第12話 あなた、トロルっていうのね!
結局、荷の引き渡しも問題なく終わった。古い鉱山とその周辺をキャンプに、山狩りをする混成部隊への補給物資の運搬が仕事だ。確かに、街道から少し離れるし、
そんなわけで、野営地の一角を借りて一泊した俺たちは復路を急いでいた。荷が軽くなり、更に多少なら乗馬の心得があるというクロエを荷馬に乗せたお陰で、頑張れば一日でコーマンに帰れるかもしれない。さすがに到着は夜中になるだろうが。
「ふふ、お嬢様気分」
馬上のクロエは上機嫌だ。とはいえ、もともと荷馬であるから鐙はついておらず、鞍も
ただ、それを差し引いても、従者に馬を引かせている、というのが気分がよいに違いない。
——子どもなんだか大人なんだかわからんな。
言ってみれば、賢くて考えが成熟した子ども、といったところだろうか。
しかし、どう言ったところで、俺もクロエも、仕事が思いのほか順調で気が緩んでいたことは間違いない。そういう意味で、俺も大人ぶってはいたものの、精神的には保護者になれていなかったといえる。
日が暮れて、現代の感覚で1, 2時間ほど経っただろうか。月明かりと、未だにうっすら残る陽光に照らされて、遠く城門の影が黒々と浮き上がって見える距離。後、2, 3時間も歩けばC&Cにたどりつくだろう。
そう言うと、馬上で松明に火を付けたばかりのクロエも心得たとばかりに頷いた。朝から歩き通した甲斐もあり、夜中前には帰り着けそうだ。そう思って前を向いても、左手の雑木林からぬっと突き出した異形に、俺は気付いていなかった。松明の明かりで、暗闇に目が馴れなかったせいかもしれない。
最初に異変に気付いたのは馬だった。突然大声でいななくと、鼻息荒く首を振り、走りだそうとする。俺は手綱を掴んでそれを抑え、クロエが首を叩いてなだめる。
――ズシン。
異様な振動に俺は振り向き、目を見開く。暗闇に馴染む藍色の肌に、猫のそれを思わせる黄色い目。老爺のようなしわくちゃの顔に、異様に尖った鼻と耳。相撲取りか巨漢のプロレスラーのような、筋肉を分厚い脂肪で覆った肉体は、枯葉と獣の皮を引き裂いたものをつなぎ合わせた、原始的な腰蓑でのみ覆われている。
その特徴は一見すると
出発前に、カーラにこの周辺で最も危険な
「どこにいたんだ? 巡回の兵はどうしてたんだ?」
「年経た森巨人は……、日差しで、木になれる……。たぶん、そうやって……、擬態してた」
地球でも、伝承・伝説によっては日差しの中で石になると言われているトロルだが、この世界のトロル種は植物に近いらしく、森巨人は光合成をすることで木になる魔法を使えるらしい。
ちなみに、近縁種とされる丘巨人と呼ばれる方は、太陽熱で石になれるそうだ。その性質から、森巨人は森林の守護者、丘巨人は山や洞窟の守護者妖精と言われることもあるそうだが、真偽のほどは分からない。ただ、とりあえずのところは……。
――弱点を特技にしてくるとか、チートも大概にして欲しい。
「逃げよう」
荷物も幸い届け終わっているし、問題はないはず。
「ダメ。荷馬レンタル、返さないと、赤字。後、逃げ切れても、畑に被害が……」
「じゃあ、どうする?」
「時間を、作って。あのくらいの、森巨人なら、何度も……」
「了解」
クロエには申し訳ないが、緊迫した状況下で彼女のペースを待ってはいられない。他に選択肢がなく、彼女に撃退の手段があるなら言われた通りにするだけだ。
とはいえ、もちろんゴブリン相手のようにはいかない。俺も腰に剣を佩いているものの、前腕程度の長さしかない
俺は森巨人を見据え、それから魔法薬を手でまさぐりながら周囲に目を走らせる。森巨人が出て来た左側は街道のすぐそばまで林が迫って来ている。一方で、右手は大きな岩がところどころあるものの、見晴らしのいい平原だ。季節によっては家畜が放牧されることもある。
「ええい、こっちだ」
俺は覚悟を決めて、足下の小石を掴むと森巨人の顔目掛けて投げる。
『ギャオオオオオオオ!!!』
顔に小石をぶつけられた森巨人は憤怒の形相で――といっても、元がしわくちゃだからよく分からないが――向かってくる。俺は小石を放りながら、左手の林の中に逃げ込む。
無論ギャンブルだ。森巨人というくらいで、恐らく林の中でも支障なく動けるのだろう。しかし、障害物が多い方が隠れる場所があって時間を稼ぎやすいだろうと思ったのだ。
綺麗に片付いた部屋と汚部屋。どっちがGを殺りやすいかといったら、前者だろう。
比較的大きな木を背に、俺は更にGに近づくべく――いや別にGになりたい訳ではないが――、
しかし、味はともかくとして、短時間だが人間の小回りを残したまま、馬ほどの走りを得られるドーピング薬だ。
木の陰から、慎重に森巨人の様子をうかがうと、俺の胴回りほどもある木を引っこ抜いて、こちらにぶん投げてくるところだった。俺は慌てて顔を引っ込めて木から離れる。
――バキバキバキバキッ。
凄まじく物騒な音を立てて色々な木が折れる音がする。頭はゴブリンより空っぽそうだが、頭が悪い分、やることがむちゃくちゃだ。これのどこが森の守護者なんだ?
