レモラ旅行

 魔導適性検査よりおよそ1年経った。


 アウグスト・ヒンケルは無事当選し、社会革命党はその地位を磐石とした。


 そのヒンケル政権は周辺国——特にガラティア帝国とダキア大公国との友好的な関係を築くことに邁進している。


 無論、友愛の精神で国は動かない。彼の政策は、自国の工業製品と先に挙げた2国のエスペラニウムとの交換を主軸としたもの。すなわち軍事力の強化を目的としたものである。


 とは言え、貿易の拡大によって民間の交流が盛んになるのは事実。ゲルマニア人もガラティア人もダキア人も、おおよそこの政策を高く評価している。


 ◯


 ACU2304 3/9 神聖ゲルマニア帝国 グンテルブルク王国 リンツェ村


 ある日、エリーゼは言い出した。


「たまには遠出でもしないかしら?」

「遠出? どこに?」

「レモラ、とか!」


 エリーゼは例になく舞い上がっていた。


 レモラ。


 位置は地球のローマとほぼ同じであり、かつて地中海沿岸部全てを支配していた超大国——レモラ帝国の首都であり、今でもガラティア帝国の一都市、或いはレモラ王国の首都として栄えている。


 つまりは完全に外国の都市であるのだが、先に述べた近年のゲルマニアーガラティア間の友好の証として国境通過が簡便になり、観光客のような外国人でも比較的容易にここを訪れられるようになった。


 この好機をエリーゼが見逃す筈がなかったのである。


「ま、まあ、いいんじゃない?」


 あまりにも目を輝かせながら言うもので、シグルズにはとても断れなかった。


「あら。じゃあ決定ね。お姉ちゃん、早速準備始めるわ!」

「が、頑張って……」


 エリーゼは急にぽかんとした顔になった。


「あなたも行くのよ、シグルズ」

「僕も?」

「当たり前じゃない。女で一人旅なんて危ないわ」

「ま、まあ、確かに……」


 この世界は基本的に安全ではない。


 近代的な警察制度は勿論ないし、それらしいものがあったとしても都市部に限られる。


 ゲルマニア国内なら道路網の整備によってまだ治安はいい方だが、ガラティアの内情は16世紀そのものである。とても女性に一人旅なぞさせられない。


 ——じゃあ最初から行かなきゃいいじゃないか。


 とはとても口には出せなかった。


「じゃあ、7日後に出発よ。準備、しておいてね」

「分かったよ」


 シグルズはそっとため息を吐いた。


 ◯


 ゲルマニアの国内ならば鉄道網は結構整っている。


 まず地元の役所で旅券を取得した後、蒸気機関車に揺られながら、一気に国境まで飛ぶ。尚、この世界には査証に相当する概念はない。そういう意味では国境管理は地球よりザルと言えるだろう。


 国境で通過目的を言って通行料を支払えば、あっさりガラティア帝国の領土に入ることが出来た。


 そこからは半島を突っ切る大街道をひたすらに南下する。手段は、徒歩、馬車、僅かには馬車鉄道などである。


 最終的にはリンツェ村を出てから10日でレモラについた。


 ○


 ACU2305 3/26 ガラティア帝国 レモラ王国 王都レモラ


 コンクリート製の巨大建築物が立ち並び、地中海に臨む町並みは確かに美しい。稀に近代的な工場が見えもするが。


 市内には様々な人種が集い、僅かに東洋人のような者すら見える。


「綺麗ねえ。やっぱり来て正解だったわ」

「僕も、そう思う」


 教科書などで絵画として見たことのある中世イタリアの光景。


 まあ若干の異物が混じってはいるが、殆どそれに近い光景が、美しくも醜くも、シグルズの目の前に広がっていた。これを見て感傷に浸らない現代日本人はいないだろう。 


 ○


「これがコロッセオね」

「今では使われてないけど」


 地球で見たことのある円形競技場。この世界にも普通にあった。だがシグルズの記憶の中にあるものよりは幾分か綺麗であった。綺麗に円筒状の座席が残っている。


「そのくらい知ってるわ。でも、こんなものってゲルマニアにはないじゃない? だったら、一度くらいは見てみたいわよね?」

「まあ、うん」


 そんな風に市内を観光して回ること2日。現役の大浴場や水道橋、古代の城壁の跡にパンテオン。


 あっという間に目立つ観光名所は見尽くしてしまった。


 となると、最後にやるべきことは、元の世界と同じ。


「じゃあ、お土産を買いましょう!」

「お、おー」


 ○


「で、お土産っていっても、何を買うの?」


 市場に来て、迷う。


 お土産恒例の保存の利くお菓子なんぞ売ってはいない。普通に工芸品を買うか、或いは長期の保存にも耐え得る食材を買うか——


「ワインよー。せっかくレモラに来たんだから」

「ワイン……」


 確かにレモラ王国はワインの一大産地であり、各地のワインがここに集まっている。


 しかし14才のシグルズがそれを飲むことは違法である。


「僕は何を買ったらいいかな?」

「2年後の為にワインを買っておいたら?」

「そ、そうだね……」


 ――ワインしか、頭にないのか? この人は。


 しかし悪くない提案だとも思った。人生初のワインならば、出来るだけ美味しいものを飲みたいものである。レモラ王国のワインは恐らくその要求を満たせるだろう。


 結局、エリーゼはすぐに飲む(とは言っても1ヵ月位までが目安の)ワインを。シグルズは熟成させた方が美味しくなるらしいワインを購入し、宿に戻ることとした。


 ○


「うーん、美味しい!」


 エリーゼは、いつの間にか買っていたチーズを肴に、早速ワインを消費し始めた。


「お土産とは……」

「これは今飲む用で、あっちのがお土産用よ?」

「……たくさん買えてよかったね」


 見ると商人だったのかと錯覚する程に大量のボトルが並べられている。デーニッツ家は割と金持ちなのだ。


「ええ。あなたもわざわざ付き合ってくれてありがとうね」

「え? あ、ああ、どうも」


 一応、彼女が旅行を言い出した時点で拒否権はあったらしい。


 もうボトル一本を飲み干しそうな勢いのエリーゼの横で、シグルズは小さく笑った。


 ○


「ん? 今のは?」


 その時、遠くから爆音のようなものが聞こえた。窓から外を覗くと、ただ事ではない人々の様子。


「――またか」


 連続した爆音が響く。これは事故などではない。明らかに人為的な爆発である。


「姉さん、起きて」


 すっかり泥酔して寝付いてしまったエリーゼを叩き起こす。ワインはそういうものじゃない筈なのだが。


「なんなのよお?」

「爆音が聞こえた。何か、大変なことが起こっていると思う」

「たいへんなこと?」


 エリーゼはぽかんとした表情で。


「……うん。ああ、まあ、僕が何とかするよ」


 姉は全く頼りにならない。彼女は寝かせておき、取りあえずは宿屋の主人にでも話を聞いてみることとした。


 明らかに危機的な事態なのだが、主人は落ち着き払って入り口を見張っていた。


「何が起きているのか、分かりますか?」

「恐らくは、反機械化、レモラ独立派の蜂起でしょうな」


 地球におけるラッダイト運動のような機械化反対運動。ガラティア帝国に取り込まれたレモラ王国の独立運動。


 どうも片方だけでも面倒なものがくっついて動いているらしい。


「それは……とても落ち着いていられる状況ではないのでは?」

「外に出ても治安部隊との衝突に巻き込まれるだけです。ここに居るのが最善ですよ」

「……分かりました。ありがとうございます」


 それは間違いなく正解であった。

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