第6話 冒険者ブラン、この地に眠る<前編>
林間のコロッセウム――。というにはしょぼい、ゴブリンたちが戦争ごっこ――もとい、ナワバリ争いに興じている、林の中の数十平方メートルほどの原っぱ。土壌がもともと木の生育に向いてなかった上に、ゴブリンたちが踏み荒らしたお陰で、すっかり荒れ野と化している。
たとえていうなら、田舎の小学校の校庭みたいな空間だ。その中央に、俺は抜き身の剣を握って立っていた。本日、戦場に一番乗りしてきたゴブリンが俺を見て「ぴぎゃ!?」と情けない声を上げる。
普段なら襲いかかってきたのかもしれない。ただ、明らかに「お待ちしてました~」な雰囲気で刃物握ってられたら、誰だってびびる。俺もびびってる。一斉に襲いかかられたらピンチだからだ。
作戦は、今、俺がいる戦場を含めて、3箇所同時進行だ。
まず、猟師部隊がゴブリンの巣、2箇所両方に向かっている。中には、怪我をしたり非番のゴブリンが休んでいるはずだから、それを殺してもらう。これは猟師の中でも、弓矢がそんなに得意ではなく罠を使う、半農半猟の村人が担当だ。弓は得意ではないけれど、罠にかかった獲物に、刃物を使ってトドメを刺すのには慣れているから、というのが理由。
で、メインのバトルフィールドであるここには、俺の他に山林に溶け込むように偽装した猟師たちがいる。
「おら、どうした来いよ」
俺を見つけて、フリーズする両陣営のゴブリンに、俺は不敵に笑って挑発してみる。
――言葉通じてるかなぁ、ていうか来てほしくはないなぁ。
内心は、こんなもんだが。
「ギギャア!」
一際大きい叫び声とともに、CGと見間違うような見事な火の玉が、俺に向かって一直線に飛んでくる。
「あふたーえふぇくと!」
咄嗟に意味の分からない悲鳴を上げながら、俺は地面に転がってそれをよける。これが俺の役目――シャーマンをあぶり出すことだ。
シャーマンの性格は変わらず臆病だが、立場上、戦わないでここを退くわけにはいかないはず。となれば、優位を生かして遠距離から魔法を撃ってくるだろうと踏んだのだ。そして魔法を撃ったシャーマンを、あちこちに潜んだ猟師たちが探して弓で射殺すというわけだ。
もちろん、林の中のこと。発見できても射線が通らない可能性も高い。だから大勢を配置してできるだけ死角を作らないように考えてある。
そして、シャーマンの魔法を皮切りに、ゴブリンたちが動き出す。そこまでは予定通り。後は乱戦に乗じて逃げ出すだけ――!
「うっそだろお前ら」
ナワバリ争い中の剣呑な雰囲気はどこへやら、緑肌連中はここぞとばかりに結託して、俺を取り囲んだのだ。共通の敵を得ていがみ合っていた同士が結託する。なんと美しい、ゴブウッドで映画化決定。全ゴブリンが泣いた。
いや現在進行形で俺が泣きたい。猟師たちにも緊張が走った。ただ、シャーマン討伐が最優先という作戦をしっかり守ってくれているのか、やはり我が身が可愛いのか、援護の一矢も飛んできやしない。
「畜生め!」
完全に包囲されたら手も足も出ない。戦列が整う前に、一番まばらな辺りに突っ込んで、剣をブゥンと横薙ぎに振る。もちろん、技術も何もないが、当たれば痛い。それが金属の刃となればなおさらのこと。
――ゴワっ!
