第7話 冒険者ブラン、この地に眠る<後編>

「ほう、妾の支配領域にあって、まだそんなことが言えるか。やはり危険、危険よ。村長、この二人、もらっていくぞよ」


 女の従者らしき二つのローブ姿は、大して力を入れているようにも見えないのに、軽々と俺を引きずり寄せ、ぐいぐいと押した。何とか足を踏ん張ろうとするも、無造作に何度も押され、バランスを崩してしまう。


 見れば、アリスの方は諦めたのか大人しく歩いている。


 ――宗教的に偉い人ってのが効いたのかもしれないな。


 現代日本で生まれ育った俺には実感が湧かないが、宗教が生きる軸っていう人は多い。


「お待ちください、司教猊下。儂らも処刑のお手伝いを……」


「ならぬならぬ。ら、無論そこの無粋な兵士どもも、まるで悪鬼に対する備えがなっておらん」


 やれやれと司教と呼ばれる女は頭を振る。


「こやつらを処刑するところに居合わせてみよ、魂の残滓を吸うだけで狂ってしまうぞよ」


 ――んな馬鹿な。


 そりゃ確かに多少は……、少しくらいはえげつないことをしたこともあるけれど、悪だの鬼だの言われるほどではない。多分。


「そんなにやばい奴に……、俺の婚約者、アリスは?」


 アホが言う。違った、アホンだ。


「そのようじゃの」


「じゃ、じゃあもしかして俺も?

 司教が呆れる気配が伝わってくる。多分、俺と同じ事を考えた。


 ――アホだ。


「……ッ、いい加減にして! わたしはあなたとの婚約なんて、一度も認めたことはないし! なんの関係もないんだから、心配するフリなんてやめて!」


 アリスが髪を振り乱して、耐えられないといった風に言う。


 あれ、このパターン。もしかして俺がさっきアリスを助けようとしてやったのと同じ?


 いや、いいんだけど。そりゃ同じ村で暮らしてて一緒に育ってて、婚約者ってくらいなら情があって当然だ。


 と言いつつ、思ったよりショックを受けている。


は大丈夫そうじゃのう。この悪鬼、力は強いようじゃが、まだ若いのか、そこまで練達しておらんようじゃ。――もっとも、思い入れのある者は近づかぬことじゃのぅ。火刑後、3日は周囲に穢れが残るはずじゃ」


 ――火刑。火あぶり。体が焼かれて死ぬ前に、肺が焼かれて呼吸ができず、苦しみの中で死ぬと聞いたことがある。なんとか隙を見て逃げないと。


 具体的に刑の名前を聞いて、いよいよこいつらが俺たち――俺とアリスを生かしておく気がないのだと、焦りに火がついた。しかし、ローブ姿の従者の力は強く、走ろうとすれば片手で容赦なく連れ戻される。


「では、行くぞよ」


 司教が言って、俺たちは村外れの墓場に文字通り、引きずられるようにして連れて行かれた。


――


「さて、よいかのう。誰も着いて来てはおらぬようじゃ。いい子たちじゃのぅ」


 司教はそう言うと、ローブのフードを下ろした。声から薄々察してはいたが、口調の割に、年若い――アリスよりは年上だが、どう見ても20代くらいの女だった。銀色の髪と、真っ赤なルビーのような目。鋭い眼光がギラリとその顔をまじまじと見ていた俺の目を射貫く。


 悔しいが美人だという他ないだろう。美人だが、どこか冷たい感じがして、好みかというとそうでもない。アリスの方が好み。言い訳するわけじゃないが。いや、何に対する言い訳も要らないんだけど。


 司教がフードを解いたのが合図かのように、従者二人と俺とアリスの縄を無言で解き始めた。そう言えば、こいつらが言葉を発したのを聞いた記憶がない。


「……え? あの?」


 アリスが戸惑った声を上げる。俺は何のつもりだろうと警戒して、司教を睨みつける。


「そう怖い顔をするな、助けてやろうというのじゃ。……ま、逃げてもよいが、少し話を聞いていった方が得じゃぞ」


「助けるって何故?」


「聖人が無辜の民を助けるに、理由がいるかのぅ?」


 いたずらっぽく……、というより、人を食った笑顔で司教が言う。


「あの、ありがとうございます……」


「おお、アリスは礼儀をわきまえておるな」


 孫でも撫でるかのように、アリスをよしよしと撫でる。


 そうこうしているうちに、従者二人はローブを脱ぐと、俺とアリスに投げて寄越した。持っていろ、という意味だろうか?


