第15話 聖なる蛇の団(2)

 一見、無防備に姿勢を高くしたまま近づく。松明持ちは、少しだけ警戒したのかもしれない。


 けれど、小剣ショートソードの方が間合いで優位。しかも数的優位もある。俺の予想通りに、袈裟懸けに切りつけてくる。


 サウスポースタイルに切り変えたことで前に出た右手で、小剣による剣戟を右側に払いながら、向かって左に入り込む。剣戟の軌道に沿う形になることで、ごく自然に剣が流される。


 相手三人の懐に飛び込むことになり、それに加えて松明の陰になる。咄嗟には、状況を呑み込めないだろう。


 俺はその隙をつき、回り込む動きをに変えて、勢いと体重を乗せた裏拳を、もう一人の小剣持ちに叩き込む。普通、拳鍔ブラスナックルは裏拳には向いていないが、は、小指側が少し突き出ている。


 ――つまり、逆手に持ったダガーと同じように、手首をひねれば金属片の一撃になるのだ。


「がっ……」


 声だか、息だか分からない音を立てて、中央の小剣持ちが倒れる。兜なしで受ければ、脳震盪は免れないだろう。回転の動きを利用して、更に右からのフックを、今度は短剣ダガー持ちに放つ。


 だが、こいつは一度俺に殴られていて、警戒していたのか、刃物を持った優位を生かそうともせずに距離を取った。何もない闇を拳が虚しく引き裂く。


 ――追撃するか? いや……。


 踏み込んで更に左のストレートを出せば届く。が、俺はそうしなかった。変に踏み込むとバランスを崩して倒れる可能性がある。スリップでもなんでも、一度転倒したら、刃物を持つ相手の圧倒的優位が確定する。


 果たして、この判断は正しかったのか。


 熱いのか冷たいのか、それとも痛いのかも分からない。とにかく感覚が俺の背中を襲う。それから少し遅れて、ぬるっとした何かが背中を伝い落ちる。


 それが、血だと理解するのに時間はかからなかった。松明持ちに切られたのだ。


「くそっ」


 状況として、正面に短剣持ち、背後に松明持ち。足下の小剣持ちは、多分すぐには起きてこないが……、挟まれた状況なのは間違いない。飛び込んだのが失敗だったか? いや……。


 俺は、右に咄嗟によける。つまり、元正面方向――C&Cがある方向であり、アリスが逃げた方とは逆の方向。逃げを打つには今しかない。だが、痛みを余り感じていない割には、体が動かない。脳内物質の作用で、痛みを感じないだけで、実際は相当なダメージなのか。


 そこへ追撃とばかりに松明が叩きつけられる。


「この! 我らを! 聖白蛇騎士団ホーリーホワイトスネイクオーダーを侮辱した罪だ! 聖なる炎で焼かれてしまえ!」


 松明持ちは俺の動きが鈍ったところに、松明を何度も叩きつけ、肩と顔に押しつけてくる。髪と肌が灼け、悪臭が立ち上がる。肌と肉が焼け、瞳が渇き、口腔が爛れる苦痛が俺を限界まで苛む。


 ――脳が沸騰しそうだ。


 振り返って松明を振り払おうとするが、血が流れ出てしまったせいか、思うように体が動かない。やはり、武器持ち相手に挑むのは無謀だったか。しかし、アリスが逃げる時間は稼げた……はずだ。


「血、俺の……血……」


 そうして、俺の意識は、闇に呑まれた。


――


「……ルカさん! バルカさん!」


 泣きそうな、いや、泣いて鼻声になって、更に喉を涸らしたアリスの声がする。せっかくの金糸雀カナリアのような美声が台無しじゃないか。金糸雀の声聞いたことないけど。確か、「かしらー!」って鳴く。


