第13話 河岸寺木人拳
クロエとの仕事が終わって三日後。朝。
C&Cの一同はそろって朝食を摂るのが、先代——つまり、カーラとクロエの両親の頃からの習わしだそうだ。そんなわけで、俺たちは、6, 7人くらいなら余裕を持って座れそうな大きな丸テーブルを囲んで、オートミールのミルク粥を食べている。
俺の正面、カーラ。俺の左にクロエ、右にアリス。大きなテーブルの人口密度は、日本並にめちゃくちゃだ。
「なあ」
「は、はい」
不機嫌そうなカーラにじろっと見られて、俺は小さくなる。構図は圧迫面接会場に似ているが、圧迫面接されているのは、俺の方。実際、ここ三日……。つまり、仕事から戻ってからずっとこんな感じだ。
まあ、初日はカーラもここまで不機嫌ではなかった。仕事は上手く行ったし、
——人間なら許せるけれど、ゴブリンやオークだった場合、そのまま脅威度が増すからあんまりよくないな。
とカーラは言っていた。
しかし、まあそんな上機嫌も1日しか保たなかった。いや、1日我慢しただけ、カーラは偉いと思う。俺なら、初っ端からキレてるね。我がことながら。
「何度か聞いたと思うが、それはどーゆーことだ?」
「俺にもさっぱり」
チュッチュしてしまったことは言っていない。ちなみに、実は戻ってからも何度かしているが、しかし誓って言うがそれ以上のことはしていない。クロエともアリスとも。
——だってしたくても……。
「何も、おかしいことは……。ない。バルカは、わたしの命を助けて、くれた……
左からクロエが腕を掴み、普段はローブに隠されていて目立たないが、実際のところ豊満な胸をぐいぐい寄せて主張してくる。左腕がもう、埋まってる。それに負けじと、
「それを言うならわたしもそうです! 見ず知らずで初対面の時に、丸腰なのに助けてくれました! おかしくないですー!」
右からも、ふにふにふわふわ。幸せであるが、しかしそれはそれでどちらに意識を集中していいか。いや、どちらに集中しても、正面のカーラに怒られる。
こんな
「いやまあ、それはいいんだけどよ……。というか、なんか弱み握られたりしてないか? 普通、そうはならないだろう?」
「それが、俺にもさっぱり」
「お前は黙ってろ」
「はい」
発言権はないらしい。
「弱み、なんて……。ない。これが、普通」
クロエの淡々とした返事にカーラがはぁっとため息をつく。まあ、アリスの方はクロエに毒されてというのが適切だろうし、クロエの方は、なんか、浮世離れしてるからな。
我がことながら、カーラには誠に申し訳ないと思っている。ドヤァ。
「いやっはっはっは。話は聞いてたけど、なかなかほんとに凄いことになってるね。おっとっと。お食事中のところ失礼するよ。ちょっとこっちに用があって寄らせてもらったよ」
と、店の方からにこやかに現れたのはレオだった。こんな美人二人に囲まれている俺を見て、嫉妬心をおくびにも出さないのはさすがの豪商というべきか、間に合ってるのか、
「……なんか、変なこと考えてないかい?」
気のせいである。
ちなみに、俺がレオと顔をあわせるのは最初の打ち合わせ以来だ。仕事の完了報告や経緯の説明などは、カーラとクロエだけですませたという。まあ、責任者だからね。
——それはいいんだけど、どういう説明がされたんだろうな。
特に、森巨人周りについてはいささか気味の悪さを感じている。あれがこの世界でも非常識なことだけは確実だ。
「ま、いいや。ちょっと待ってるから、食べ終わったらバルカ君、ちょっと付き合ってよ。——約束してた、先生のとこに案内するからね」
「「女の人ですか?」」
ハモるアリス&クロエ。苦笑するレオ。凄いぞ二人とも、レオの営業スマイルを崩せるなんて。
カーラの般若面が、もう邪神像とかそういうレベルになるという副作用もあったけど。
「あ、ありがとうございます。すぐ行きます」
がーっとミルク粥を流し込んで、慌てて立ち上がる。レオが上客だからどうこうというのではなく、社畜として身についた悲しい性だ。