 ローブの下から現れたのは、俺とアリスの背格好に近い男女だった。しかし、正直なところ、その顔、体は――、何か怪我か病気だろうか。あちこちに縫い目があり、変色した皮膚がパッチワークのように、縫い目でつなぎ合わされている。そして、その几帳面ながら、太い糸の縫い目からは、黄色の濁った液がしみ出している。


 隣では、アリスが息を呑む気配が伝わってきた。俺も、直視するのは少し、ためらわれた。だが、助けてやろうと言われて、そう失礼な態度も取りづらい。


「ふふ、醜いと思うかの。まあ、何を言ってもどうせこいつらは気にしやせん」


 司教が含み笑いをしながら言う、その意図が理解出来ず、俺たちは何も言わなかった。


 そして、従者二人はその言葉を無言で証明するかのように、両端が鉛筆のように尖った、長さ4m、直系で30cmほどもある丸太を抱えると、地面に突き立てた。都合、2本の尖った杭が、天に向かってそびえ立つ形になる。


 それから、二人はその根本に枯れ葉や枯れ枝を集め出した。どう見ても、燃やす用だろう。これが処刑台というわけだ。杭が尖っているのは、焼き殺すのではなく、杭に突き刺した上で火を付けるつもりだろうか。


 ……苦しまないかもしれないが、見せしめには効果的だ。


「そのローブは穢れてはおらんから、今のうちに着ておけ。人払いはしたが、火が着けば興味本位で覗きに来る者もおるやもしれん」


 促されるまま、俺とアリスはローブを着る。正直、目前で処刑台を作られたら、やはりそれなりに恐怖心をかき立てられる。


 そんな俺たちの目の前で、二人の従者は器用に打ち立てたばかりの杭を上っていた。あっという間に一番上まで行くと、足だけで体を持ち上げて、その尖端に座るかのように――つまり、自らの尻から突き刺さるように、腰を落とした。


「えっ、きゃ――ッ!!」


 アリスの悲鳴を、司教が口を覆って押し殺した。村人に聞かれることを怖れたのだろう。しかし、自らの血と内臓、その他諸々を杭の木肌に引きずられながら根本まで落ちても、従者の二人は一言のうめき声も出さなかった。


「そこの若造」


 あんたに若造と言われるほど若くない、と口答えようとして、できなかった。


「あの松明で火を付けてやれ」


「そんなこと……、言われても」


 さすがに気が引ける。


「どうせ命などない。役目を全うさせてやる気があるなら、火を付けてやった方がこいつらのためじゃぞ?」


 そんなに言うならお前がやれよ、と思わなくもないが、青ざめて震えるアリスを抑えているのを見ると、そうも言えない。そもそも冤罪ではあるものの、助けられているというのは事実だし。


 俺は、従者の一人が持って来て、地面に投げ捨てられたままになっていた松明を拾うと、二人に――二人の死体に近づいた。近づくと、鼻を悪臭がついた。腹の中身が出たのだろう。


 自ら死ぬための杭を立て、焼かれるための燃料を組んで、死ぬ。どういった気持ちだったのだろうか。というか、俺とアリスを助けるだけなら、そこまで――つまり、火刑の偽装までする必要があったのか。


