第11話 はじめてのおつかい
荷受けは朝靄が河から流れ来る早朝に行われた。街の輪郭が白い闇に溶け込む中、俺は借りた荷馬を引き、クロエと共に船着き場へと向かった。停泊していたのは、
「キングレオ商会代理……の、C&C商店のクロエ。よろしく」
「ああ、うん。今回もよろしく……っと、今回はお姉さんと一緒じゃねぇのか?」
ひげもじゃで丸太のような腕、そして元の肌の色が全く分からないくらいに日に焼けた肌。如何にも船乗りといった風体の男と、クロエは顔見知りのようだった。
水を向けられて、俺は「どうも」と会釈をする。
「うちの……、新しい使用人。こう見えて、会計が得意。あ、名前はバルカっていう、らしい。よろしく」
「よろしくお願いします」
紹介にあずかり、改めて手を差し出す。
「へぇ、異国の人かい。『
がははは、と笑いながらおっさんは俺の手を握ってぶんぶん振る。
「で、お兄さんは腕が立つのかい?」
「いや、俺は……、からっきしで」
「おや? 大丈夫か? こっちは売れれば何でもいいけど、レオさんに損して欲しくはねぇし、クロエちゃんにも危ない目に遭って欲しいわけじゃねぇんだが」
俺はいいのかよ、と思わないでもないが、まあ初対面だし。
「問題ない……。今回の、届け先は街道から、近いし。それに、わたし、精霊使い」
「おっと、そうだったな。風の精霊とも契約してるんだっけ? 女を船に乗せるのは縁起が悪ぃなんて言うが、風の精霊の助けがありゃ、今の倍は速く船を動かせると思うんだがなぁ」
などとジョンはぼやいてみせる。蒸気船はまだ実用化されていないのだろうし、仮に実用化されていたとしても、燃料と動力機関が必要な蒸気機関と、精霊使い一人を乗せるだけであれば、精霊使いに分がありそうに思う。
しかし、クロエは、無表情なままにふっと息を吐いて笑って見せた。
「どうだろう……? 水の精霊、と喧嘩したり、しそう。そもそも、海の上の風の精霊は、どんな性格か、分からないし……。たぶん、有名な精霊使いがやって、ダメだった、んだと思う……」
「そういうもんか。まあ、魔法使いがいるなら安心だな」
「うん、任せて。とりあえず、荷の確認をするから……。バルカ、は……。わたしが確認したのを、積み込みながら……、二重チェックを、お願い」
「了解、任せとけ」
事前の打ち合わせ通り、俺とクロエは二手に分かれて作業を開始した。目録のオリジナルは、念のために俺が使っている。筆写した時点でも間違いがないことも確認しているが、後からチェックする方がオリジナルの方が、よりミスが少ないだろうという俺の提案だ。
コピペとか、バーコードとかでチェックしたいが、生憎とそんなものはこの世界にはない。さっきの風の精霊のように、現代よりずっと優れた使い方ができそうなものもあれば、まったくそうでもないものもあるのが、面白いところだ。
精霊に字を教えれば、なんとかなったりするだろうか。などと馬鹿なことを考えてしまうが、ほどほどにする。ちゃんと集中して品目と数量を照らし合わせなくては。なんとなく「意味が分かるだけ」の分、集中しないとうっかり間違いかねない。生命の霊薬と生命の秘薬と生命の魔薬の区別なんて、正直日本語でもうっかりすると間違える。
――素晴らしき哉、情報化社会。すべてにIDを割り振ってしまえ。
「うん、大丈夫。ジョンさん、いつもありがとう。航海、気をつけて」
「おう、ありがとな」
荷物が問題ないことを確認し、お互いにサインを交わせばここでの取引は終了だ。そして、俺たちの本格的な仕事は、受け取ってからが本番だ。
俺が荷馬の手綱を引き、クロエが先頭に立って早朝の街を街道に向かって歩き出す。
「バルカも、ありがとう。助かる」
「まだ始まったばかりだぞ?」
「いや、そうじゃ、なくて。字も数もちゃんとできて、しかも、背が高くて、力……あるから、荷馬が使える。わたしとカーラ姉だけ、だと……。ロバが精一杯」
言われて荷馬を振り返って見ると、確かに、荷馬の背は俺の頭より高い。
その点、小柄なロバであればクロエでも扱えそうだが、そうすると積載量に難があるだろう。
「そう……。ロバ二頭だと、歩みも、遅くなる、し。そうすると、狙われやすい。コストも……」
「なるほどね。人一人雇っただけの価値はあるのか」
と言うと、クロエは珍しく頬を緩めた。
「あなたたちを雇った価値は、十分すぎるほど、……ある。だから、心配、しなくても……いい」
そして、俺の空いている方の手を取ると、握りしめた。都合、クロエ、俺、荷馬で一直線に繋がれた形になる。
「でも、まあ。迷子になられると困る、から……。連れて、行って……あげる」
「俺は荷馬かロバか?」
「ふふふ、馬並み。ふふふ」
――それはちょっと意味が違うんじゃないかなぁ!?