唸りを上げて、火球が俺に迫る。第六感か奇跡か――あるいは別の何かか。咄嗟に俺は、ボクシングのダッキングの動きで、斜め後ろから飛来したそれをよけた。そして、火球の対角にいたゴブリンからすれば、突然俺が視界から消えて、火球が現れたように見えたはず。
「ミギャアアア!?」
ゴブリンの頭に直撃、炸裂した火球は、周囲の2匹をも巻き込んで燃え上がる。体を焼き尽くすほどの業火――というわけではないが、炎に巻かれた三匹は完全に戦意喪失。手にした棍棒や石の斧を投げ捨てると、回れ右。他のゴブリンたちにぶつかりながら逃げる。そこで、混乱が生まれ、包囲が緩む。
――チャンスだ。
この場には数十ものゴブリン。まともにやりあったらもちろん、生きては帰れない。が、奴らに「死にたくない」という恐怖を呼び起こしてやれば、生き残れるはず。
「ぬおりゃ!」
手近なゴブリンに、大上段から真下に一直線。隙だらけの大ぶり攻撃を仕掛ける。もちろん、いくらゴブリンだってそんなものを食らったりはしない。余裕を持ってバックステップをして――、足下の石につまずく。
「わりぃな」俺はそのゴブリンの胸板を踏みつけて、喉笛に剣を突き立てる。「プビュッ」リコーダーに痰が絡んだような音を立ててゴブリンが血泡を吹いて絶命する。魚を捌くときに頭を落とすときの要領で、首の骨の「つなぎ目」を探って剣を突き入れる。
ブチンと、筋を断ち切り、血圧が解放される感触と共にゴブリンの首が落ちる。
しかし出来る限り急いで作業したとはいえ、さすがに戦場でやるには時間がかかった。俺の背中にゴブリンたちの棍棒がボコスカとぶち当たり、肉が裂け、内出血した痛みが脳髄を焼く。
刃のついた斧がなくて幸いした。俺は自分を、ブラック企業の上司よろしく無茶なポジティブシンキングで奮い立たせ、たった今、切り落としたばかりの新鮮なゴブリンヘッドをつかみ上げた。
――ふと脳裏に、海外では日本の戦国武将がやべーやつらだって怖れられてるって話が甦った。なんでも、割と海外基準だと残酷らしい。まあ、貴族を農民と同じ方法で処刑した程度で、悪魔公とか呼ばれる国もあるらしいし、そうなのかもしれない。同じ人間なのに。
「プレゼントだ!」
雑兵の首、戦国武将の観点なら何の価値もないだろう。が、切り落とされたばかりでまぶたがピクピクしている生首が、ねずみ花火よろしく鮮血をまき散らし、ぐるんぐるんと大回転しながら宙を舞えば話は別。「ひっ」潜んでいた猟師にも若干の被害があったようだが、フレンドリーファイアとしてはダメージが少ない方だと思おう。
乾坤一擲。場は完全に混乱と恐怖が支配している。が、このまま巣に帰られてはまずい。巣の留守を狙っている村人と遭遇する可能性があるし、いくらでも同じ巣穴で再起できてしまう。仕方がない、予定を変更するか――。
「一匹でも……」多くに矢傷を。半矢でも十分というか、まともな手当てがなければ、矢傷でそのまま死ぬことも期待できる。しかし、その言葉を発することはできなかったし、必要がなかった。
「なんか、激おこみたいっすね。ぴえん」
なんておっさんが言ってみたところで、そもそも人間が言ったところで通じないだろう。
明らかに他と装いが違う、杖を持ったゴブリンが二匹、左右から俺を挟んでいる。どのくらい装いが違うかというと、ぱおんがぷらんぷらんしているのが見えない程度には、腰巻きが豪華だ。まあ、代わりにしわくちゃのお胸が風にゆられてぷらんぷらんしているのだけれども。まったく嬉しくない。
とはいえ、明らかに
――誤射警戒か。
日本でも――、というか、地球でも、猟師同士で誤射しないように厳重なルールがある。だから、今回は猟師同士で気兼ねしないでいいように、大体、木の上や岩の上にいてもらっているのだけれど、その唯一の例外が俺だった。囮だから。
まさか、俺が直接――、しかも両氏族のシャーマンと対峙するとは思ってもいなかったからね。が、まあチャンスはチャンスだ。
「追撃を! 巣に行ったみんながやばい!」
俺はそれだけをなんとか叫んだ。ここで犠牲になって本望と言う気は、もちろんない。単に、最適解を――、社畜に染みついた性がそうさせたって奴だ。
俺の叫びに、猟師たちが引き絞った弓を、逃げ惑う一般ゴブリンズに放ち始めた。よかった、見捨てられた訳ではないようだ。そして、それは十分に俺の援護になる。
「ぴぎゃあ!」「ぶごっ!」「ぷぎぃ!」
矢に射貫かれるゴブリンたちのうめき声は、俺にはみんなが頑張ってくれる音にしか聞こえない。一方で、シャーマン二匹にとってはそうではないだろう。
特に、垂れ乳を見るに――、恐らく、シャーマンにとって氏族の戦闘員たちは、子どもや孫、またはそれに類するのだろう。肉親に対する情が、人間のそれに近いのかは分からない。ただ、血筋を残したいという生命の基本的な欲求があるなら、看過できない。
「ピギャア!」木の上からゴブリンの背中を狙う猟師に気付いたシャーマンが、手をかざす。魔法を使う気か?「させないんだよ!」その背中に飛びかかる俺。
だが、さすがに族長をつとめるだけのことはある。直前に身をひねって、手にした杖で俺の剣を受ける。ガギッと音を立てて、剣が杖に文字通りくわえ込まれる。杖には、人間の頭蓋骨が埋め込まれていた。容易には、抜けそうもない。
にやり、と皺だらけのシャーマンの顔が笑う。俺は、それには構わずに剣を離して拳を固める。
――ボグンッ!
