第一幕 乳児編
一章 C&C
第9話 吸血鬼ハンターC&C
処刑から逃れて3日目――。俺はアリスとコーマン市に入城していた。数百年前に築かれた歴史ある城壁の外には、農耕地帯と、ここ100年のうちに増加した、造船関係の職人たちが中心となって築かれた新市街が広がっている。
「日曜市場も新市街でも開かれますから、ラージュラの人が旧市街まで来ることはないですよ」
とは、アリスの弁。そして街の中央には橋が3本。それぞれ、古橋、新橋、教皇橋と呼ばれているとのことだ。新橋が最も新しい橋で、造船のために大型の馬車が通るために、一番広くて往来が多い橋とのことだ。
「なんか飲み屋多そうな名前してる」
新橋と聞いて、俺の弁。
「そうですか? まあでも確かに、仕事終わりの船大工さんたちが立ち寄るお店は多いですね」
俺とアリスは、城壁内に入った後はフードを脱いで、少しのんびりと歩いている。往来はそこそこ人がいるが、さすがに東京の都心部ほどではなく、地方都市くらいだろうか。
時刻は夕刻前。久しぶりの日光が目と肌を刺す。俺は目を細めながら気になっていたことを口にする。
「ラージュラの村人ってあんまり旧市街までは来ないんだよな? アリスはどうしてそんなに詳しいんだ?」
「ちっちゃいころは、って言っても少し前までですけど、街に出て働きたいと思ってたんですよ。それで、ですね」
その言い方に少し憂いを感じた。
「なるほどね」
――なんだか闇が深そうなので、触れないでおこう。
曖昧な相づちを返しながら、俺はそう決めた。割と遠慮なくいろいろ言うようになってきているし、言いたくなった言うだろう。そもそも、無事、街に入ったからにはいつまでも一緒にいる理由もない。
特に目的地も定めていないが当初の予定通り人波に乗って、対岸に渡るべく俺たちは件の新橋へとさしかかる。さすがに、多くの人が合流する地点だけあって、それなりの人出と活気とを感じるようになる。馬車が道の中央をがらがらと走っていくのは――もちろん動力が全然違うが――、少し日本を思い出す光景だ。
「そうだ、ちょうどいいので、わたしがバルカさんを養ってあげましょう」
一転、明るく笑ってアリスが言う。何故。
「どうしてそうなった……。そこまで俺の面倒を見ることないんだぞ。俺だって働くし」
すれ違った若い女二人がこちらを振り返ったような気がする。ヒモかなにかと間違われているな、絶対。こんな往来のど真ん中で言うから……。
「んー……でも」
アリスは言葉を濁して逡巡する。言っていいものか悪いものか、といった感じだろうか。
「だって、バルカさん、そこそこの年なのに、こっちでの職歴ないじゃないですか」
グサッ。
「一般常識もないし」
グサグサッ。
「怪力だけど、力仕事の経験とか職人技とかなくて……、弟子入りするにも商家の奉公に入るにも、身元不確かで、年も行ってたら……」
「すみません、許してください。ごめんなさい」
もうちょっと涙腺が緩かったら滂沱の涙を流しているところだぞ。
というか、別に俺が悪い訳じゃない……。世界が、就職氷河期が悪いんだ……。
「……ま、まあ。探せば見つかるとは思いますよ? しばらく過ごせばこっちにも慣れると思いますし。というか、慣れる前に無理に探す方が失敗の元ですよ。だから、ね、ね?」
「うーん、まあ、言ってることは正しいと思うんだけどさ」
やはり申し訳なさとか外聞とか。どう考えても、この世界の方が現代日本より専業主夫への風当たりは強かろうに。
――などと問答をしている間に、俺たちは新橋を渡りきる。
「そこのおに……、おじさん。仕事を探してるようだね!」
背後から声をかけられる。わざわざおじさんと言い直す意味とは。
振り返ると、さっきすれ違った女が二人、いた。赤毛の方は胸を張っていかにも自信ありそうで、もう一人の暗めの茶髪はうつむき加減。ただ、赤毛の方は胸を張っているものの貧相で、茶髪の方がなかなかに立派なものをお持ちだ。
二人ともなかなかの美人さんだが、身なりが旅装で、声をかけて来た方は
外観から値踏みするのは、横からのアリスの視線が痛い気がするのでほどほどにしておこう。相手がどんな人間か探っているだけなんだけどね!
「ん、まあ……。そうだけど、俺は見ての通り冒険者ではないぞ」
俺は、自分たちが着ているローブを指す。
他の世界ではともかく、この世界では冒険者とは、独自の組織は持たずに、貴族や商家、その他の
『ブラン』が枢機卿から派遣されたというのも、正規軍を動かす必要を感じなかったか、単独の斥候として重宝されていたといったところだったのだろう。
話が逸れた。そんな訳で、侍祭のような聖職者が冒険者になることは、ほとんどないと言っていいそうだ。新大陸に教えを広めようという司祭が冒険者と侍祭を伴って航海に出る、といった形ならあるが、その場合は当然冒険者ではなく、その雇い主となる。
「誤解しないで、あたしたちも別に冒険者じゃないから。それに、侍祭様が仕事を探してるなんて、なかなか妙な話じゃないの――?」
声を潜めて、赤毛が顔を寄せてくる。何か感づいて、脅してきているのか――?
