塹壕の戦いⅢ

『シグルズ様ぁ!!』


 耳元の通信機からヴェロニカの悲鳴。魔導通信機は数少ないエスペラニウムの使い道の一つである。


「ああ、問題ない」


 正面に手をかざせば、即座にぶ厚い鉄の壁が現れる。重戦車の装甲にも匹敵する厚さと強度。確かにシグルズに刃は届かなかった。


「うっそだろ……」


 しかし数本は壁を突き抜け切っ先を見せており、その他の剣も針地獄のように突き刺さっていた。それはつまり、地球の主力戦車すらこの魔女なら撃破可能ということだ。末恐ろしいものである。


「面倒な……」


 しかしクロエは忌々しげに。これではシグルズを殺すのに威力が足りないからだ。


「どうした? ネタ切れか?」

「いえ。そう来るのなら、飛べばいいのですよ」


 クロエは落ち着いた声でそう言って、またしても剣を自害でもするかのように自らに向ける。


 するとその背中から漆黒の翼が生えた。白と黒の悪魔のようである。


 その翼は、決してそれで飛ぶ為のものではない。あくまで飛ぶことを想起する為の補助的なものだ。が、それを知らないものからすれば、人の大きさになった鳥のようにしかみえないだろう。いや、それ以上の何かだ。