意外と、ゴブリンの頭蓋骨は柔らかい。年寄りのようだから、骨粗鬆症なのかもしれない。馬乗りになって、振り下ろしただけで骨がひしゃげ、中の汁が開いた穴から漏れ出す。もう一発。二発。
動かなくなったところで、形がより歪になった頭蓋を持って、ひねる。ぺぎり。音を立てて、それは肉体の下部から自由になる。
立ち上がる頃には、もう一匹のシャーマンは、猟師たちの矢弾によって、黒ひげ危機一発になっていた。まあ、刺さったのはどれも「当たり」の矢なのだけれども。
「やったぞ!」猟師の一人が興奮した顔で近づいてくる。確か、名前をアホンと言ったか。聞いたときは笑いをこらえるのに精一杯だったけれど、今はそんな余裕もない。「ああ……。どのくらい、やれた?」
「10匹は致命傷。逃げたのにも、15匹くらいは矢傷をつけたはずだ!」
「十分だ、ありがとう」
死傷者が半数近く。リーダーは死亡。帰った巣は全滅して焼失。生に絶望はしないまでも、二度とこの周辺には近づかないだろう。
「俺たちの、勝ちだ」
これが冒険者のやり方かは分からない。ただ、義理は果たしたし――、アリスを泣かせることにはならなかったはずだ。俺は痛む体を黙らせるために、そう、言った。
――
とはいえ、ゴブリンにしこたま殴られた俺は酷い有様だったのだろう。猟師たちに支えられて村に戻った俺を迎えたのは、勝利の歓声ではなく、ざわめきだった。
特にひどいのが、よりによってアリスだ。
「ブランさん――」
なんて言って、口を覆って大粒の涙を流すんだ。まったく、いくら涙脆いったって、大きな瞳を潤ませるのが可愛いからって――。
「――逃げて!」
見れば、アリスは後ろ手にしばられている。彼女が突き飛ばされて、俺の方によろめいてくる。咄嗟にそれを受け止める俺に、向けられる弓とナイフを棒きれにくくりつけた即席の槍。それと、いくらかのまともな武器。
「は? 何の冗談……」
「黙れ、悪魔め。そうやって我々をまた騙す気じゃろ」
群衆の奥から、罵声を浴びせてきたのは村長だ。両脇に、金属の甲冑を来た男が3, 4人いる。察するに、国の兵士か何かか。
「戦場に出るだけ、ゴブリンたちの族長のがマシだな――。で、俺のどこが悪魔だって?」
にじみ出る悪意に対して、思わず皮肉が口をついて出る。だから出世できなかったんだよなぁと思う。
「冒険者ブラン=レクターは10日前に街道宿から姿を消した。……ベッドに焼き付いた染みを残してな」
語られるところによると、それはどす黒い、染みだったそうだ。それはシーツもマットも突き抜けて、床にまで焼き付いた痕だったという。眠っているところを襲われたのだろうが、苦痛のためか、四肢が不自然な形に曲げられた痕だったという。
甲冑の一人が、淡々と羊皮紙に目を落として言う。
「ブラン……、いや、お前が来る1日前のできごとだ。お前の仕業だろう。悪魔め」
消えたブランの死体というのは、屋敷にあったミイラだろう。が、それを言ったところで事態が好転するとも思えない。ただ、何もしなくても結局、処刑コースなのだけは間違いない。
「待ってくれ。誤解なんだ――、俺は」
そこで言葉に詰まる。冒険者に間違われたから、そのフリをしただけ。それではアリスが悪いみたいではないか。
ただでさえ、アリスは縛られている。恐らく、俺と一番親しかったから、悪魔の協力者――魔女かなにかの疑いをかけられているのだろう。世界は違うが、魔女裁判の狂気は俺も表層だけは知っている。目の当たりにしたくない程度には。
「フン、騙る言葉もなくしたか。悪魔の虚言は魂を腐らせる。縛り上げろ」
俺はぐっと奥歯を噛んで、縛られるままにした。ただ、アリスだけはなんとか助けてやりたい。