 まだ眠いような気がしたが、そんな声を出されたら目を開けないではいられない。俺は、ゴツゴツした石の床から、無造作に起き上がり、アリスとデコとデコをぶつける。


「おっふっ!」


「痛……、バルカさん!? 大丈夫ですか?」


 急に起き上がったことに抗議するより先に、アリスは俺の両肩を掴み、涙で濡れた顔を近づけてくる。その顔は松明に照らされていて、背後に甲冑姿の男がいる。市中警邏の衛兵だろう。


 辺りを見回せば、古橋の真上……。蛇だかナメクジだかいう連中に襲われた場所だ。手をつくと、ぬるりと滑る。その感触に周囲を見回せば、松明と星明かりだけではよく見えないが、大きな染みが広がっている。血だ。


 ただ、俺とアリスと衛兵と、それしかいない。ナメクジ三すくみの姿は、なかった。


「くそ、あいつらは?」


 俺は痛む頭に手を当て、意識をはっきりさせようとかぶりを振った。俺は完全に負けた……、殺されるか、目的があるなら連れ去られるか、相手の思うがままにできる状態だったはずだ。なのに、何故ここにが残った?


 気を失うほどの出血だったとも思えないが……、そう思って背中に手を当てると、切り傷が残っていた。


「分からないです。兵隊さんを呼んで、急いで戻って来たら、バルカさんが倒れていて……」


 べそべそと、アリスが言う。俺はその頭をくしゃっと撫でた。


「出血しているようだ。早く戻って休んだ方がいい」


 衛兵が松明を掲げて言う。俺ほど夜目が利かない彼やアリスは、恐らくこの血だまりの全容に気付いていないだろう。人一人が流したとしたら、確実に死んでいる量だ。それどころか、ミイラになっていてもおかしくない。


 ――ブランのように。


 が、それに気付かれてあれこれ聞かれるのも、色々と面倒だ。夜が明ける頃には、古い石に吸われて、血の量も分からなくなっているだろう。


「三人組に襲われたと聞いたが、心当たりは?」


「いや……、全く」


 衛兵の問いを俺は即座に否定した。あるかないかでいえば、実際のところは色々とあるのだけれども、俺たちが狙われる理由はあんまりない。ましてや、司教猊下の思し召しで生かされたのだから、教会関係者に狙われる理由はない。


 戦っていたときの反応から見るに、教会の中でも異端である可能性は十分にあるが、それならそれで、C&C関連で狙われる理由もない。正直、意味が分からない。


「そうか……。この時間だと治癒術士の手配も難しいが、動けるか?」


 言われて、俺は立ち上がり、トントンと跳ねて見る。問題なさそうだ。


「ああ……、大丈夫そう……です。誰かが助けてくれたのかも」


 こんな場所で? とも思うがそうとしか考えられない。司教や、あるいはあの謎の手紙の主とか。不可解だが、不可解に助けてくれる人がいることはこれまでのところ、事実だ。


「そうか。決まりだから、後で話を聞きに行くと思うが、旅人か?」


「いえ、C&Cというお店で、少し前からわたしとバルカさんは、住み込みで働いています。でも、ほんとに一ヶ月くらいしか経ってなくて」


 アリスが俺の腕を取り、話に割って入ってくる。怪我した俺を気遣ってくれているのだろう。ぎゅうっと俺の左腕を、親の敵でも絞め殺すかのように抱きしめている。


「C&C……、冒険の店か。まあ、君たちには悪いけれど、冒険者には素行の悪い者も多い。十分、気をつけて帰るんだぞ」


 そういうと、衛兵は松明を掲げて、自分の仕事は終わったとばかりに踵を返した。実際、犯人を捜したりとかはしないのだろう。こちらとしても、痛い腹を持っている身だから、その方がありがたい。


 衛兵の後ろ姿を見送っていると、アリスがぎゅーっと腕から胴へ、締め付ける対象を変えてきた。


「ごめんなさい、悪い子で……。わたし、アリス悪い子で……。本当にごめんなさい」


 そして、突然、俺の胸に顔をうずめて子どものように、声を上げて泣き出してしまった。


 どうしていいか分からず、俺はとにかく彼女の背中をさすることしかできなかった。少し落ち着いて、歩けるようになったアリスを連れて、C&Cに帰る間も、俺は警戒を怠らなかったが、特に何事もなく、嫌な気配を覚えることもなかった。