 クロエは一瞬にして数十パッススにまで飛び上がって、高みからシグルズを見下ろし、滞空する。


「上からは、防げますか?」


 今度は上空に数百の剣。


 確かに上からも来られると、一枚の壁では防ぎきれなくなるだろう。だが対処は簡単である。


「そんなの、僕も飛べばいい」

「あなたも飛べると?」

「ああ。飛べるさ」


 少し念じれば、彼の背中にクロエのとは正反対の純白の翼が生えた。


 シグルズもまた、クロエと同じ空に立った。


 飛んでくる剣は、空中に召喚し即座に魔法で持ち上げた壁で対処。


 そしてまた、銃と剣との戦いが再開された。


 立体的な動きが可能となり、動きの幅は広がるが、結局やることは同じである。勝負など決まりはしない。


 喧嘩をする小鳥のように飛び回り、人体など一瞬で吹き飛ぶ火力をぶつけ合った。その時間は客観的には数分であったが、本人たちには数十分にも感じられた。


 ○


「白い翼……」

「これが何か?」


 戦いの最中、クロエはずっとシグルズの白い翼が気になって、集中出来ずにいた。


 ――白い翼など、ある筈がない。あっていい筈がない。それに……


『あー、シグルズ様、聞こえますか?』


 シグルズの耳元から再びヴェロニカの声。速射銃の引き金を引きながら、魔女の攻撃を回避しながら応える。


「ああ。どうした?」

『例のあれ、準備出来ました』

「了解、早速頼む」

『了解しました!』

「ほう、決闘の真っ最中におしゃべりとは、感心しませんね」


 クロエはそう言って、短刀を一本飛ばした。


 心臓を直に狙った一発だが、シグルズは腕に装甲を纏いそれを逸らした。どうせ意味がないとは分かっていた。からかい同然の一撃である。


 が、シグルズはそれ以上のどっきりを用意していた。


「少しは下を気にしたら?」

「下?」


 クロエはふむと下を向く。


 塹壕には既に、先程まではなかった兵器が運び込まれている。


 見た目としては、2つの車輪に4つの機関銃を2列に挟み、操作盤をつけたようなものである。それがクロエを仰ぎ見る。


「あれは……」

「撃て!」

「っ!」


 それは対空機関砲である。


 機関銃よりも口径の大きな砲弾を機関銃のごとく連射する火砲。それが4つで、計16の銃口が魔女を狙うという寸法だ。


 もっとも、その弾丸は生産が追い付いておらず、故障も多い未完成品ではあるが。


「面倒なことを……」


 クロエは速やかに斜線から逃れる。しかし対空砲はそれを追いかける。


 元の世界の戦闘機と対空砲の追いかけっこを再現するようであった。砲火の密度は段違いに低いが。


 シグルズはそれを、魔女を攻撃するでもなく傍観していた。通常兵器が白の魔女にどこまで効くのか試す為である。はたから見れば逃げ惑う少女を眺める変態のようであったが。


「止まれ」

「ほう……」


 逃げるのをよしとせず、クロエは杖を替えて、先程の魔法で砲弾を止めた。大口径の砲弾相手だろうとその魔法は問題なく使えるのであった。


 ――火力が足りない。足りな過ぎる。


 失敗である。対空機関砲でも白の魔女は止められない。更なる対空兵器が必要だと判明した。


 そこでシグルズはとある実験をしてみることにした。


 クロエは今、空を飛ぶ魔法と空中の金属を操る魔法を同時に使っている。


「火炎放射」


 手をかざすとその先から青い炎が吹き出て、クロエを襲う。流石のクロエとて、それに耐えようとは思わなかった。


「卑怯ですよ!」

「戦争だからね」


 クロエは素早く対空砲と火炎放射の射程から離脱し、体勢を整えた。魔女にまんまと逃げられてしまった。しかしシグルズは満足していた。


「やはり、魔法は2つが限度か……」


 同時に発動出来る魔法は2種類だけ。シグルズも含め、殆ど(確認されている限りは全て)の魔導士はその法則に縛られている。


 白の魔女——レギオー級の魔女ともなれば、或いは3種類以上の魔法を使うことも可能かとも考えたが、それは誤りであった。


 いかに強大な魔女とて、3つ以上の魔法を同時に使うことは出来ないのである。


 ○


「いい加減、降伏でもしてくれませんか?」

「捕虜になってくれたら嬉しいんだけど?」


 銃声も風を切る音も途絶え、シグルズとクロエは膠着状態に陥った。どんな手を打とうとも千日手に陥ってどうしようもなくなるのは明白。それは2人とも理解していた。


 同格の魔導士の戦いとはこのようなものである。


「その白い翼、そしてエスペラニウムを使わずに魔法を使う力。もう一度問います。あなたは一体何者なのですか?」


 クロエはシグルズに問いかける。


 ——この世界であまりにも異質な魔導士。正体を確かめなければ。


 クロエは自らの知的好奇心を満たすことを選んだ。決着をつける気はとうに失せていた。


「と、言われても……」


 しかし、シグルズに説明出来ることは本当に何もなかった。まさか『異世界から転生して来て神様から授かった力です』などとは言えないだろう。


 頭を捻りつつも答えに窮していると、クロエは残念そうに息を吐いた。


「まあいいです。ならば、こういうのはどうでしょう? 私の家臣になりませんか?」

「そんな話を僕が受けるとでも?」

「あなたの力を真に活かせるのは、ヴェステンラントだけです。ゲルマニアなどでは、その才能は腐ってしまいますよ」


 確かにヴェステンラントは魔法の国。その言葉は嘘ではない。しかし——


「まさか。僕の望みは、この世界から魔法を消すことだから」


 そう、シグルズの望みは、この世界を歪ませた魔法を消滅させること。そしてこの世界に安寧をもたらすことだ。


 石油よりも人を魅了する悪魔のような資源――魔法などがあるから悪い。そんなものがあるから、こんな馬鹿げた戦争が起こるのだ。


 と言い放ったところ、クロエは初めて表情を動かして、少しだけ目を丸めた。


 彼女もまた、自分のそれと似て全く非なる志と初めて出会ったのだ。目指すは共に平和な世界。だが妥協の余地は全くない。


「なるほど。それは確かに、分かり合えそうにありませんね」

「ああ。だから、君の家臣には――」


 銃声。


 たった一発の銃声はしかし、静まり返った戦場の隅々にまで響き渡った。


「あ……」


 その瞬間、クロエの胸に穴が開いた。鮮血が堰を切ったように噴き出した。


「なっ!?」


 誰がやったか、いや、それは今はどうでもいい。


「君は、やっぱり……」


 力を失い、哀しそうな目をして墜ちていく魔女を、か細い腕で助けを求める彼女を見て。そのまま死なせるのは、余りにも惜しく思えた。


「ああ——木だ! 生えろ!」


 その落下地点に木と草を生やした。少しでも衝撃を和らげる為である。


 地面を叩き割って、極小さな森がその一点に飛び出した。魔女は元気な木の葉の中に落下し、葉っぱと枝に鎧が引っかる音だけがした。


 シグルズの策のお陰で、クロエが地面に直に打ち付けられることは避けられたようだった。彼はほっと息を吐き、ヴェステンラント兵が転がる地上に戻った。


 ○


「あの魔女、消えてしまいましたね」


 と、すっかり冷静さを取り戻したヴェロニカ。仮にも敵国の大公だ。捕えればリッベントロップ外務卿がどれ程喜ぶことか。


 ゲルマニア軍は無論、必死に彼女を探した。しかしついに見つからなかった。レギオー級となればどんな魔法が使えても不思議ではない。きっとゲルマニアには知られていない何かがあるのだろう。


「ああ。せっかく捕獲しようと思ったんだがな」


 シグルズはつい助けてしまったのを生け捕りにしようとしていたと言い訳することとした。実際、木の魔法はそういう用途でも有用である。


「これは僕にとっては小さな一歩だが、祖国にとっては偉大な飛躍である」


 ふと有名な宇宙飛行士の言葉が浮かんだ。


「何ですか? それ」

「ちょっとした受け売りさ」


 忘れてくれと続ける。


 これが、ゲルマニアが初めて大勝利を収めた戦いであった。

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