終幕

「分かった。全軍に停戦を命じる」

「ちょっ、大公殿下!?」

「ありがとうございます。では、お願いしますね」


 権力者の私情で国や軍を動かせるのがこの時代のいいところであり、悪いところでもある。


 ダキア大公国にとってどうかは知らないが、少なくともシグルズにとっては誠に僥倖であった。


 大公が近くにいた兵士に指示すると、兵士は全方位に向け停戦を命じる通信を発した。


 ○


 ACU2308 2/4 戦時首都メレン近郊


『——繰り返す。ダキア大公ピョートル・セミョーニョヴィチ・リューリクの名において命じる。全軍、直ちに停戦せよ。直ちに停戦せよ。暗号鍵は双頭の鷲と獅子。双頭の鷲と獅子——』

「そ、そんなことが……」


 アンナは狼狽する。この状況で停戦を命じるなど訳が分からない。ダキア軍が優勢であるこの戦況でだ。


 だが通信は本物だ。


 基本的に魔導通信は同調させた(現代的に言えば周波数を合わせた)端末同士でしか機能しないようになっている。つまり一対一が基本なのである。


 だが、今回のように周囲にいる全員と一度に情報を伝達したい時もある。


 その場合はあらゆる周波数で通信を行う訳だが、その時にそれが本物であることを証明する為に使われるのが暗号鍵である。


 この暗号鍵はアンナを含む一部の司令官にだけ知らせれており、今度の暗号鍵『双頭の鷲と獅子』は確かに本物だ。


 よってアンナはこれを信じ、停戦せざるを得ない。恐らくは、大公の頭に銃が突きつけられているということだろう。


「皆さん、これは本物の通信です! 直ちに停戦です!」


 飛行魔導士隊は攻撃を停止した。


 そして同時に、魔女も小銃をしまった。


「ほらな? 私が勝つ必要なんてないって言ったろ?」


 目の前の魔女にも当然、今の通信は聞こえていた。


「こ、これが狙いだったのですか?」

「ああ、そうだ。メレンをがら空きにしたのが間違いだったな」

「…………」


 いや、違う。メレンにはエカチェリーナ隊長が残っていた。


 では彼女がやられたということだろうか。それに気付いた途端、アンナ副長の平静は失われた。


「隊長は!? エカチェリーナ——オルロフ隊長は、どうなったの!?」

「エカチェリーナ? そんな奴知らねえが」

「——それもそうか。レモラに向かいます! 急いで!」

「やれやれだぜ」


 飛行魔導士隊は飛び去って、緑の目の魔女もゲルマニア軍の下へと戻っていった。


 ○


 ACU2308 2/4 戦時首都メレン上空


「はあ、終わった」


 シグルズの任務はこれで終わりである。後でどうするかは知ったことではない。


 取り敢えずは第18師団のところに戻るべきだろう。シグルズは敵国の首都上空で悠々と遊覧飛行を開始した。


 その時——


「ん?」


 何かを感じた。中二病っぽい言葉を使えば邪気とか瘴気とか、そういった類いのものである。


 それは眼下の貧民窟のようなところから発生しているようであった。


 こんなことは初めてである。恐らくは魔法に関連することなのだろうが、覚えはない。


 ——気になる。


 多少寄り道するくらいは問題なかろうと、シグルズは入り組んだ暗い町の中に降り立った。


「そこか……?」


 曲がり角の辺りに気配を強く感じた。


 先を確認する。しかし誰もいない。気配も遠退いた気がする。


「あんまり行きたくはないけど……」


 鼠が走り回る裏道を、足元を確かめながら進んだ。油断していると死体でも踏みつけていそうである。


 ——逃げられてる?


 シグルズは直進しているのに、気配は強くなったり弱くなったりしている。それはつまり、こちらの存在が悟られたということだろう。


 しかし逃げられると追いかけたくなってしまう。一体誰が、或いは何がこの気配の源なのだろうか。


 その時だった。


「何しに、来たの?」

「っ」


 背後から、か細い少女の声。


 ゆっくり振り返ると、灰色の髪に琥珀色の目をした少女が、震える両手で短刀を握りしめて、シグルズを睨んでいた。


 間違いなく、この少女が気配を発していた。


「ああ、その……」


 少女の使う言語はダキア語だ。ロシア語っぽい感じの言語である。


 幸いにしてロシアは日本の大の友好国であり、ロシア語を前世で習ったことはあるのだが、その時ですら習得出来ていたとは言えず、それにダキア語とロシア語は結構違う。


 という訳で、シグルズにはマトモな会話を行える自信がなかった。しかしやるしかない。


「殺す、の?」

「いや、違う」

「だったら、何?」

「それは……」


 少女は簡単な構文しか使ってこない。故に理解は出来る。だがここに至る状況を伝えられるとは思えない。


 しかしこの少女をここに放っておこうとも思えない。


 何とかならないものか。


「そのー、ゲルマニア語は話せるかい?」

「少しなら、分かる」


 と、ゲルマニア語で。何とゲルマニア語が喋れるようだ。


 その語学力が如何ほどかは分からないが、シグルズはこれまでの経緯をゲルマニア語で説明してみた。


 すると意外にも少女はちゃんと理解してくれた。また、ここら辺でやっと短刀を下げてくれた。


 それと少女の名はヴェロニカというらしい。


「ヴェロニカと、ああ、名字とか父称とかは?」

「……? そんなのない。ヴェロニカだけ」

「そ、そう」


 ——孤児か。


 それも相当に劣悪な環境で育っている。この世界はまだまだ発展の途上にあるのだ。


 もっとも、重要なのはそこではない。


「それで、私は何をすればいいの?」

「取り敢えず、付いてきてくれるか?」

「ーー分かった」

「じゃあ、僕の背中に乗って」

「え? う、うん」


 ヴェロニカをおぶって、そして飛んだ。背中の羽は直接生えている訳ではない。ヴェロニカの邪魔にはならなかった。


「た、高い! 怖いよ! ねえ!」

「我慢してくれ……」

「う、うう……」


 この世界で今のところ最速で空を飛ぶ手段は、魔導士になって飛行の魔法を身に付けることである。


 それをこの少女に体験させるのは、鬼畜な行いだったかもしれない。


 最終的には目をつぶって何も考えないでいてもらうという方法で解決させ、2人はメレンの外まで飛んでいった。

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