「誤解は色々あるようだが、一つだけ頼みがある。アリスは――」
言いかけて、大人しく頼んだところで聞いてはもらえないだろう、と思い直す。
「こんな小娘と同列に扱われるのは腹立たしい。俺に供物を捧げてくれるのはありがたいが、別のにしてくれ」
ここが異世界で、俺が転生してきたなら、元々死んだ命だ。なくすのは、やっぱり怖いが、アリスを巻き込むよりはマシ。
アリスは信じられないものを見るような目で、しかし心の底から悲しげな目で俺を見る。許せと目配せのひとつでもしたいが、衆人環視の中、余計な動きはできない。
この世界でいう悪魔というのがどういうものか、俺には分からない。しかし、大切だから助けてくれと言えば、余計にまとめて処刑される可能性を高めることだけは間違いないだろう。
「ふーむ、どう思う、村長?」
「確かにアリスの素行はよい。アホンとの婚約も決まっておったし、中央の修道院に送って身を清めさせるというのはどうじゃろうか」
え、待って待って。あのアホと結婚決まってたの。途端に許せなくなってきた。
「わたしは!」
アリスが叫ぶ。
「ブランさんが悪魔だなんて思いません! この人を殺すなら連れてきたわたしも一緒に殺してください!」
「うーむ、やはり中央の司祭様に診て頂かないといかんかのう」
「――その必要はありませんよ」
たったの、その一言で、悪魔狩りの熱狂に包まれた村に、寒波が訪れたかのように静けさがもたらされる。
群衆を割って現れたのは、深く暗い赤味を帯びた紫の衣に、金の刺繍が施されたローブを着た長身の女が一人。その両脇に黒一色の衣を着た男と女がひとりずつ控えている。ただ、全員、フードを目深にかぶっていて顔はろくに見えない。
――松明の明かりに照らされているのに、まるで影そのものがへばりついているかのようだ。
「こ、これは司教猊下。このようなへんぴな村にご足労いただき」
ローブ姿を認めると、一帯の村人、甲冑までもがひざまずいた。隣のアリスもだ。なんとなく俺も従った方がいいのかなとは思うが、両腕使えない状態だとなかなか難しいのと、「悪魔扱いされてるのに今更なぁ」という気持ちがあって動けない。持ち前のひねくれ精神がいかんなく発揮された結果とも言う。
「妾を前に膝をつかぬとは、なかなか見所のある悪魔よ、のう」
長身の女に言われて、俺は何か言い返してやろうと口を開いたが――、目を覗きこまれると舌の根までが凍り付いたように動かなくなった。悔しい、こういうことをされたら一度はやってみたい、相手の顔につばを吐くということすらできやしない。
「この悪魔の処刑は妾が引き受けた。――思いのほか、強力な悪魔のようでの、残念ながらその娘も手遅れよ。くくっ、なんとか破壊を免れようとしたところを見るに、
くくっと笑って女は俺をちらっと見る。
心の底から、この処刑の場が楽しくて仕方がないといった風情だ。ろくでもない。
「いや、そのヴェ……なんとかは分からないが。この子は無関係だ。司教だか酔狂だかしらんが、聖職だって言うなら無闇な殺生は御法度なんじゃないか?」
精一杯憎まれ口を叩いてやる。
「ほう、妾の支配領域にあって、まだそんなことが言えるか。やはり危険、危険よ。村長、この二人、もらっていくぞよ」
万策尽きた、とはまさにこのこと。死の匂いのする、司教の従者二人に引き立てられて、俺とアリスは村外れの――墓場の方へと引き立てられていった。
――ただまあ、未成年淫行での処刑よりは、マシかな。
名誉ある死、なんてものはないと思うけれど、死ぬ理由くらいある程度選り好みしたいものらしい、人間って奴は。
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