第17話 ダイ・ハード(1)
何事もなく、1ヶ月余りが過ぎていた。
とはいえ、表面的な話だ。水面下では主にレオがあれこれ手を回しているのは確かだった。カーラが、頻繁にレオの商会を訪れているからだ。
もう一つ、大きく変わったことがある。
「バルカさん、これ、新作です。飲んでみてください!」
アリスが、クロエに習って
「いい子過ぎて泣ける」
「もー、だからこの世界ではわたしがお姉さんなんです!」
思わず口に出てしまった本音にアリスが全力で照れる。
魔法薬作り……いわゆる錬金術は魔法の才能がなくても手先の器用さや配合、そして素材の変化を見極める能力があれば誰にでもできる。更にいいことに、錬金術を学ぶことで隠された魔法の才能が発現することがあるという。
「……物質界の、変化を通して……、
とはクロエの弁。
「でも……、カーラ姉は、堪え性がないから……。絶対、むり。ふふふ」
「余計なことは言わなくていい」
すぱん、とカーラが手刀をクロエの頭に叩き込んでいた。
――
そんなとある日曜の朝、俺は地下室で週の締め作業と検算をしていた。
本来、日曜の労働は禁止されている。であるから、国や伯爵に提出する書類ではなく、あくまでも検算作業、確認作業のみをさせてもらっている。何か言われても、「これは計算の勉強を、店の帳簿を使ってやらせてもらっている」から労働ではなく、勉強なのだ。お金も動かないし。
そんな、日曜日にも関わらず、熱心に勉強をする俺のところに、ちょっと楽しそうにアリスがやってきた。手には蓋付きのバスケットを持ち、襟首が大きめに開いた、ちょっと大胆に見えるワンピースを着ていた。白い肌が美味しそう……。
いやいや、珍しくちょっと着飾った外出着だ。
「出かけるのか?」
俺は眉根を寄せて訊ねる。もちろん、ひとりで外出はできるだけしないようにさせていたからだ。
といっても、俺は俺で色々やることがあり、昼間外出することがほとんどなくなってしまったから、不便をかけてしまっている。
「うん。ちょっと朝市に……。そんな顔しなくても、大丈夫ですよ。明るいし、人いっぱいですから」
心配性だなーと笑う。そりゃあ、心配するのは当たり前だろうと思う。なんだかんだと、もう2ヶ月近くも一緒にいるのだ。職場だって2ヶ月もいればある程度、人間関係ができる。それが、職場どころか四六時中一緒にいる、疑似家族みたいな状態なのだ。
情が湧いて当然だろう? にんげんだもの。ばるか。
「そうかもしれないけど、あんまり路地とかには近づくなよ? 後、馬車と壁の間とか通るなよ? 人が多い分、誰も注意してないことってあるからな」
この時代、馬車がハイエース的に使われるかはしらないが、使おうと思えば使えるだろう……。気をつけるに越したことはない。
しかし、アリスははいはい、と笑う。まあ、心配されるのを楽しんでいるところもあるな、と思う。
「分かった、行ってらっしゃい。気をつけてな」
「はーい、言って来ます。バルカさんの好きなワインあったら、買って来ますね」
「あのまずい奴な」
俺が言うと、アリスはふふっと笑って、ワンピースの裾を翻し、花の香りを残して地下室を上がって行った。
俺はやれやれ、とため息をついて計算に戻る。金額があうのはもちろん、数量、棚卸、それから原価計算。やることは多い。
そもそも、クロエもあまり原価計算などはしっかりしていなかったようだ。というか、そういう概念がそもそもあまりないようだ。レオのところのように大きな商会を構えて、船舶貿易までしていたらさすがに違うだろうけれど、ざっくり、お金がなくならなければいいかな、くらい。税金も、売上にかかってきて、利益にはかかっていない。
特に魔法薬については、材料が多岐に渡る分、かなり適当に管理されていた。よく売れるのに。ものによってはどう考えても赤字だ。
外の音が遮断され、日の光も入ってこない地下室は、じめじめする以外は、意外に書類仕事――もとい、勉強に向いている。まあちょっと薄暗い気もするけれど、寒暖差もないので快適だ。
「バルカ? バルカ!?」
だから、カーラに肩を揺すられて起こされるまで、スヤスヤと安眠してしまっても仕方がないのだ。お布団をかぶっている訳でもないのに、いつの間にかぐっすり眠ってしまっていたようだ。