食事休憩はできるだけ短く、記録上は1時間きっかり。
「カーラ、午前中で済むと思うから、借りてっていいかな?」
「ん、ああ。もちろん、よろしくお願いしますよ。こいつがもっと使い物になったら、うちも助かるから……。クロエとアリスは仕事だからな!?」
上客前に不機嫌を出すのも、という葛藤もあるが、奔放なアリスとクロエへのツッコミも忘れない。経営者は大変だ。二人は、言われてしゅんっとするがとりあえず大人しく従うようだ。
——これでもし、先生が女だったら、どんな反応だったかはちょっと気になる。
まあ、剣やらなんやらの先生で、女の人という可能性はそもそも低かろう。カーラたちのように女の身で武器を持ち、戦う冒険者もいるにはいるが、それでも男女比で言えば男の方が多い。戦争に狩り出される兵士や王宮警護の兵などはほぼ100パーセントが男だ。
「新市街の外れの方だから、……気になるならクローク持って行った方がいいよ」
レオが果たして俺たちの事情を把握しているのかは知らないが、少なくとも、カーラたちに話した以上のことは知っているような気がする。目の奥を怪しく光らせて、意味深に言う忠告に俺はありがたく従って、朝の活気に身を投じた。
日曜の市ほどではないが、朝は働きに出る人々や、漁や猟から帰る人々などで道はそれなりに混んでいる。俺はクロークのフードを目深にかぶって、大人しくレオに従う。
「やー、ごめんね、朝のお楽しみのところ」
夜のお楽しみではないので大丈夫だ。
「で、ちょっと考えたんだけど、……森巨人を素手で、ってのはなかなかない才能だからね。やっぱり、拳闘の先生を紹介しようと思うんだ。あー、もちろん、拳闘といっても武器も使うからね」
中国武術みたいなもんだろうか。まあ、平和な世の中でもなければ、大体戦いの技術は武具の扱いを含むだろう。
「俺はどちらでもいいですけど。……でもあれは
「僕も錬金術や薬学の専門家じゃないからね。それについて確かなことは言えないけど、もし魔法薬を飲むだけで森巨人を殴り殺せるなら、人類は神と悪魔の軍勢を滅ぼせるだろうね」
冗談だか本気なんだか分からないことを言う。というか、人の往来の激しいところで使っていい比喩ではないように思うが。
比喩はともかくとして、一部の人間には俺が見せたように、肉体を
「んー、そういうもんですか」
「そうそう。で、本題はそこじゃないんだ。君の故郷がどうかは分からないけども、この国は今、比較的、安定している。ただ、困ったことに、武器を持っての決闘が禁止されてしまっていてね」
それは困ったことなんだろうか、と思わなくもないが大人しく話を聞く。
伝統的に、貴族や豪商たちはもめ事などを決闘によって解決してきた。もちろん、本人が剣を持つこともあったが、近年の主流はお抱えの護衛や冒険者を代理に立てての決闘だ。魔法が持ち込まれることもあり、見ていて非常に派手な戦いになる傾向にあった。
そうなれば、ただ見ているだけで十分楽しく、人が集まる。禁止される直前には有力な冒険者同士の決闘が発生すると、周囲に屋台が並び、賭博が公然と行われるようになったという。
そこで、王家は——、というか、内政を一手に取り仕切る枢機卿猊下は武器を持った決闘を禁止した。しかし、素手での殴り合いについては、特に禁止はせず、それどころか金を賭ける試合の法制化も行ったのだ。単に禁止するだけでは、影でこそこそやるだけなのが目に見えていたからかもしれない。
「つまり、俺にレオさんの代理として立てるように、と?」
「半分正解」
にっこりと笑う。
「素手でも、事故ってのは結構起きてね。再起不能になったり、悪かったり死んだり。そうなると、代理人を立てた本人は賭けに負けるだけじゃなく、本人や家族に……色々と、支払わなきゃいけない」
「なるほど。代理人の面倒を見る、という負担で商売が傾くこともありそうですね」
