塹壕の戦いⅡ

 やがて戦場は静まりかえった。攻め寄せた合州国軍は一兵たりともシグルズの防衛線を突破することは出来なかった。


 空堀と策の前には前のめりの死体と死骸が二百は転がっている。敵の規模からすれば全滅と言ってもいい大損害と言えるだろう。


 白い軍旗の散らばった様は、侵略者ヴェステンラントの敗北と正義ゲルマニアの勝利を印象付けた。


 もっとも、シグルズにとっての戦いはこれからであるが。


「き、来ます」

「これは、僕が本気を出さざるを得ないかもな」

「ぜ、是非、お願いしたいのですが……」

「まずは様子を見てからだ」


 ○


 長く雪のような白い髪をなびかせ、死体の合間を優雅に縫いながら近寄ってくる、白いドレスを纏った女性が一人。


 顔はその紅の目以外を黒い面頬(顔を覆う防具)で隠している。


 腰に魔法の杖を大量に提げてはいるが、戦場に鎧も着ずにやって来るとなると、あれが噂の白の魔女で間違いはないだろう。


 ――うん? いや、まさか……


「ど、どど、どうします?」


 ヴェロニカだけでなく、その異様な姿には、歴戦の兵士すら動揺を隠せない。


「まずは、撃ってみようか」

「え、は、はい! そうですね!」 

「全軍、撃ち方用意」


 相手が女性一人とて、容赦をすることはない。あれは五千人を叩き潰せるとされる最強の魔女なのだ。


「撃て!」


 シグルズが自ら筆頭に、魔女を有効射程に納める千人ほどが一斉に射撃を始める。数万の弾丸が彼女一人にぶちこまれる訳だ。


 が、そんなことでは魔女は死なない。彼女は悠々と歩いていた。


「あれは、弾が、浮いて……」

「ああ……驚きだ」


 彼女に当たるであろう弾道を辿った弾丸は、魔法の杖をかざした彼女の目の前で、宙に浮いて静止していた。


 詳しい性能は確かめる必要があるが、少なくともこの程度の火力で黙らせるのは無理なようである。


 ――これは小銃程度じゃどうにもならないな。


 シグルズは、自らが戦うしか選択肢はないと判断した。


 神が与えた力に頼るのは甚だ不本意ではあったが、向こうが番狂わせをしてくるのならば、魔法魔法を以て制さざるを得まい。


 ヴェロニカが応援してくれたのを心に留め、一人塹壕から出て、魔女のもとに向かう。


 ○


 近寄れば、感じる。


 これが魔女であるとシグルズに訴えてくる強烈な気配。特別強い魔導適性を持った人間が持つ波動。


 ――間違いない。こいつは、レギオー級。


 双方相手を牽制するようにしながら立ち止まり、先に口を開けたのは魔女の方であった。


「白の魔女は、全ての金属を思いのままに操る魔女です。鉛弾など私には効かないのですよ?」


 魔女は笑った。出会い頭のその言葉は、鉛弾を信仰するシグルズへの挑戦そのものであった。


「なるほど。確かにそれは、僕の天敵となるかも知れないな」


 どうせ一騎打ちである。出来る限り相手の情報は引き出したい。それにふざけた会話もまた一興。両者は似た趣味を持ったもの同士であった。


「ほう。この私の前に生身で――手ぶらで立ち塞がるあなたは、何者なのですか?」

「僕はゲルマニア帝国軍のシグルズ・フォン・ハーケンブルク城伯。君たちの兵隊を壊滅させた張本人だ」


 芝居のように語りかけ余裕を見せつけた訳だがしかし、向こうも負けじと懇切丁寧な自己紹介を返す。


「私は、ヴェステンラント合州国の七公の一人――白公にして、白の魔女、クロエ・ファン・ブランです。以後、お見知りおきを。もっとも、以後があるかは分かりませんが」


 七公とは、ヴェステンラント合州国を構成する諸国の中でもとりわけ強力な七国の元首を指す。つまりここにいる白の魔女は、お姫様どころではなく大公殿下ということになる。


