ゲルマニアの場合

「ねえシグルズ、あなた、何かやってたわよね?」


 やっと理性を取り戻したエリーゼは、何食わぬ顔で宿屋に戻ってきたシグルズに尋ねた。


「い、いや、そんなことは……」

「お姉ちゃんには全部お見通しよ。隠しても無駄」


 エリーゼは既に、外の状況とシグルズの不在から、彼が何をしたのかを推測していたようだ。


 つまりわざわざシグルズに尋ねるまでもないのである。が、シグルズに反省して欲しいエリーゼは、敢えて彼に語らせるのであった。


「……ちょっと敵司令官を排除してきた」

「はあ……危ないことはして欲しくないんだけど」

「ごめん」

「うん。謝れるならそれでよろしい!」


 エリーゼは笑顔を咲かせた。


 ブチ切れられると覚悟していたシグルズには、全く意外な反応である。


「お、怒らないの?」

「怒って欲しいの?」

「いやそんなことはないけど」

「今こうして生きていてくれるだけでいいのよ!」


 言いざまにエリーゼはシグルズを抱きしめた。


 ——まだ酔ってるよこの人。


 しかし悪い心地ではなかった。


 シグルズは転生者であるとは言え、姉とは産まれてから14年間ずっと一緒に暮らしてきた。


 だから、彼女に心配をかけるようなことはしないよう善処しようと、心に誓うのだった。


 因みにシグルズが戦闘に出たというところまでは宿屋の主人がエリーゼに教えたと、後に判明した。


 ◯


 ACU2304 3/27 神聖ゲルマニア帝国 グンテルブルク王国 帝都ブルグンテン 宰相官邸


 所変わって、神聖ゲルマニア帝国宰相官邸にて。レモラ一揆についての軍議が早速開かれていた。


「――以上が、今回レモラで発生した武装蜂起の概略となります」

「正規軍が2万に対し、反乱軍がおよそ800か……」


 正規軍はほぼ全員が非魔導士——通常戦力。対して反乱軍はほぼ全員が魔導士である。


 読み上げられたその報告書に、宰相アウグスト・ヒンケルは唸った。


 問題は数そのものではない。


 数字の上でのレモラ一揆は、少々規模の大きい反政府活動に過ぎない。


 しかし問題は、この圧倒的な兵力差にも関わらず反乱軍の方が、その指揮官が謎の失踪を遂げるまで、終始優位に戦闘を進めていたことである。


「魔法とは、かくもおぞましいものか……」


 宰相に続いて唸る、勲章だらけの軍服の老人は、ディートフリート・カール・フランツ・フォン・カイテル参謀総長。公爵であり、先の大北方戦争を勝利に導いた英雄である。


 しかしそんな英雄も、戦争の公理をいとも簡単にひっくり返す魔法には頭を抱えていた。


「申し上げておきますが、ガラティア軍が旧態依然の軍隊であることはお忘れなく。我らゲルマニア軍ならば、もう少しマトモに戦えるでしょう」


 冷静に返したのは、魔法でのし上がった女伯爵、ジークリンデ・フォン・オステルマン師団長。


 この場で誰よりも魔法に詳しいのは恐らく彼女だ。


「しかしだな、相手が新鋭の装備を整えているとしても、ここまでも兵力差があれば、普通は流石に押し切れるぞ」


 1対25だ。1が勝てる筈はない。そう常識を確認するカイテル参謀総長。


「ええ、確かに。しかし、今回の場合は、素手と小銃以上の差があったと考えるべきかと」

「だとすれば、我が軍がいくら軍備を整えたところで、全く無意味ではないか」

「いいえ。それは違います」


 ジークリンデはきっぱりと言い切った。


「ではどうせよと言うか?」

「魔導士を通常兵器で撃破する為には、敵の防御力を上回る火力をぶつける必要があるのはご存知でしょう。逆に言えば、自軍の火力が敵魔導士の防御力を下回っている場合、魔導士はエスペラニウムが底をつくまで無敵に近い。今回はこういうことが起こったのでしょう、と考えられます」


 ガラティア軍の装備は、丸い弾丸の火縄銃が殆どを占めている。


 それでは火力が余りに足らず、敵の魔導装甲の修復、エスペラニウムの補給の方が圧倒的に早かっただろう。


 よって、理論上、現場のガラティア兵に一般的な魔導士を撃破することは不可能だった。そんな相手に勝てる筈がないのである。


「では君は、我が軍ならば敵魔導士が撃破可能な火力が出せると言うのか?」

「はい。我が師団では何度か実験を行い、最新の小銃をもってすれば、十分な余裕を持って敵魔導士を撃破可能との結論を出しています。というか、その情報は以前にもお伝えした筈では?」

「そう……だったか? まあ、君の言うことは分かった」

「つまり、引き続き軍備拡張に努めて下さいということです。私からは以上です」


 ジークリンデは苛立っていた。


 これまでゲルマニアは魔法を軽視し驕慢に陥っていた。それが痛いほどよく分かったからだ。


「つまりは、更なる軍備拡張——更なる兵器の増産が必要ということだな?」


 ヒンケル宰相は師団長に尋ねた。参謀総長がそこにいるというのに。


 普段なら参謀総長が『そこは私が』と出張るところだが、今日のカイテル参謀総長にそんな気は起きなかった。


 という訳で、普通にヒンケル宰相に直接受け答えすることとなったジークリンデは少々動揺してしまう。


「え、ええ。我が国が魔導三大国と渡り合うには、それしかないかと」

「分かった。それは私から各省に命じておこう」

「はっ。ありがとうございます」


 ——今日の宰相閣下はやけに物分りがいいな……


 それもその筈。


「本当に、我々は大丈夫なのだろうか……」


 弱々しくため息を吐く宰相。


「——ご、ご安心下さい、宰相閣下。この私が保証しますよ」

「保証か。本当にあったらいいがな……」

「保証などこの世には存在しません。人間に出来ることはただ、より良い条件を整えることだけにございますれば」

「うぐ…………」

「そうか……そうだな。ゲルマニアを強くしなければな」


 この事件を最も重く見ていた人物。それこそ正に、ヒンケル宰相であったのである。


 ヒンケル宰相は以後、中央集権と自身の権力強化を推し進めていくこととなる。


 あらゆる非合理な要素を排除し、偏執的なまでに富国強兵を推し進める彼は、いつしかこう呼ばれるようになった。


 総統、と。

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