レオは我が意を得たりと頷く。
「そうそう。もっと言うと、僕の商売敵は船乗り上がりが多いんだ。海に出たら海賊と大差ない船主も多い。そういう連中が、素手での勝負となったら、どうすると思う?」
冷たい笑顔を向けられて、俺は喉を鳴らした。
「本人が、出てくる?」
「そーそー。長期航海でつきものなのは叛乱。僕は十分な報酬と待遇を用意するから、そんな目に遭ったことはないけど、腕っ節で抑え付ける船長は多い。また、腕っ節が優れているところを普段から見せた方が叛乱は抑制できる」
「つまり、そこを叩きのめして、船長としての器を疑わせようということですね」
「何を言ってるんだい」
気持ちのいい川風が通りを吹き抜け、俺のフードを剥いで抜けて行く。
「事故で退場してもらうんだよ、永遠にね」
――
案内されたのは、西の新市街の更に外れ……。
身なりの上等なレオにはおよそ似つかわしくない地域だが、気にした風もなくずんずんと歩いて行く。もしかしたら、船乗りや荷役の募集などで頻繁に立ち寄るのかもしれない、などと考える。貧民を安く使う豪商と言うと聞こえは悪いが、彼らのような人々にまともに賃金を与えて、他の仕事にもありつけるようにしているとも言える。
俺は今のところ、カーラたちに拾われたお陰で、アリスともどもここの隅っこに転がっている、なんてことにならなくて助かったなという感想しか出てこないけれども。
そして、レオが足を止めたのは、そんな新河岸地区の隅。もう町中なんだかただの川縁の草原なのか分からないところに、ぽつんと三本の腕が生えた木の柱――地球で言う
「おい、マクシム。起きろ」
「起きてるわ、下品な足音で近づきやがって。ここに来るときは靴を脱げといつも言っているだろう」
不機嫌そうにマクシムと言われた男は起き上がり、まるでチューブから歯磨き粉がひねり出されるように、ぬるっとシェルターの中から抜け出して立ち上がった。俺やレオよりも、頭半分以上背が高い。この世界感覚でもかなり大きい、地球で言えば190cm近い大男だった。
ぼさぼさの黒髪にぼさぼさの髭で、ぱっと見不潔そうなボロをまとっているが、近づいても不快な匂いなどはしなかった。
――行水できる場所ならそこにあるしな。
「あ、えっと。俺はバルカ=レクターです。その……」
「例の
「ああ、分かる……。ギラギラした若造の匂いだ」
確かに、この世界にきた時に、肉体はかなり若いものになったみたいだけれど、未だに若者扱いは慣れない。日本ではいい歳だったから……。
と言っても、超高齢社会の現代日本。俺くらいのおっさんでも、社会では「若者」みたいな扱いをされることも多かった気がする。オトナと言えば50代より上みたいな風潮もあった。
「ふむ、とりあえずあれを打ってみろ。それで教えるかどうか決める」
マクシムが指さしたのは、人間ほどの高さの丸太に、3本の手をつけた、
荒事をして生計を立てたいのか? と言われると微妙だけれども、街近くの街道に森巨人が出るような世界では(夜に強行軍をしたのが悪いんだけども)、戦いの技術が無駄になることはないと思う。それに、C&C以外でも働ける手段がないと、なにかあったらまたアリスが養うとか言い出しそうだし。それは、やっぱりねぇ?
「おーい、君の頼みでもあるんだから、テストとかいらないでしょ」
「生憎、俺はお前の子どもでも部下でもないんでね。仕事を受けるかどうかは、俺が決める」
なんだかレオが少し不満そうだが、本当に気分を害しているというよりは、じゃれあっている感じだろうか。このままとりあえず、試験を受けてみて悪くなさそうだ。というか、このマクシムの方の頼みというのはなんだろう?
気になるところはあるものの、ただ打ってみろと言われただけだし……。やってみて悪いことはなかろう。日本ですっかり習慣になったオーソドックススタイルでのボクシングの構えを取って――、とりあえずワンツーでいいかな?