俺は馬鹿にされているんだか、もの凄く褒められているんだか分からない、なんとも言えない気分になり、金剛力士面になった。もっと言うと吽の方。もっとも、霧の中ではクロエには伝わらないだろうとは思うが。
こほん。まあ、クロエのことだから、何も考えていないのだろう。抜けているところは抜けている。カーラの言う通りだ。
「で、これからどこに向かうんだ?」
詳しい行き先は、どうせ土地勘のない俺が聞いても無駄だろうと言うことで、クロエ任せにしてあある。
「西の街道、沿いにある……。オークと、ゴブリンの掃討作戦を、している、冒険者たちに、救援物資、届けるのが……、仕事」
西の街道沿いというと、ラージュラ村の方に戻ることになる。俺はクロエの手を離し、
「用心、しすぎると……、逆に、怪しい……?」
「言いたいことは分かるんだけど、まあ、事情があるんだよ。ほら、俺、モテるから……。包丁持った人妻がいつ襲ってくるか分からないからね」
軽口を叩くと、クロエは俺の手を掴んでいない方の手を顎にあて、したり顔で頷く。
「なるほど……。確かに、あり得る、話。……世の中、いいこと……、ばかりじゃ、ない?」
「うぉい、信じるな信じるな」
俺は苦笑いをしつつ、抗議の意味も込めて、クロエの手を強く握る。
「なんだ……、違うの? ざんねん……。いや、よかった?」
言いながら、ふわっと笑ってクロエも俺の手を強く握り返してくる。
「なんだ、その残念ってのは。従業員の素行不良で、包丁持った奴が乗り込んできたら嫌だろう?」
俺が言うと、クロエは少し歩調を緩めて、俺の隣に並ぶ。
「その時は……、わたしが、魔法、で。なんとかする。それより……、価値のある、人を、独り占め。嬉しい。おかしい?」
「んー、まあ」
というと、クロエはむっとする。
「おかしくない。おかしい、ていう、バルカが……、おかしい」
なんだその子どもの喧嘩みたいな理屈は。
が、このまま否定し続けても本当に、小学生並の喧嘩(略して小並喧)になるのは明白なので、突っ込まないでおく。放っておけば、クロエは割とすぐに機嫌を直すし、そもそも本当に嫌だったら手を離すとかなんとかするだろう。
……する代わりに、丸く削った爪でくすぐって来ている。
反応したら負けだ。俺はそう心に決めて、できるだけ何事も起きていません、という態度で街を進む。
朝靄を陽光が追い払う頃には、俺たちは街を出て、街道を進んでいた。風は穏やかで心地いいが、この世界の太陽はやはり地球のものより眩しい気がする。眼鏡(UVカット)をかけていないからそう思うのか。あるいは、目の色素が薄くなったからかもしれない。赤い目は、地球で言えばアルビノの特徴だった。色素が薄い分、光が強く感じられても不思議はない。
街道は、意外と人の往来は少ない。そういうと、クロエは日曜の市が立つ前後以外はこんなものだと教えてくれた。逆に、俺の故郷はどうだったのか、と水を向けられた。
「うーん、田舎の方はそうでもないけど、こういう『街と街の間が離れている』みたいなことはないな。ずっと町で、家や店が途切れるようなことがないから、街道から人がいなくなる、なんてよっぽどのことがないとなかった気がする」
「へえ……、そんなに人が。
「そもそも、怪物なんてのはいなかったから。鹿や猪が畑を荒らしたり、それから熊が人里まで降りて来て大騒ぎ……、なんてことはあったけど。それも俺が住んでた都会ではなかったな」
「ふしぎ。人がいて、怪物は、いない、なんて」
「そうか? まあ、伝説や物語には登場していたけど」
