんなのありか……?」


 魔導探知機は使用中のエスペラニウムにしか反応しない。その弱点を突かれたこととなる。


 艦内からの攻撃は不可能。となれば増援を呼ぶ他にない。


「どこの所属でもいい! 魔導士に救援を要請しろ!」

「ダメです! ヴェステンラントの魔導士との交戦で、とても動ける状態にはありません!」

「提督! 装甲破損個所より火災発生! お逃げください!」

「勢い激しく消火は困難!」


 ノエルが装甲の剥がれた場所を焼いたのだ。その火はたちまち艦内を満たし始める。万事休す。この船はもうおしまいだ。


「に、逃げるって言っても、どこに逃げればいいんだ?」


 これは甲鉄戦艦。装甲版に囲まれ出口はない。


「一か所だけ、艦底部に脱出口と脱出艇があります! 閣下はそれでお逃げください!」

「わ、分かった。すまないが、私は逃げさせてもらう」

「はい。ご武運を」


 数名の護衛だけを連れ、シュトライヒャー提督はゲルマニアから逃げ去った。ゲルマニアは外から見ても分かる程に炎上しており、更には火の魔女と金の魔女が他の船に標的を定めていた。


 提督は、自分の艦隊が焼かれていくのを傍観することしか出来なかった。


 ○


 連合艦隊旗艦カムロデュルムにて。


「こ、甲鉄戦艦が次々と炎上しています!」

「友軍艦隊、轟沈100隻を超えました!」

「無事な艦は10隻くらいしかありません」


 入ってくるのは悲鳴のような報告ばかり。艦隊は半分が沈み、頼みの綱の甲鉄戦艦も燃えている。ネルソン提督は、重大な決断を迫られていた。


「まさか……こんな……」


 油断するななどと言ってはいたが、実際は勝てるだろうと思っていた。何せ3倍の戦力を有しているのだ。


 本来なら負ける筈はなかった。だが、もう負けは見えている。


 ネルソン提督にも意地というものはある。こんな戦力差でありながら逃げ帰ることに、大いに抵抗を感じる。


 だが、将兵の命を無意味に散らす訳にはいかなかった。


「全軍に通達! これより撤退。航行不能の船には投降を許可する。暗号鍵は『ユーピテルとオージン』だ。我々は、敗北した……」


 全周波数による通信は敵にも届く。これでヴェステンラント軍との間に不幸な誤解が生まれることは少なくなるだろう。


 ヴェステンラント艦隊は大した追撃をしてこなかったが、結局、敗走の途上で多くの船が航行不能になってしまった。


 母国に戻れた船は、合わせて50にも満たなかった。


 ○


「提督、すまない……」


 隻眼の少女はそう口にする。


「どうして君が謝るんだ?」

「私がもっと強ければ、私がもっと部隊を育てていれば、ゲルマニアに応援に行けたかもしれなかった、から」


 確かに、もしそうであったのなら、甲鉄戦艦がヴェステンラント艦隊に大打撃を与えられていたかもしれない。


 だが提督は彼女を責めたりはしない。


「それは君のせいではない。勝てる状況を作るのが指揮官の役目。だから、無理を押し付けてしまった私が悪いんだ」

「そ、そんなことは……」

「君は悪くない。君はよくやってくれたよ」


 提督はベアトリクスの頭を優しく撫でた。


 カレドニア沖海戦は、ヴェステンラント軍の歴史的な勝利に終わった。海で食い止めることに失敗した以上、地上で決着をつけるしかない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る