投げられた生木が落ち着くのを待ってから、俺はもう一度顔を出す。クロエや馬の方に行かれては大事だからだ。果たして、森巨人はまだ俺に腹を立てたままだった。のっしのっしと大股でこちらに迫ってきている。外見通り、動きは鈍重だが、一歩一歩が大きいから、見た目のイメージよりも凄い勢いで迫ってくる。
――やべぇ、めっちゃ怖い。
しかも、逃げるだけじゃなく、クロエの魔法の射程内にいる必要がある。そういう意味でも移動が制限される林はいい選択肢だと思ったのだが……。
『グガッ』
手を掛けた木をひっつかみ、片手でやすやすとへし折る。また投げるのだろうかと思ったら、今度はそれをめちゃくちゃに振り回して、周囲の木々をぶん殴り始めた。騒音で気分が悪くなり、衝撃で折れた木の枝やらどんぐりやら虫やらが降り注ぐ。
「いだだだだ」
命の危機を感じるほどではないが……、じっとしているには不快すぎる。また、蜂や蛇などの毒のある生き物が目を醒ます怖れもある。そうやって恐怖心を煽ってあぶり出す作戦なのだろう。ただかんしゃくを起こしているだけにも見えるが。
しかも、残念なことに、効果はそれだけではなかった。巨人の怪力で叩かれた木々は恐ろしいことに、折れることなく、根を千切られ倒れ始めたのだ。俺が走り回るには足場が悪く、しかし巨人の足なら大して気にならない穴ができていく。
――長居は無用だな。
俺が林の奥に逃げられないことを理解しているわけではないと思うが……。いや、人間の犠牲者は、今までも結局のところ、街道からあまり離れたがらなかったのではないだろうか……。林の奥に逃げ込めば、それこそ他の森巨人やゴブリン、オークや危険な動物に出遭う可能性も上がる。一方で、街道側なら、冒険者や巡回の衛兵が助けてくれるかもしれないという希望がある。
ならば、意表をつくまで。意を決して、森巨人の手や木が届かないギリギリのところを、一気に街道に向かって駆け抜ける。そもそも、俊足のお陰で、鈍い巨人の動きでは咄嗟に反応ができない。
「クロエ、まだか?」
「もう、少し」
馬から下り、精神を集中させるクロエの周りには、風が渦を巻いている。俺の目にもはっきりとうつる、荒ぶる翠玉色の精霊たちが風を真空の刃とすべく舞い踊っているのだ。
店の経営から荒事まで、姉妹でやってきた二人の実力は、熟練の冒険者の域にある。かなり高位の魔法で一気にカタをつけようとしているのは、言われなくても分かる。完了まで、時間を稼ぎたい。
そこに俺を追って森巨人が現れる。
「これでもくらいな」
俺は飲んだまま手にしていた魔法薬の瓶を転がす。狙いはどんぴしゃ。激しい冒険でも割れないように作られた陶器製のそれは、巨人の体重を受けても割れずに受け流して、滑らせた。たまらず、森巨人がよろめき、咄嗟にバランスを取ろうと手にした生木を放り出し、左手を前に出す。
運が悪かったのは――。
「我が声に応え、その厳かなる柔き衣を以て、我らに仇為す愚かなる全てを切り裂け。――
クロエの魔法の発動と同時だったこと。横薙ぎに振った彼女の手から放たれた音速の刃は、狙い過たずに森巨人の首目掛けて突き進む。だが、その進路を森巨人の左手首が、不幸な偶然により塞いでいた。
左手首を切り飛ばし、刃は喉を裂く。が、その首を切り飛ばすほどの威力は残らなかった。左手首から緑の体液を吹きだしながら、森巨人が咆哮する。本来であれば一撃で首を落としていたはずだったそれは、森巨人の憤怒を呼び起こした。
「まずい……、森巨人の再生力、だと。致命傷に、ならない」
仮に致命傷だったとしても、息絶える前に俺たち二人がやられる。しかし、魔法の反動と予想外の結果に、クロエの動きが遅れる。
その間に、激昂した森巨人は先ほど投げ捨てた生木を無事だった右手でむんずとひっつかみ、怒りの雄叫びを上げる。荷馬がパニックを起こし、手綱を握っていたクロエが引っ張られる。「あっ」足をもつれさせて、倒れる。予想外の動きに、更に、馬が竿立ちになる。