拳を固め、リズムよく殴って見る。ボクッボクッといい音がなる。意外に、拳は痛まない。が、森巨人の首を割ったときのような力は、もちろん出ない。
「こ、こんな感じです。――ええっと、森巨人の時は……」
期待外れだったら嫌だなと早口で弁明しようとする。
「ふむ。なるほど。基本だけどこかで学んだというのは本当らしい、な? が、動きが遅い」
マクシムはそれを無視して、俺に近寄ってくる。そして、腰の辺りを掴み、「もう一度後ろ足を蹴り出してみろ。……こうだ」
彼は俺が後足から前足に体重を移した瞬間に素早く掴んだ俺の腰を回す。ごきっと腰からなかなかに不吉な音がするが、幸い、ギックリ腰ではなかった。それに確かに、足で蹴った力が体から抜けないような気がした。
何よりパンチが、動き始めてから素早く打てるようになった。今までのは、あくまでもリズムゲームでしっかり動くためのタイミングだったから、実戦では遅かったのだろう。基本的にゴブリンとか、森巨人とか、しかも、隙があるときにしかしてなかったから、それでもよかったんだろうけれど。
「まともに使い物になるかどうかは分からんが、なんともならないこともないだろう。分かった、稽古をつけてやる。俺も日曜は休むから、それ以外の日没後にここに来い。こなくても別にいいが、こんな時間には来るな。俺はレオみたいな変態と違って、昼間は寝ることにしてるんだ」
「てことは、生命魔法の才能もありそうってことでいいのかな?」
レオがにこやかに訊ねる。それが、さっき話に出た珍しい魔法のことだろう。
「……まあ、濃さはそれなりにありそうだ。ま、俺は寝かせてもらうぞ」
そういうとマクシムはさっさとシェルターに戻ってしまった。横になるのも大変そうな狭さなのに、やはり、にゅるりと形容したくなるような動きで入っていってしまう。
実際、C&Cの仕事もあるから、日没後に来いというのはありがたい。大分疲れてはいると思うけれど、俺の仕事はデスクワークだし……、仕事帰りにジムに寄るリア充みたいなもんだと思えば問題ない。
「お天道様が出てる時間に働くのが普通の人間なんだけどね。ま、いっか。バルカくん、行こう」
聞こえよがしに言って、レオは俺を引き連れて再び歩き出す。
「彼を師事するかはお任せするけど、僕個人としてはお勧めするよ。世捨て人みたいな生活しているくせに、君みたいに事情があるタイプには理解がある方だからね」
意味深に含み笑いしてレオは言う。
「C&Cへの仕事でも彼の技術は役に立つ。正直、剣だの槍だのは、広いところではいいけど、汎用性には劣ると僕は思うね」
言われると、確かに、森巨人から逃れるために入った林の中も、思い切り槍を振り回せるどころか、1mもある剣だっていろいろ気をつける必要がありそうだった。
冒険者の定番、狭い洞窟であれば、なおさらだろう。それを考えると、なるほど確かに、殺傷力や射程に劣っても徒手空拳にはコンパクトという利点があるのだろう。
――なんだか小型自動車のCMみたいだぞ。
日本の街には、日本の小さな拳法、みたいな。
「今の所、僕としても表立って揉めてるところはないから、個人的なお願いはそんなにすぐはないと思う。ただ、ずっとマクシムにお願いしていたんだけど、あんまりにも彼が強く有名になっちゃって、思うようにいかないことが増えたんだ。
彼も、僕との付き合いと一時的なお金が必要だったからやってただけで、もう引き受けたくない……ってところに、君が現れたというわけさ」
「なるほど」
退場して欲しい本人が出てこないとか、すぐ降参するとか、そういうことなのだろう。さっきの話では、商売人の代理人として出て来た人間を再起不能にするだけでも、商売へのダメージはそれなりのものになりそうだった。それもままならなくなったのかもしれない。
いずれにせよ、アリスたちから学べるこの世界の常識以外にも、俺がどう振る舞えばいいのか教えてくれる人物なのは確かだろう。
だから俺は、その日の夜からマクシムのところを訪ねるようにしたのだ。
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