書類仕事は、まあまあ捗ってはいるけれど、予想ほどではない。結構早めに意識を失ってしまっていたらしい。睡魔を感じた記憶すらない。最近、平日でもこういうことが多く、クロエが日中の売上なんかを管理して、夜、俺がマクシムとの訓練の後に、更に一日の締めなんかを行う、となりつつある。
「ん、ああ。ごめんごめん。少し寝てたみたいだ」
カーラは日中、俺がちょくちょく寝落ちすることを知らないので、酷く心配そうな顔をする。
「その大丈夫か? 死んでるかと思ったぞ」
そういう彼女の方が、顔が青ざめて見える。
「いや、大丈夫。最近、夜の方が仕事が捗るから、昼間はついね。で、なんか用?」
俺は、んーっと伸びをしながら訊ねる。無理な姿勢で寝てた割には、体のどこかが凝ったりした様子はない。日々の訓練のたまものだろうか。
「そう、ならいいが。……で、アリス知らないか? 帰ってないんだが」
「アリス? さっき朝市に行くってここに来たけど」
俺の顔を覗き込んだカーラが怪訝そうに顔をしかめる。
「さっき? もう夕方だぞ?」
「え、そんなに時間経ってたのか……」
思ったより寝ていたな。睡魔はどこの世界でも強力だ、とか言っている場合ではない。嫌な予感が肌を粟立たせる。
「クロエは? 知らないって?」
「ああ、やっぱり朝から見ていないそうだ」
俺はぎゅっと唇を引き結ぶ。
「探してくる」
「待て」
走り出そうとしたところを、手を掴んで止められる。
「行くにしても、ちゃんと準備をしてからだ。子どもじゃないんだから、道に迷って帰れない、なんてことはない」
それは最悪の事態を前提として動け、ということだ。
呼んだら、多分、いたずらっぽい笑みを浮かべてすぐに出てくるはず。俺はそう思いながら、手甲をつけ、腰に
「あたしは旧市街を見て回る。お前は……」
「市が立つ方と新市街を見てくる」
よし、とカーラは頷いて、店奥で座っているクロエに目をやる。
「クロエは」
「留守番……、している」
一人は残った方がいいだろう。俺たちは頷き合って別れた。時刻は夕暮れというよりは、夜にさしかかる時刻。陽はもう落ちている。……こんな時間まで、さすがに出歩くことはない。
声を出して、二度、三度呼んでみるものの、アリスというのはよくある名だ。まばらに過ぎ行く人が、何事かと振り返る。幼い娘を探しているか、痴話喧嘩で出て行った恋人を探しているか、そんな風に見られているのだろう。
別にどう見られても構うことはないけれど、通行人からは有力な情報は得られなさそうだ。そもそも、何か事件が起きていたらもっと大騒ぎになっているはずだ。ということは、本当の意味で最悪の事態には、なっていないはずだ。少なくとも今は。
しかし、橋にさしかかり――、消えた3人の聖職者とその末路を思い出し、わずかに湧き上がった楽観はすぐにどこかに行ってしまう。緩やかな大河の流れは、小石ひとつふたつ、投げ込んだところですぐに元の穏やかさを取り戻してしまう。
新橋を走り抜け、新市街の朝市が開かれる広場に駆け込む。もう、もちろん朝の活気は失われている。一方で、物騒な様子もない。俺は胸をなで下ろし、それから巡回している衛兵の腕を見て、固まった。
見覚えのある蓋付きバスケットが、甲冑姿には不釣り合いに握られている。間違いない、アリスが使っていたバスケットだ。
「あのっ、それ!」
「こんばんは、市民よ。何か……このカゴは君のかい?」
衛兵は穏やかさを失わずに応じた。
まあ、トラブルには慣れっこだろう。俺は焦る心を一旦落ち着けるため、とんとんと自分の胸を数度叩き、改めて話し始める。
「いや、……朝から帰らない家族が、持って出かけたものに似ていて」
アリスのことをなんと説明したものか迷って、家族と表現した。血縁は見るからにない二人なのだが、細かいところにこだわっている場合でもない。
「なるほど。……これは朝市が終わった時にそこの、路地の近くに落ちていたものなんだ。中には何もないみたいだし、何かの助けになるかな?」
そういって、衛兵はバスケットを俺に押しつけるようにしながら、近くの路地を指さした。強引な動きに戸惑いながら、俺は受け取り、軽く会釈して路地に向かった。
