第14話 聖なる蛇の団(1)

 マクシムのところで拳闘を習い始めて2週間が過ぎた。魔法薬ポーションなしでは、ゴブリンの骨はおろか、木の板も割れていない。が、マクシムも、ときどきふらっと顔を出すレオも特に不思議に思う様子も失望する様子もない。


『そういうもんだ。でも魔法薬は関係ないね』


 とマクシムは言ったっきり。そのうち分かるという意味だろうか。


 やはりこれは、俺の左手に封じられた力がまだ目覚め切ってないとか、そういうアレソレなんだろう。


 ――んな訳ないか。


「今日もありがとうございました」


 俺は心からの感謝を込めて、マクシムに頭を下げる。日本にいた頃には考えられない謙虚さだと我ながら思うが、だって組み手で散々殴る蹴るされるんだから仕方ない。


 野生動物が親にじゃれつきながら狩りを覚えるようなもんだろうか。


 体罰反対! とか言いたいが、言ったところで強くなれる訳でもないし。


「ああ、お疲れ。あと、こいつもってけ」


 と言って放り投げられたのは、指を通して握り込む金属――日本で俗にいうメリケンサックこと拳鍔ブラスナックルと、手首から肘下までの前腕を守る手甲だ。手甲の方は、練習でも防具としての扱い方を教わっている。一見すると皮革レザーの袖だけれど、中に堅い木が仕込まれているはずだ。


「ありがとうございます、えと……」


「どうにも妙な……。キナ臭い連中が街を嗅ぎ回ってる。気にしすぎかもしれねぇが、お前もお前んとこの店も、探られて嬉しいことばかりじゃねぇだろ?」


 ――正直、嫌なことしかないです、先生!


 いや、よっぽどの聖人君子でもなければ、そもそもこそこそ探られて嬉しいはずがない。


 マクシムの言いようだとC&Cが探られているのか、街全体を探った先にC&Cがあるのかは分からないが、まあ、とにかくこの先生は、野生の狼かと思うくらいなにかにつけてだ。ありがたく受け取って警戒しておくことにしよう。


「拳闘の利点のひとつ、暗器が使いやすい、だ。要らなくなるまではもっとけよ」


「はい」


「あーあと、それ、割と使い込んでるから……。そのうち作り直してもらえ」


 そう言うと、マクシムは街の外の草原に駆けて行ってしまった。いつものことだからもう慣れた。ただ、やっぱり初めて見たときはぎょっとした。翌日聞いて見たところによると、食事を狩りに行っているらしい。


 レオの決闘代理をしていたのは金が必要だったからというが、そんな生活でどこにそんなに使うのかが分からない。という俺の表情を読み取ったのか、一言『酒と女』と言われた。酒と女なら仕方ない。


 俺は汗を拭いて、練習着を着替え――少し悩んで渡されたばかりの手甲をはめた。拳鍔は、胴衣の内ポケットに中にしまう。これなら、比較的すぐに使える。帰る支度をしていると、街の方からランタンの明かりが近づいてくる。新河岸地区で、松明ではなく油が必要なランタンを使って近づいてくるのは、C&Cの身内くらいだ。


「バルカさん、お疲れ様です。終わりました?」


 果たして、それはアリスだった。まあ、クロエはカーラに睨まれながら、本日の締め作業中だろうから、大体予想はついていたのだけれど。


 ――連日、クロエだけに任せてちょっと申し訳ない。


 でも、だから週の締めは俺が日曜にやると申し出たのだけれど、日曜は働いたら駄目だときつく言われた。商店……、というか、お金が多く動く職業は教会からの指導が強く、営業しているとご指導が入るそうだ。


 別に脱税をしていたりご禁制の品を扱っている訳ではないが、吸血鬼ハンター活動がバレる怖れがあるということで、特に気を遣っているらしい。政教分離がされていないと、いろいろと大変なようだ。


「ああ、ちょうどさっきね。……夜、一人で出歩くのは危ないだろう。特にこの辺は、治安もよくないって聞くし」


「バルカさんは、騎士ナイト様だから守ってくれるんでしょ? 大丈夫ですって」


 ぷくっと頬を膨らませる。クロエへのヤキモチというか、なんというか。もちろん、何かあったらアリスだろうがクロエだろうが全力で守る。が、それとこれは話が別なのだ。


 ――まあね? わざわざこんな美少女に迎えに来てもらえるとか、地球では考えられなかったことなんでぶっちゃけ嬉しいんですけど。見てるか過去の俺。


「ここに来るまでが危ないだろって話だー。大事なアリスなんだぞ」


 おどけて言うと、顔を真っ赤にして頷く。本当によく表情の変わる子だ。


 こんなところでじゃれついていても仕方がない。俺はアリスを促して――促した手を実にナチュラルに繋がれて――歩き出した。季節は春から夏に変わる頃とのこと。それでも河岸の夜風は冷える。


 繋がった手が、とても温かかった。


 そして、人気のない夜の街を、今日の店での話や、訓練の話なんかをしながら二人で歩く。ただ、ラージュラ村でのことや、もっと昔のことは、未だにお互い余り話すことはない。