 アリスを部屋まで連れて行って寝かしつけて(行かないで欲しそうに服の裾を掴まれたが、断固として何もしなかったことを申し添えておく)、俺もそのまま地下の自室で休んだ。カーラに報告するか悩んだが、夜も遅かったのと、アリスの負担を考えて翌朝に回したのだ。


 そして翌朝。いつものように4人で囲む、朝食の席。


「聖白蛇騎士団、かぁ~」


 オートミールをミルクとチーズと混ぜて粘りを出したペーストを、パンに塗りながらカーラはため息をついた。地球でいうアリゴみたいなものだろうか。でも地球ではポテトスナックで作っていた気がする。裂いたチーズとぶち込んでレンジでチンだ。


「心当たりは?」


「「ある」」


 クロエとカーラが口を揃えて、アリスが口を尖らせる。


「あるなら、最初から教えてくれてたっていいじゃないですか。お陰でバルカさんが死ぬとこだったんですよ」


「……その通りだ、すまない。あたしの認識不足だった」


「ごめん、なさい」


 ぺこっと二人揃って頭を下げられる。が、謝られても仕方がないし、アリスはともかく俺は怒っているというよりは、疑問の方が大きい。


「でも、枢機卿の配下なら別にあんな闇討ちなんて真似をしなくても、正々堂々と店を調査するなり背教者として処刑するなり、いくらでもできそうなもんなんだけど」


 ましてや、末端も末端な俺とアリスを消したところで大した意味はないだろう。


「まあ、あたしたちもそう思ってたから油断した……っていうのは言い訳なんだけど。聖白蛇騎士団あいつらは正確には教会の非公認組織なんだ。構成員はちゃんと聖別された聖職者なんだけどな」


「んん?」


「そもそも教会は、あたしたちをそこまで敵視していないというか、あたしたちはあたしたちなりに、ちゃんと教会の教えを守った上で、吸血鬼ヴァンパイアハンターの活動をしている。だから、その暗黙のを破られなければ、本来は安全なんだ」


「ええと、詳しく」


 要約すると、こうだ。


 吸血鬼の存在を教会は認めない。認めないが、それとは別に、人間を邪悪なるものにする何か(悪魔憑きのようなものだろう)は存在している。人狼ワーウルフのような獣化症ライカンスロピーの呪いなんかもその一つだ。なお余談だけれど、獣化症は、土着の宗教によっては祝福とされているらしく、教会は吸血鬼以上に扱いに苦慮しているとか。


 ともあれ吸血鬼ハンターは性質上、そういった教会の敵と対峙することが多い。その意味では目的を同一にする組織ではあるのだ。教会としては、吸血鬼が実在するなどというデマを積極的に吹聴し、教会の権威を傷つけず、神の意志を尊重しさえすれば、積極的な介入はしてこない。


「もし、吸血鬼の実在を証明できたら、どうするんだ?」


「……どうしような。黙って、狩るだけかもしれない」


 カーラは暗い顔だ。存在しない証明は難しい。しかし、存在する証明は、可能だ。ただ、それを公表すれば教会の権威は失墜する。枢機卿が内政を取り仕切っているとなれば、国のあり方に影響が出る。


 ――事実はどうあれ、もみ消しに出るだろう。


「まあ、それはともかく、聖白蛇騎士団についてだが」


 聖白蛇騎士団は、教会の中の過激派、武闘派連中の集まり。枢機卿が吸血鬼はいない、と言ったのだからそれこそが神の意志である。疑義を差し挟むことは許さないと考え、武力行使をしてでも修正しなければならない、と主張する連中のことだ。


 正論ではある。吸血鬼は存在せず、人獣共通の病気を誤認しただけ。その存在を信じることは病気を広める可能性がある。それに、現代日本に育った俺の感覚には合わないけれど、教会と国の法律が決めたことなのだから、絶対に従うべきなのだ。