そこは、白い漆喰塗りの家と、石造りの家の間に挟まれた、薄暗い路地だった。あれほど路地には近づくなと言ったのに……、後で説教してやらなくては。そう、後がある、と強く自分に言い聞かせながら、俺は思う。
しかし、その路地はすぐに突き当たる壁があり、人が潜んで不意打ちをするだけならばともかく、誘拐には使えなさそうだ。警戒しながら近づいても、乱暴に積まれた荷物やごみの間に、誰かが潜んでいる様子もない。
俺は改めて、落ちていたときの様子や時刻を訊ねようと、先ほどの衛兵の姿を探したが、広場には既に猫の子一匹見えない。ぽつん、と取り残されたような気分だ。
――せめて、最後に何か言っていけよ。
まあ、衛兵にしてみたら伯爵領が守れればなんでもいいのだろう。落とし物や失せ人などは最初から管轄外だ。
それでも何かヒントが得られないか、俺は未練たらしく路地を見、そしてバスケットの中を見て、そこに紙が入っているのを見つけた。新聞の切れ端だ。記事は、先月の聖職者3人の変死事件のもの。
裏返すと、新市街とその周辺の地図にバッテンでマークが描かれている。そして、汚い字……というか、恐らく見よう見まねで書いた字で『ひとりでこい』とだけ書かれていた。
――中には何もない、だ?
ろくに中も見ずに軽さだけで言ったのか……、協力者だったか。どっちでもいいか。路地を見たときに、後ろから切りつけられなかっただけマシだ。
幸い、指定の場所はここからならそう遠くはない。それに、1人で来いというご指名だ。下手にカーラやクロエと会って、人を呼ばれたと思われたらまずい。
何よりも。
――随分と舐めくさった真似してくれる。
全身で、どろどろとした怒りがゆっくりと暴れ回る。
俺は怒りのままに走りだし、城門を抜け、指定された位置へと向かった。そこが何を意味しているか分からなかったが、近くに行けば分かる何かくらいあるのだろう。
そうでなければ、この手紙を寄越した奴は、よほどの大馬鹿者だ。
――
1時間も休みなく野山を走っただろうか。地図で記された辺りまで来ただろう。そう思って辺りを見回すと、なるほど、分かりやすいと言えば分かりやすいか。
林だったところから、急に周囲一面が灰色の世界に変わっている。辺りには、つるはしや手押し車が置かれ、また建材に使われる石材の塊……岩が無造作に転がされている。石切場という奴だろう。ここで切り出された石を細かくしたり成形したりして、コーマンに運び、利用するのだろう。
もしここにアリスを誘拐した人物がいるのなら、日曜の休みを利用したのだろうか。それとも、この石切場は、理由があって今は使われていないとかだろうか。
俺は歩を緩めて、
物陰なども慎重に確かめて行くと、崖に開いた横穴に、簡単な木の扉がつけられている。地面に耳をあてると、周辺で何かがしゃべっているようだ。潜むにしても、誰かを閉じ込めておくにしても、この横穴はうってつけの場所だ。
俺が扉に手をかけると、どこからか大きな蝙蝠が飛んできてキィキィ鳴きながら旋回した。この蝙蝠の巣だったのか、あるいは偵察だろうか。偵察だとしても……もともと呼び出されてやってきているのだし、特に困ることもないな。俺は苦笑して扉を押した。
果たして、扉はきしみながらもスムーズに開いた。使われている証拠だ。鍵でもかけられていたら、蹴破るしかないと思っていたから、その点は助かったと言える。
扉が開くと、飛んでいた蝙蝠が洞窟の中に入って行ってしまう。やはり巣だったのか。
横穴は思ったより広い。石切だけでなく、この横穴で鉱脈かなにかが見つかったのだろうか。補強された坑道が奥へ奥へと、木材でところどころ補強されながら伸びて行っている。曲がりくねってはいるが、一番奥の方からは、何か炎が揺れるような、そんな光が見える。
俺は目が闇になれるのを待ってから、靴を脱ぎ、ひんやりとした石の上を慎重に進み始めた。
――待ってろよ、アリス。
無事でいてくれ。
祈るような気持ちで、そうつぶやいた。
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