 俺にとっては、通りすがっただけの小さな村だけれど、アリスにとっては人生の大半がそこにあったから。


 古びた石造りの古橋にさしかかる。幅が狭く、街灯もないため、昼でも人通りの少ない橋だが、夜にここを渡ろうとする者は少ない。


 そんな古橋だが、今日は珍しく反対側から松明を掲げた三人組が渡ってきている。背格好は外套に隠れていてよく分からないが、全員、男だろうか。そこそこ背が高い。


 鼻の奥にじんわりと、なんとも言えない不快な――嫌な予感がした。俺はアリスの手を引いて、彼女の頭が俺の肩に触れる程度まで近づけた。何を勘違いしたのか、アリスは手をしっかりと絡めてくる。


 ――違う、そうじゃない。


 サングラスをして粋にキメたくなるが、もちろん、そんなことをしている場合ではない。空いている左手で、内ポケットから拳鍔を取り出して握りしめる。


「C&Cの新入りだな?」


 果たして俺の嫌な予感――マクシムの警告は当たっていた。三人のうちの一人から投げかけられた言葉は、確認の意味ですらなかった。俺は、咄嗟にアリスの手を離し、拳鍔を握り込みながら背後にかばう。


 ほぼ同時に、ランタンと松明の明かりに、小剣ショートソード短剣ダガーが濡れる。狭い道で同士討ちを避けるには、なかなかいい選択チョイスだ。


 古橋は、一応5, 6人は横に並べる広さがあるが、た状態ですり抜けるには狭すぎる。つまり、俺一人で足止めできる。


「逃げろ!」


「でも!」


「大丈夫だ!」


 アリスが一旦対岸まで行って、別の橋から店まで逃げられれば、とりあえずは大丈夫。店の周りで待ち伏せされていたとしても、カーラやクロエがいれば、多分大丈夫なはず。


「シッ!」


 問答無用、とばかりに短剣を逆手に――つまり、小指側に刀身がくるように構えた男が突っ込んでくる。直線的な刺す動きで、つい動き。相手もそれを見越して、分かりやすい動きをしているのだろう。


 ――狙いは、俺の足止めを突破して、アリスを捕らえに行くこと。


 が、それは俺にとって好都合な思惑だった。何故って? 他に待ち伏せをしかけている連中の仲間がいないという証拠だからだ。心置きなく足止めに専念できる。


 俺は左手を内側に回転させる動きで、短剣を持つ右手の前腕を叩きつつ、向かって左に回り込む。更に、残った右手でフックを叩き込む。体重の乗らない一撃だったが、拳鍔を握っての一撃だ。相手の気勢を削ぎ、俺に敵意ヘイトを向けさせるには十分だ。


「威勢よく襲ってくる割には素人だな。さてはキモ童貞がC&Cの美人にモテないのは俺がいるせいだー、とか思ったな?」


 追撃は入れないで、言葉の追撃を入れる。


「ぐっ、ふざけるな! 我ら聖白蛇騎士団ホーリーホワイトスネイクオーダー、貴様らのような背教の民のように淫らにまぐわったりはせん!」


 鼻の頭を抑えながら、短剣で突っ込んできた奴が言う。見事な自己紹介だが、キーワードを拾う限り、聖職者――教会からの手先といったところだろうか。


 表立ってはカーラたちの尻尾を掴めないから強攻策に出たというところだろうか? それにしたって、無理矢理店を抑えたり……、そもそも俺たちが孤立したところを狙う理由もなさそうだ。


「あ、ほんとに童貞だったか。いやーごめんちごめんち!」


 短剣の男が、上から短剣を振りかぶって打ち下ろしてくる。見え見えの大振りの一撃だが、その分、力がこもっている。小ぶりな短剣の一撃でも、その勢いで刺されば簡単に致命傷になるだろう。


『いいか。簡単に「受け」ると皆言うが、受け「止め」る、受け「流す」、「払い」受ける、「向かい」受ける。一見似たような動作でも色々ある』


 マクシムの教えが脳裏に甦る。


『「向かい」受ける。言い方を変えると、パリイく。これは手甲のような防具や武器で、振り回される攻撃を受けるときに有効だ』


 その言葉通り、俺は相手の短剣を打ち下ろす動作に合わせ、先んじて手甲で持ち手を叩く。勢いの乗り切らない予想外のタイミングでの衝撃に、短剣を押す手が怯み、俺が加えた力以上の効果を発揮する。


 そのまま、先ほどと同様「払う」応用で、軌道を逸らしつつ、今度は十分に腰の入ったボディアッパーを叩き込む。


「げぼっ」


 口から色々な物をまき散らしてから、短剣を落とし膝をつく。町中だからか、俺を甘く見ていたのか、防具を着ていなかったのが失敗だったのだろう。そもそも、松明の明かりだけでは俺が拳鍔を握っていることを認識しているかどうかすら怪しい。