「随分な自信だな。時に、聞いてくれるとは思わないけど、今日のところは帰ってくれないかな?」


 わざとらしく、おどけた調子で。受け入れてくれる筈はないが、反応を見る。


「申し訳ありませんが、その要請は承りかねます。私には責務がありますので」

「責務、って?」

「この世界に安寧をもたらすこと。当面は、蒸気の力で世界を乱すあなた方を——ゲルマニアを滅ぼすこと。故に退くことは出来ません」


 力強く告げ、クロエは杖を突き出した。


 シグルズは驚いた。彼と全く同じ未来を見ながら、彼と全く別の道を歩む人間がそこにいたのだから。


「どうしました? 私の高尚な理想に感化されましたか?」

「いや、そんなことはないけど――」

「ならば交渉決裂ですね。戯れが過ぎました。参ります」

「っ、来るか」


 魔女は自らに杖を向けた。その瞬間、ドレスは絢爛な鎧と化した。そして同時に、その杖が西洋刀に変身する。


 シグルズも武器を出そう、と思った刹那。


「遅い」

「何っ!」


 クロエは魔女と思えぬ武闘家のような素早さで一気に間合いを詰め、シグルズを一刀両断せんと刀を振り下ろした。十分の一秒でも反応が遅れてては、死んでいた。


 何とか魔法で後ろに跳びのき、一撃を回避する。


 手加減は不要。そう判断した。


「速射銃、召喚」


 クソダサい決めゼリフを吐きながらも、念じた瞬間には両手に速射銃が握られている。


 速射銃。


 日本語では一般に『バトルライフル』と呼ばれる代物である。フルロード弾(狙撃銃などで使われる大口径弾) を引き金を引きっぱなしで連射出来る歩兵用の銃の一種だ。


「これで!」


 シグルズは両腕を伸ばし、同時に2つの引き金を引いた。


 たたでさえ反動の大きい銃を片手で。普通の人間ならその反動に耐えられなどしない。だが魔法で擬似的に筋力を強化出来るこの世界では、決して不可能なことではない。


 火を噴く双銃。


 しかし、地に落つ弾頭。軽快な金属音とともに、弾丸は悉く弾き返された。


 クロエの薄そうな鎧にとっては小銃弾など物の数ではないようだった。対物小銃でも持ってこないと効かなさそうである。


 クロエは消耗した剣——魔法の杖を捨て、新たな杖を取り出し、それを新たな剣に変えながら、呆れかえっているように言う。


「はあ……正々堂々と戦ったらどうです?」

「白の魔女様に無名の兵卒が挑んでるんだから、このくらいはいいんじゃないか?」


 と、軽口を叩きながらも、シグルズは引き金から手を離さない。給弾を魔法で行えば弾幕が途切れることはない。


 クロエも殺しにかかってくる。その動きは猛獣のようだ。


 斬る、躱す、撃つ、弾く。それを何度も繰り返した。下がり続け、気付けばヴェロニカは遥か遠くに。


 レギオー級の魔女が同格の相手と戦っている。そのような光景は滅多にあるものではない。誰も手出しは出来なかった。


「私、面倒なのは嫌いなのですよ?」


 ふと立ち止まったクロエ。


「すまないな。面倒で」

「ですので……」


 クロエは剣を空に突き立てた。するとその周囲から、何もなかった空間に数百の剣が湧いた。規模が桁違いだが、典型的な生成の魔法である。


 それらは全て悉くシグルズを向いている。数百の切っ先が彼を狙っていた。


「終わりにしましょう。斬り裂け!」


 初めての気合の入った決めゼリフ。


 ――とんでもなく嫌な予感がする。


「ああ、やっぱり……」


 そして思っていた通り、その剣が全部、シグルズ目掛けて一直線に飛んできた。

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