 分からないまま、俺は火を付けた。火はあっという間に二つの死体を包んで、そこで何が焼かれたのか、分からなくしてしまった。


――


「妾の儀式で、奴らの穢れは払われるはずじゃ。とはいえ、悪鬼の穢れ、怨念は留まる。あの火が消えても、3日は近づかぬことじゃ」


 俺とアリスは司教に言われるままに、さっきまで従者たちがそうしていたように、ローブを深くかぶり、無言で彼女の後ろに付き従った。司教はどうやって、俺たち二人に背格好が近い二人を連れて、ここに来たのだろう? 余りにも、手際が良すぎる。


 村の広場からでも、赤々と燃える火はよく見えた。よく燃えるように松など脂の多い木を選んだのだろうか。


「ありがとうございます、司教猊下」


「では、妾はもう行くぞよ。皆、信心を怠るでないぞ」


 司教は言うと、くるりときびすを返した。俺たちも当然、それに従う。こんなフードをかぶったくらいならすぐバレるのではないか、と思っていたが、誰一人疑うそぶりを見せる者はいなかった。


 それだけ、司教の権威が強いのかもしれない。


 いつまで無言でいいかも分からないまま、俺たちは司教の後に続き、村の塀囲いから出て、30分は歩いただろうか。両脇をブドウ畑に挟まれた道の上で、司教が足を止めた。


「ふむ、ここじゃ。、その茂みから袋を出してくりゃれ」


 俺は言われるままに、農道の脇にある小さな植物の茂みに隠されていた、肩掛け紐のついた大きな袋を引っ張り出した。


「妾からの餞別……、というか最後の援助じゃな。中のものは自由にするとよい」


「「ありがとうございます」」


 俺とアリスは、素直に礼を述べる。他に聞きたいことは山ほどあるものの、まずは死ぬところを、本当に助けてもらったのだ。礼を言うのが筋だろう。


「よいよい、どうやらヴェセルには恵まれたようじゃが、父祖には恵まれなかったようじゃしの。赤子の面倒を見るは、年増の勤めじゃ」


「年増って、多分俺の方が――」


「その様子では、本当に何も知らんようじゃな。このまま野垂れ死ぬかどうかは、運次第といったところじゃ」


 会話が噛み合わない――、というか、敢えてはぐらかされているのか。俺は質問を諦めることにした。


 その様子を察したのか、司教はにやっと笑う。


の名は、バルカという。これだけは教えておいてやろう」


「いや、俺の名前は――」


 言いかけて、出てこない。ここ何日も呼ばれていなかったせいだろうか、日本での名前が、咄嗟に口をついて出ることはなかった。


「古き言葉で、雷光を意味するそうじゃ。大切にするといい」


 彼女はそういうと、ローブを翻し……、かと思うと松明の炎からその姿を隠すように、周囲から闇がしみ出してきて、その姿を覆ってしまう。俺は、松明をかざして後を追いかけたけれど、その先にも、どこにも司教の姿はなかった。


「あの、ブランさん……」


 不安そうなアリスの声に気付いて、俺はすぐに彼女の元に戻る。東京の闇夜と違って、道に街灯はどはない。さっきまで縛られ、殺す殺さないの話の渦中にあった女の子は、不安でいっぱいだろう。


 俺は、自分の好奇心と――妙な焦りを優先したことを恥じた。「ごめん、置いていって」


 彼女は、それに無言で首を振ったが、それでも表情は不安そうだった。


「ブランさん? バルカさん? 教えて。本当はブランさんじゃないっていうのは、本当のこと?」


 問われて、俺は唇をぐっと引き結んだ。最初から――俺が保身を選ばないで、正直に言っていれば彼女は巻き込まれなかったのだ。


 アリスは聞く権利があるし、いくらでも俺を責める権利がある。


 とはいえ、何から話したものか。とりあえず、アリスを促して歩き始める。追われる心配がないように、司教が替え玉まで用意してくれたとはいえ、長く留まるのは得策ではない気がした。


「話すと長いようで短いようで、俺はとりあえずブランではなくて――、そもそも、この国。たぶんこの世界の生まれでもないんだ」


 俺は自分の言葉を確かめるように――、これが本当にどっきりでもなんでもなくて、何かの原因で異世界に来てしまったことを確認しながら、話し始めたのだった。

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