 まあ、好都合。


「おやおや、さすが童貞さん。イクのが早い」


 ――かくいう俺も童貞でね。


「ぐ、貴様……」


 手探りで落ちた短剣を探そうとする手を、思い切り踏みつける。俺もどこに短剣が落ちたかは分からないけれど、松明の明かりだけではそう簡単には見つけられないだろう。


「いい加減にせんか! 安い挑発に乗るな!」


 小剣を右手に、左手に松明を持つ男が一喝する。


「おやおや? 明かり持ちだから下っ端かと思ったら、お偉いさんだったの?」


 実際、厄介なのは松明の明かりだ。俺は比較的、夜目が効く。しかも、最近はずっと星明かりだけでマクシムの稽古を受けてきていたから、ますます磨きがかかった気がする。だから、なんとかして松明の火を消せれば、一気に俺が優位に立てる。


 しかし、偉そうな奴が持っている以上、率先して前に出て来てはくれなさそうだ。


「ははぁん、臆病だから戦わなくてもいいように、優しい上司のフリして明かり持ちを……」


「司祭様を馬鹿にするな!」


 俺のセリフの途中で、もう一人の小剣持ちが斬りかかってくる。それはバックステップで距離を取る。


 短剣持ちにひっかかって、転ばないまでも体勢を崩してくれないかと思ったのだけれども、さすがにそこまで素人ではないようだ。


 ――まあ、訓練を始めて2週間ちょっとの俺に、3対1でこの有様じゃほぼ素人か。


「落ち着くのだ、聖なる戦士よ。背教者故に、『明かりを持つ』意味すら知らぬのだ」


「そんなこと言われても、司教猊下は自分で松明持ってなかったぞ」


 記憶をたどって見るが、確か従者に持たせていた気がする。なんなら、俺に火をつけさせたし。


 ぐっと言葉に詰まる司教様と聖戦士。


「……猊下は俗世のしきたりも守らねばならんのだ! 戦士よ! この背教者を生かしておいてはならぬ!」


 青筋が浮き立つ音が聞こえてきそうな勢いで、司祭とやらが叫ぶ。橋の上だから、これだけ叫んでも夜間の警邏には聞こえないのか。いや、障害物のない川の上で、結構響いているから、そろそろやってくるか?


 ただ、逃げ場のない状況下で、襲われたのはこちらとはいえ、聖職者らしき3人と身元が不確かな俺では、どちらが疑われるかといえば考えるまでもない。科学的な捜査とか、厳密な取り調べとか、まったく期待できないし。


「覚悟!」


 小剣が上段から斬りかかってくる。短剣と違って逆手ではなく順手。だが、長剣ロングソード段平ブロードソードほど重みや遠心力が生かせる武器ではない。見え見えの軌道に見合う威力は得られないように思う。やはりそれほど荒事が得意な人種ではないらしい。


 左上腕を斜め45度に構えて、斬撃を受け流す。手甲に刃が立たず、かといって滑った刃が体に当たらない絶妙の角度。


 反撃の、引き絞った右のストレートは……、恐らく届かない。前跳躍ステップインで距離を詰めて打つか……? いやダメだ。


 俺は逆に後方に跳躍する。しかも、槍でもかわすかのように、思い切り、1m半は後退する。そこを、踏み込んできたお偉いさんの突きが通過していく。


 ――あのまま飛び込んでいったら……。


 間違いなく、腹を串刺しにされていただろう。手甲以外防具を身にまとっていないのは、俺も同じ。


 今更になって薄ら寒いものが俺の全身を駆け抜ける。相手は刃物を持って俺を殺しにきている。しかも、3人掛かりで。理由は分からないけれど。


「ホーリーなんちゃらと言いつつ、随分卑怯で姑息なのが得意なんだな。悪辣フォーリーの方がお似合いなんじゃないか?」


 俺はサウスポースタイルに構え直して、小刻みにステップを踏む。距離を取れば、当然武器を持った方が有利になる。


 俺が自ら距離を取ってしまった以上、相手は俺が飛び込んで行くのを待てばいい。しかも悪いことに、うずくまっていた短剣の男が、短剣をなんとか見つけ出して立ち上がってきている。


 踵を返して逃げてもいいが、まだ、揉め始めて3分も経っていない。逃げてはアリスが危険に晒されてしまう。


『バルカさんは、騎士ナイト様だから守ってくれるんでしょ?』


 すぐにぷくっと膨れる少女の顔を思い出す。森巨人トロルほど話の種にはならないだろうけれども、小鬼ゴブリンよりはいい。


「モテるつらさを、お前らにも教えてやりたいぜ」


 ここで突っ込むのは下策というのはお互い様。相手もそれは理解しているだろう。だから、顔を怒りで真っ赤に染めているものの、仕掛けてはこない。俺が挑発して、隙を見て逃げ出すのを待っているからだ。


 ――逃げた背中に罵声を浴びせられれば、いたく傷ついたプライドも少しはマシになるだろうし。


 だから、――俺は敢えて姿勢を、距離を詰めた。

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