「いえ、わたしたち隣の教区から来たばかりで、この人はもっと遠くから来たんです。司祭様でもないですし、普通ですよ普通」
アリスは平然とした様子だ。
――カマをかけられたのか。
俺は肝が冷えたが、アリスの方はつんっとした態度でまるで平気な様子だ。結構嘘になれているのかな、と思うとドキドキしてしまう。いや、何についてドキドキするのか。特に理由はないはずだが……。
「あ、そうなの? でもまあ、それなら都合がいいわ。あたしたちは、
「行きましょう、バルカさん。大聖堂はあっちです、この人たちを通報しないと……」
赤毛の言葉が終わるのを待たずに、早足で歩き出すアリス。
「待って、待って……、話を聞いて!」
赤毛の方が慌てて追いすがってくる。
「待って……。話を聞いて。わたしたちは背教者ではないの……。近くに、美味しい酒場があって……、よかったら、ごちそうするから……話を聞いて欲しい」
黙っていた暗茶色の髪の女が、音もなく俺たちの前に回り込み、立ち塞がった。
話の内容を聞かれたわけでもないようだが、これだけ揉めていると、さすがに周囲から奇異の目を向けられてしまう。その視線は俺たちにとっても、決して歓迎すべきものではない。
願いを込めてアリスを見ると、彼女は不承不承といった表情ではあったが、同意の頷きを返してくれた。
――にしても、吸血鬼ハンターが、背教者とは一体どういうことだろうか?
――
「くぅ~、ワインもいいけどあたしはやっぱりコレだなぁ!」
赤毛は、蓋付きのビアマグの中身を一気に飲み干すと、ため息と同時に叫んだ。
「おっさんだ」
「おじさんですね」
「おっさんで……、申し訳、ない」
「ちょっとちょっと、ひどくない!? みんなして」
そう言われても、新橋の場末の酒場で、ビールかっくらって叫んでたら、誰でもそう思う。
「姉はお酒飲みたいだけだから……、先に、自己紹介させて欲しい。わたしは、クロエ。こっちは姉のカーラ。まずは、姉の我が儘に付き合ってくれて、感謝を」
「ん、まあ。うん」
正直なところ、大人しく着いてきたのは、司教から渡された袋に路銀は入っていたものの、先立つものが少なくて不安だったというところが大きい。ここまでの道中は、侍祭のローブに任せて点在する農家の軒先や、放牧小屋などを借りて過ごしてきたから、それほど困らなかったが、都市部ではそうもいかない。
慎ましく生きていたいだけなのに、金が山ほどいるのは、日本と大差ないようだ。
「わたしたちは、背教者ではない。それは、信じて欲しい」
「でも20年以上前に……、わたしが生まれる前に、教皇猊下が吸血鬼は迷信で吸血鬼ハンターはいたずらに人心を乱す存在として、禁止されたでしょ? 人に噛みつくのは、血に飢えたからじゃなくて、犬の狂い病と一緒だって」
アリスが、丁寧に経緯を含めて反問する。というか、これは俺に言って聞かせてるのだろう。実際、とても助かる。
「確かに、そう、言われてる」
「でも、おかしいと思わないか? なんで犬の病気が人間にうつるんだ?」
「いや、何もおかしくないな」
赤毛の提起する疑問に、俺は即答した。実際、地球でも伝承に出てくる吸血鬼や
そして、ワクチンなんてないだろうこの世界では、現代ですら致死率ほぼ100%の最悪の病が、迷信で感染予防への理解が遅れる、というのは避けたい事態なのは間違いない。
そう考えると、なるほど、吸血鬼ハンターなんていうのは、擬似科学で正当な医療行為を邪魔するような連中みたいなもんか。
「なるほど理解した、お前らは悪だ」
「ちょ、まっ――」
「無言で、早合点、しないで欲しい……。わたしたちにも、わたしたちなりの、理由がある」
そーそー、と姉のカーラが頷きながらビアマグを傾ける。説明する気はあるのだろうか。
「あたしたちも神様は大事にしてる。それは本当。ただ、絶対に病気とは違う……、狂って人を襲うのではない吸血鬼がいる、っていう確信があるのよ」
「その確信っていうのは、どういうことなんですか?」
と、アリス。
「んー、まあ、それはー」
「こちらにも、事情がある。あなたたちが、身分を隠すのと、同じだと思ってくれて、いい」
言葉を濁される。まあ、当然、権力に逆らった……、誤解を怖れずに言うならば、信念に従って反社会的行動を取っているのだ。それなりに用心するのは理解できる。
「カマをかけるのもいいんだけど、今のところ俺たちに何の益もないんだよな」
俺はぽりぽりと顎をかいた。
「分かってるわよ、だから、食事でもしながらゆっくり話を聞いて欲しいわけ。――ていうのもね、正直、あたしは最初、あんたたちが吸血鬼かと思ったのよ」
「帰るぞ?」
俺はため息をついてザックに手を伸ばした。
「まあまあ、待って待って。でも違った。あんたたちはあの聖なる橋を……、しかも流れる水の上を平気で渡ったから、それは違うなって」
「……なるほど?」