 ――若い奴がなりがちな、正論ばっか繰り返す奴。


 分かるよ分かる。まさに正論、その通り。でもそればかりじゃ上手く回らないのが社会ってもんで、教会からも疎まれているとのことだ。ただ、疎まれていても、主張は正論だから、強制解散もできない。それに、若者の暴走で目障りな吸血鬼ハンターを排除してくれるから、便利は便利。


 ――幕末の人斬りみたいなやつらだ。そのうち都合よく消されそう。


「なるほど、大体把握した。っていうか、その聖白蛇騎士団が吸血鬼の隠れ蓑にちょうどよさそう……」


「ちょ、おま! 馬鹿!」


「バルカ……しーっ」


 カーラ&クロエが慌てて俺の口を塞ぐ。


「壁に耳、あり。迂闊なことを、言うもんじゃない」


 ふーっとクロエがため息をつく。


「彼らは聖別された聖職者だ。万に一つも邪な吸血鬼であるはずがないんだよ」


「な、なるほど」


「バルカ、お前。そういうことどっかで言ってないか? それで狙われたのかもしれん」


 口は災いのもとって奴か。ただ、思い返してみても、そんなことを言った記憶がない。


「……そもそも俺、しゃべるような友達、いないし」


「お、おう……」


 いや別に、コミュ障だからとかじゃないから! なんかカーラが哀れんで見てくるけど、他所でしゃべる機会がないだけだから!


 実際ネットもSNSもない世界で友達ってどうやって作るんだ? え、無理ゲーじゃない?


「原因は、ともかく……。狙われ、ている。状況を、なんとか……すべき」


 クロエの言うことはもっともである。


「現状をなんとかするってなると、襲われないようにする、襲われたときの対処を決める、根本から止める……か」


「夜、出歩くのは……、控える?」


「いや~」


 小首をかしげて言うクロエに、俺は渋面を作った。店が襲われる可能性がある以上、訓練をやめるのも下策な気がする……、というか。


「……レオって、吸血鬼ハンターの仲間なのか?」


 俺は声を潜めて訊ねた。


「ん、ああ。協力者だ」


 カーラは特に、気にした様子もなく首肯した。


「なるほど。それなら、標的は俺な気がするし、訓練をやめさせるのが目的の可能性が高いな」


 俺の言葉に、3人がどういうこと? という視線を向ける。俺は、レオから決闘の代理人を依頼されている……、というか、その可能性があることを教えた。さすがに、それを利用した暗殺まで企てていることは省いたけれども。


 つまり、C&Cの従業員だからというよりは、レオにも加担したように見えるから……、または、レオの商売敵が聖白蛇騎士団を利用してけしかけた可能性が高いのではないだろうか?


「なんとなくだけど、聖白蛇騎士団って、名乗ってる奴は多いけど、バラバラな組織だろう?」


「ああ。よく分かったな」


 多分、どこかにオリジナルの聖白蛇騎士団はあるのだろう。ただ、多くはその理念に共感しているけれど、本家とはほぼ無関係な追従集団フォロワー。地球でも割とよくあった話だ。それこそ、幕末の人斬りなんかは、理念というか政治方針を盲信して、議論も何もなく、単に行っただけというパターンもあったという。


 そもそも、情報を共有している大きな組織だったら、C&Cの存在が聖白蛇騎士団に知られた時点で、もっと苛烈に攻撃されているだろう。そうならないのは、組織力リソースに限界があり、継続して戦いを続けられないからだ。


「なら、やりようはあるな」


 俺は不敵に笑って見せた。命のやりとりの経験は浅いが――そういう、小さい嫌がらせをしてくる小集団とは、ブラック企業で散々経験している。


「向こうが白蛇なら、こっちは黒蛞蝓ナメクジだな」


「え、やだ」


 アリスが秒で拒否され、俺のボキャブラリーを駆使した比喩は採用されなかった。


 大体、蛇がナメクジが苦手なんていう無茶な、日本以外じゃ通用するわけがないのだった。

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