「うん……。不思議。それだと、人間、増えすぎない? ……あ」
問うてから、クロエはそれが愚問だと気付いたようだ。
「増えすぎたのかもしれないな。だから、町が途切れなくなったんだろう。でも、もし怪物が俺の故郷にいたとしても、絶滅させるか、熊や猪にやったように、人の領域に出てこられないように徹底的に境界を作ろうとすると思う。クロエは……、この世界の人はそうではないのか?」
俺は疑問を返した。もし、怪物に人類がある程度脅かされていることを、自然の摂理として受け入れているというなら、ずいぶん俺の知っている人類とは違うように思えたからだ。
「わたし、個人は、ある程度怪物がいなきゃ、だめ、と思ってる」
俺は苦笑して頷いた。頭がよくて、内省的な彼女であればそういう結論になってもおかしくないと思ったからだ。
二日目になっても、なんだかんだと理由をつけてつないだままの手に、熱がこもる。
「バルカは、教会が、吸血鬼の存在……、を否定するの。みんなが怖がらない、ように、だと思ってる?」
「ちょっと違うかな。病気が広がる方が危ないから、なんじゃないか? 実際には吸血鬼はいるかもしれないけど、それを怖れるより、犬からうつる病気の方が危ない。沢山いるからな」
突然の質問に面食らったが、怪物絡みだということは分かる。
「なる、ほど。……その、考えはなかった」
クロエは少し考えてから、自分の考えを述べる。
「わたしは、ちょっと、違う。教会も、人が、増えすぎないように。人の数を、コントロール……。そのために、わざと残してる。……わたしは、そう思ってる」
なかなかに過激な陰謀論だ。しかし、それなら……、それこそ異教徒狩りでも異端審問でも魔女裁判でもして、大々的に間引けばいいのではと地球で行われた虐殺を知る身としては、考えてしまう。
「それでは、ダメ」
「何故?」
「反発が、起きるし……。異教徒も、異端も。悪魔崇拝もなくなった、『いい人』だけで……、やっぱり人が、増えちゃう」
言われてみると確かにそうだ。そしてその理屈だと、通常の怪物たちでは死ぬのが、冒険者や兵士、襲われた村の犠牲者たちに限定されてしまう。
クロエが言っているのは、そういう減り方ではなく、ひどく公平なやり方で人類の中に
——正直、吸血鬼ハンターよりこっちの方が背教者として告発されそうな内容だ。
あるいは、クロエたちがいう吸血鬼ハンターとは、そういう思想を共有する人々なのかもしれない。それなら、教会が吸血鬼の存在を否定するだけではなく、ハンターを背教者として厳しく弾圧する理由も分かる。
「まあ、それは……いいんだけど」
「いいんかい!」
思わず突っ込んでしまう。
普通、そこは信念やら理由やらを説明して、改めて俺を吸血鬼ハンターに勧誘する、そういう流れだろう。
「そういう、ことは……。わたしの、埒外。わたしとカーラ姉は、個人的に……、吸血を憎む、理由がある。それだけ」
「なら、なんでそんな話をしたんだ?」
俺が素朴な疑問を口にすると、クロエは足をとめ、振り返って驚いたような顔をした。
「ほんとうだ……。必要、ない」
それから、ふわっと夕焼けのように赤く染まって、優しく笑う。
「話が通じて、嬉しかった。それだけかも」
そしてまたきびすを返すと、早く行くぞ、と言わんばかりに俺の手をぐいと強く引っ張って歩き出した。
俺は、大人しくそれに従うことにした。もっとも、そんな俺に手綱をとられている荷馬の方は、不満そうに小さくいななきを上げたけれども。
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