第2話『スッポン雑炊』

 ここは……いったいどこなのだろうか。


 鈴の音につられて、ビルの隙間を通って来ただけだ。さかえの表通りに出るだろうとは思ったが、そうではなかった。



「いらさいませ〜!」

「寄っておくれやす〜、いい酒揃ってるよ〜?」

「ほらほらほら! お兄さん、寄っとくれ〜?」



 勧誘文句などは、ついさっきまでいた錦三きんさんの歓楽街となんら変わりない。


 だが、彼らの見た目が違っていた。


 狐耳、たぬき耳。猫耳に犬耳。


 顔も、人間のようでいて違うのもいる。


 思わず、美兎みうは夢か、と頬をつねっても痛いだけに終わり。さらに、前に進もうとしたら頭に何かを強くぶつけてしまったのだ。



「い゛ったーい!?」



 かなり大声を出してしまったが、周りの喧騒が鎮まる様子はない。


 そんなことよりも、頭を強くぶつけたことで星が飛んでしまうくらいの痛みを感じたが。……やはり、誰も気にかけてくれない。



(……悪酔いして、変な夢見てるのかな…………?)



 けれど、この痛みは……と思っていると、誰かに肩を軽く叩かれた。



「……大丈夫ですか?」



 男性の声。


 けれど、キャッチとかナンパとかではなくて、本当に美兎を心配しているような優しい男性の声だった。ゆっくりと振り返れば、変な猫耳とかはない普通の男性の顔が見えた。と言うことは、あの変な人達は何かの仮装なのだろう。今は春なのでハロウィンも何も関係ないが。



「……はい。大丈夫……です」

「それなら良かった。すごい音が聞こえてきたので……」

「……あはは……」



 情け無い。


 悪酔いしていたのもだが、人様に心配をかけるようなことまでも。思わず、ぺこぺこ謝っていたら、口に違和感を感じた。


 あの鈴の音で消えていたと思っていた吐き気が、ぶり返してきたのだ。



「うっ……!?」

「? どうしました?」

「すみま……うぇ……!?」

「! 僕の店そこなんです! お手洗い使ってください!」

「……う……は、い」



 その男性の店は、ちょうど美兎がぶつかった看板の後ろだと分かったのは。


 トイレでリバースしまくって、胃の中のものが空っぽになった後だった。


 店の中は、こじんまりとしたカウンターがほとんどの小さな空間。テーブル席は、奥に座敷がちょこんとある程度。


 美兎は出入り口の引き戸に近い席に座らせてもらい、カウンターテーブルに突っ伏していた。初対面の人に無様な姿を見せてしまった恥ずかしさもあるが、まだ体力が回復していないのもある。


 店員は男性しかいないようで、狭い厨房で何かを作っているようだった。紺色の板前さんのような服装を見る限り、ここのメインは和食なのだろうか。


 気力が少し回復してきたら気になってきた。悪酔いしていた原因が、何も食べずに酒だけかっ食らってせいもあったからだ。


 かつお出汁とも違う、優しいお出汁の香気こうきが鼻をくすぐる。空きっ腹に刺激してくるようなその香りに、次第に顔が上がっていく。


 顔を上げると、男性と目が合い、彼はにっこりと笑ってくれた。決してイケメンとも言い難い顔つきなのに、何故か美兎はドキッとしてしまう。



「落ち着かれたようで何よりです」

「……ご迷惑、おかけしました……」

「いえいえ。お顔もすっきりしたようですね? お腹の空き具合はいかがです?」

「? ちょっと……空いてます」

「でしたら、これはいかがでしょう?」



 そう言って、彼が出してくれたのは。さっきから香ってくるいい出汁の匂いそのもの。質の良さげな陶器の器に、米、卵、刻みネギとあとひとつなにかが入っている……。



雑炊おじや、ですか?」

「びっくりした胃を落ち着かせるのにいいですよ? どうぞ、お召し上がりください」

「じゃあ……」



 ネギ以外にも何か薄ネズミ色の欠片が混ぜ込まれている。だが、それが気にならないくらい、出汁の良い香りと卵の火の入れ方。


 相変わらず鼻をくすぐる出汁の香りは、自炊をしないわけではないが市販の出汁とは思えない、良い香りだ。わずかににんにくの香りがするくらいしかわからない。


 卵は、普段のランチでも早々お目にかからないくらいの、ふわとろ加減に見えた。胃の中を綺麗さっぱりにしてしまったから、きゅるると自然とお腹が鳴ってしまう。昼も、携帯食で簡単に済ませてしまったから。


 ひと口、口に入れると。



「!?」



 口の中で、卵と米がほぐれた。


 味わったことのない出汁の旨味を程よく吸っている米のとろみが、舌の上でほぐれるのだ。追い打ちをかけるような卵の優しいふわとろ加減。あとひとつ、何か粒々としたものがやってきたが。噛んでも少し苦味を感じるくらい。


 もうひと口、粒の部分を意識して口に入れたら苦味は感じたが正体がよくわからない。だが、決して嫌とかではなくて、その粒のわずかな苦味が出汁の旨味をさらに引き立てているような。


 表現が難しかったが、美兎はひと口ひと口味わって食べていく。



「いかがでしたか?」

「! 美味しいです! これ……なんの雑炊ですか?」



 おかわりはいかがかと聞かれたので、美兎は遠慮なく器を渡した。


 男性は器を受け取ると、後ろにあるコンロの鍋からよそい、小ネギを散らしたのだった。



「スッポンですよ?」

「……スッポン??」



 月とスッポンと言うことわざに出てくるような、あのスッポンかと美兎は首を傾げるしか出来なかった。

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