大体、吸血鬼の伝承は地球のそれと大差がないようだ。
「ただ、あなたたち……特にあなた」
と、クロエは俺を指さす。
「あなたは、とても他の人と、違う。それが、わたしたちが吸血鬼がいる、と信じる根拠と似ている、だから……」
なるほど、合点がいった。調べさせるか、囮に使わせろというか、といったところだろう。
この世界の理にはまだ疎いけれど、ゴブリンがいて魔法がある世界だし、俺が「異世界からの来訪者」と見抜く方法があっても、驚くに値しない。というかそれこそ、もし俺の姿形が違って、性質が邪悪だったら、悪魔召喚なんて言われてもおかしくない現象だ。
生憎と、現代日本はこの世界よりも道徳と倫理観が進んでいたし、姿形は同じ人類に見えるので、そうはならないのだけれども。
「確かに、俺は――、あんまり公にしたくない秘密を持っているし、それがお前らの役に立つかもしれない。ただ、それを背教者かもしれない二人にタダで言う訳ないよな。いつからつけてたかは知らないが、さっきも言った通り、正直二人して仕事や金に困ってる。そのあたり、考慮してくれると嬉しいな」
俺は異世界仕込み、もとい地球仕込みの愛想笑いを浮かべた。こうしてみると、つくづく無理に笑う必要の多い世界だったのだなと思う。
「ちょっと、バルカさん……」
アリスが不満そうに口を尖らせる。しかし、変にここで意固地になっても、やっぱり吸血鬼なのではと疑われて、襲われる怖れもある。であれば、少し強気で交渉するのも一つの手段だ。
「どうする、カーラ姉……?」
「んーっ、そうね。このお兄さん、バルカさんか。信用できる人とは思うわよ。……ただ、正直、あたしたちもお金持ちってほどじゃないの。その代わり、両親が残したお店やってるのよね。そこを手伝ってくれるなら、寝床と食事、それから……、正直に言うけど、売上次第ではお給金も出す。お兄さんがこの国に慣れるまで、とかでも全然いいわよ?」
「その間、バルカさんを……、わたしたちを監視できるってことですか」
アリスがジト目でカーラを見る。一方のカーラは、酒に酔ったのか頬を赤らめて笑うばかりだ。クロエはというと、どうなるだろうか、という視線を俺に向けてくる。
どう決断しても、アリスは文句は言っても従うだろう……。条件としては悪くない。少なくとも、生活の基盤ができるというのは悪くないし、どこかの商店で働いていたというのは、別の商家に移るときにも有利に働くだろう。アリスに余計な負担をかけることも(心労はあるかもしれないが)、ない。
「で、もし俺たちが変死すれば、叩けば埃が出る君ら二人も当然疑われる訳だ」
にこり笑って言うと、カーラ&クロエはぐっと言葉に詰まった様子を見せる。もちろん、完全に俺たちをシロだと思っている訳ではない証拠だし、こういった交渉ごとになれていない証拠でもある。なかなか、年相応なところもあって可愛いじゃないか。
「その条件でいいだろう。ただ、人に聞かれるのは困る。後でどこか、人のいない場所で――」
「それなら、心配、いらない。最初から、風の精霊で、
言われて目をこらすと、周囲に、球に木の葉を2, 3枚つけたような何かが舞い踊っているのが見える。
「風の精霊ってのは、あれか」
「見える、の。やはり、何か、ある?」
クロエというローブ姿の少女は、姉のカーラと違い、吸血鬼ハンターとしての使命感云々と言うより、純粋に奇妙な俺への興味が先にありそうだ。
「期待してもらっているみたいだけども、そんな魔法的な話では全然なくてな。俺は地球という惑星……、世界の、日本という国から来た。姿形は似たような人間だったけど、色々違うところがあるから、死んで魂だけ飛んで来たとかいう、いわゆる転生してきたみたいな状態だ。バルカ=レクターを名乗っているが、向こうでの名前は、タロー=スズキだった」
俺は、早口で言って、二人の様子をうかがった。馬鹿にするな、と言われるのも想定内だったが――。
「おお、異世界から! なるほど、なるほど。それなら納得!」
カーラは大興奮だし、
「なる、ほど。異界の魂。それなら、なっとく」
クロエも何やら笑顔になってうんうんと頷いている。予想と少し違うが、対価に見合わないと言われるよりはマシか。
――それにしても、異世界から来たって言って信じるもんなんだな。
さすが、魔法が当たり前にある世界というべきか、そもそも精霊を使うというクロエのせいか。確か、ゴブリンシャーマンの杖にも精霊が封じ込められることがあると聞いたし、比較的、この世界の人たちには馴染みがあるのかもしれない。
そうして、俺とアリスは、この夜から『冒険の店 C&C』の世話になることになったのだった。
「むー、むー!!」
アリスは、店に向かう道すがら、何故かひたすら俺の脇腹をつんつんしていたが。
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