第3話 心の欠片『うどんカルボナーラ』①

 でしたら、と香取かとりは手を叩いた。



美作みまさかさんに少しご協力いただきたいことが」

「? 俺で出来ることなら」

「では、そのお言葉に甘えまして。……両手を僕の前に出してください」

「はい?」



 とりあえず、言われた通りに出してみると。……何故か、香取の手が辰也たつやの手に重なった。これがなんの役に立つのだと思っていると……手品とかではなくていきなり辰也の手の中がフラッシュが起きたかのように光り出したのだ。


 だが、驚く出来事はそれだけでなく。


 重なっていた香取の手が、だんだんと人間の手ではなく白い毛が生え出してそれが腕まで伸びていき。その現象みたいなのを目で追ったら、香取の親しみやすい表情が浮かべていた顔まで変化していったのだ。


 耳も猫耳になり、顔全体も毛で覆われて……目も猫目のブルーアイに。



「申し遅れました。僕は元地獄の補佐官の一人であった、猫の端くれ。香取ではなく、名を火坑かきょうと申します。あなたから『心の欠片』をいただきましたので……正体がバレただけです」

「え……え、え、え!?」



 熱中症がまだ治っていなくて、変な夢でも見ているのではと思ったが。


 まだ触れたままの肉球のない猫の手は、どう頭がいかれていても現実の感触だと理解は出来た。そして、彼が手を離した時に辰也の手の中にあったのは……一対のカフスボタンだった。



「ふむ。美作さんの心の欠片はこのような形でしたか」

「は……ちょ。え……えぇ? これ夢?」

「いえいえ。夢ではありませんよ? 僕の本性は猫と人間との合いの子のような姿。ここはにしきではありますが……人間との世界の狭間。あやかし……妖怪達の世界なんですよ? 外、少し覗いてみてください」



 カフスボタンは預かっておきます。と言ってから、火坑と名乗った猫のような妖怪は引き戸に指を向けた。


 まだ夢心地ではあるが、香取と同じ声のままの恩猫を疑っていても仕方がない。言われたように引き戸を開けて、外を見てみると。



「来ておくれやす〜?」

「ええ子揃ってるよ! 狸、猫、狐!!」

「美味い酒ぎょーさんあるでー?」



 猫耳、狸耳に狐耳。


 火坑のような、猫ではないが動物とかそうでない存在が人間のように服を着ながら……たむろっていたり、接客していたりと。念のために頬をつねったが痛いで終わったのだった。


 なので、店の中に戻って辰也は大きく息を吐きながら、カウンターの席に座った。



「び……っくり、した!!?」

「すみませんね? もしここからお帰りになられた時に説明した方が混乱されるかと」

「あ〜……なるほど」



 たしかに、その時にいい気分になってからあの通りに出たら大変ですまない。今でも十分過ぎるくらい驚いたが。



「それと。美作さんに正体を明かしたのは、お代をいただくためもあったんです」

「へ? 俺金出してないですけど」

「いえいえ。今さっきあなたから取り出したこのカフスボタンです」

「……それだけで?」

「ふふ。物々交換ではありません。あなたの魂の片鱗の具現化。我らあやかしは人間を食べるのをやめた以外に、人間の霊力の一部などを欲することがあります。それが、こちらの心の欠片なんですよ」

「……いまいち意味が」

「まあ、とりあえず。このように素晴らしい心の欠片をいただけたのでお代は充分と言うことです」

「……?」



 けれど、あのカフスボタンには見覚えがあった。ついさっき、電話に出てくれた部長から入社後……教育係を終えた時に祝いとして辰也に渡したものだ。綺麗だから、冬以外の時に長袖でもつけられるように、と。いつだったか、それが見つからなくなって無くしてしまったと思ったのだが。



「そしてこれは本当のカフスボタンではありません」



 と、火坑がぽんぽんとカフスボタンを触るとまたフラッシュのように光り出して……消えたら、厚切りのベーコンが辰也の目に写ったのだ。



「……ベーコン?」

「心の欠片は、大抵食材に変わるんですよ。それを僕らあやかしは調理して食べます。……美作さんも食べますか?」

「え。けど、それ代金だって」

「持ち主が口にしても問題はありませんし、僕の店の場合は提供させていただいてるんですよ。次の料理をこれで作るのであれば……カルボナーラはいかがでしょう?」



 あのスープも美味だったが、それは魅力的なお誘いだった。


 たしかに姿形は色々変わったが、この猫のような妖怪は恩人に変わりない。その魅力的なお誘いに頷いてしまいそうになったが……いいではないか、と辰也は何故か納得していた。


 たしかに、現実離れした場所に来てしまったが、今日はもう仕事は終わったことになっているし、腹も空きっ腹だ。


 夢のような場所に、少しばかり浸るのも悪くない。それはきっと、香取だった時と同じ笑顔で待っててくれるこの妖怪の醸し出す雰囲気のお陰もあるだろうから。



「お願い、します」

「では少々お待ちを。ああ、せっかくですから……良い稲庭うどんが手に入ったので、そちらでお作りしますね?」

「うどんでカルボナーラ?」

「割とポピュラーですよ? 人間の方達も時々作られます」

「……火坑さん。なんで今日あそこに?」

「ああ。仕入れも仕込みも終わったので、勉強がてら久屋ひさやの料理屋を回ってたんです」



 それで、人間に化けていたそうだ。今の猫のような妖怪のままでは、たしかに人間社会に紛れるのも難しい。


 待っている間、腹の虫がまた暴れ出しそうになったが。




 ガララララ!!




 いきなり引き戸が開いて、誰かが店に入ってきた。



「み」

「つ」

「けた〜〜〜〜!!?」



 入ってきたのは、人間ではなく小さなカワウソのような生き物。


 しかも、一匹じゃなくて三匹。


 そして、辰也を見るとすぐさま土下座してきたのだった。



『すいやせんした〜〜〜〜!!』

「はあ?」



 初対面でいきなり謝罪される意味がわからないので、辰也は首をひねることしか出来ず。


 けれど、床はいくら火坑が掃除してても汚いと思ったので、顔を上げさせようとしたら。開いたままの引き戸の向こうからタバコの匂いがしてきた。そして、辰也の目に飛び込んできたのは。



「やーっと見つけたぜぃ。かまいたちの被害者」



 未だ土下座したままのカワウソよりも大柄なカワウソ。それが、人間のようにタバコを吸っていたのだ。

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