クロエも馬も動けないところに、森巨人が生木を思い切り振りかぶり、そして振り下ろす。
「うおおおおおおおお!」
後先考えずに俺は叫び、突っ走る。クロエの前に立ち、前腕を交差させて頭上に掲げる。申し訳程度の強化が施された
次の瞬間、折れた生木が宙を舞って、少し離れた草地に、斜めに突き刺さる。森巨人は、いまだに突如顕れた、俺という障害物の出現に反応できていない。
防御を解きながら前方に小さく
狙いは、森巨人の股間。腰蓑に隠された、ゴールデンボールである。
『ホグゥオオオオオオオッ!?』
多分、森巨人が一度も経験したことのない激痛。誰も聞いたことのない、なんとも言えない悲鳴。
そして、多分俺以外に経験したことのない、とても妙な手応え……、なんていうかね、おっきいブドウを潰した感じというかね、湯むきしたトマトをポリ袋に入れて殴ったら、こんな感じかな。潰れた後が、すごく生温かかったよ、うん。
森巨人は数回ずしんずしんと跳ねた後、股間を抑えてうずくまる。俺は草地に突き立った生木を踏み台にして跳躍し、右肩を引くように上体をひねる。全体重を乗せて、うつむいた森巨人の後頭部に、
――ゴギリ。
鈍い衝撃が拳に伝わり、まず、森巨人の頸が不自然に前に落ちる。次に俺が地面に転がりながら落ちて衝撃を逃がす。そして、力を失った森巨人の巨体が砂煙をあげて倒れ伏す。
「クロエ、大丈夫か?」
「だ、大丈夫……」
呆けた様子だ。なお、パニックを起こしていた馬まで呆けている。
クロエの無事を確認した俺は、一気に動いたせいか緊張かで渇いた喉を、ガシガシとかきむしりながら、改めて森巨人を見る。うつ伏せに倒れて、ぴくりとも動かない。首があらぬ方を向き、皮がゴムのように伸びている。恐らく、首の骨が折れたのだろう。
それを確認して、俺は左手で鞄を開けて、中から苦労して水を取り出す。そして、右手にびしゃびしゃと中身をぶちまける。
――そりゃね? やっぱり洗いたいよね?
「バルカ、わたし、腰が抜けた。……持ち上げてくれると嬉しい」
「馬の上でいいか?」
呼ばれて、手を入念に拭ってから俺はクロエを抱き上げる。いわゆるお姫様抱っこの形だ。と思うと、彼女は俺の首に腕を絡めて、躊躇なく唇を重ねてきた。俺は抱きかかえている手前、離すこともできず、されるがままになる。とはいえ、彼女のそれはキスというよりは、犬が舐めるように、ぺろぺろと唇を舐めたりくっつけたりといった風だった。
「く、クロエ?」
ようやく解放されて、俺は戸惑いがちに呼びかけた。
「本で、読んだ……。助け、られたお姫様は……。勇者に口づけ。あってる?」
「いや、まあ……、ありがとう」
あっているといえば、あっているが。どうもクロエの知識は、偏った書物から構成されている気がする。
「本当、は。多分、もっと、すごいお礼をする、はず。でも……、本だと、詳しく、書いてなくて」
ローブの前を合わせている紐をいじいじといじりながら、恥ずかしそうにクロエが言う。たぶん、本当に知識がないのだろう。なくて、助かった。
――嬉しいけどね!? こんな往来で脱がれてもね!?
俺は落とさないように慎重に、クロエを馬上に押し上げる。そして、パニックは脱したが、未だに息の荒い馬の鼻を撫でてやる。
「あ、それと……。森巨人、の頭。切り落として、持って来て。色々使えるのと……、報奨金、出る、と思う」
「人使いの荒いお姫様だ。了解」
「ふふ。いい
言われた通り、俺は首を落として予備の布に風呂敷の要領で包んだ。
しかし、恐らく魔法薬の副作用だろうが、気を抜いた途端、倦怠感と渇きがひどく、なんだか目がちかちかするようだ。
――さっさと、帰ろう。
ぽっくぽっくと先に歩き出していた荷馬を追いかけながら、後でアリスに癒してもらおうと、俺は心に決めた。
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