第4話 ゴミはゴミ箱へ。ミイラはミイラ袋へ。

 さて、困ったことになった。


 心の中で独りごちた。いや半分くらい自分のせいだが。そう、目下のところ悩みの種は眼下にある人の乾物、ミイラ。お味噌汁にしたらいい出汁が出るかもしれない。下にいるアリスに提案して来ようか。


 ここは、俺が目覚めた屋敷の2階。ブランと思しき冒険者が、干物になっている寝室である。


 そして、アリスは現在、階下のキッチンにて俺のために夕飯を作ってくれている。弱冠16歳の少女が! である。


 もし、俺が仮に、学生時代にできちゃった婚するくらいさっさと子ども作ってたら、このくらいの年の娘がいてもおかしくないんだけど。まあ、当時から俺は結婚どころか恋人もいなかったけどね! ハハッ!


――ちなみに、実際学生時代にできちゃった婚をやらかしたキョウゴクは、すぐに離婚して、慰謝料で大変なことになっていたことを申し添えておく。特に他意はないけど。


 そして現在。そんなことを言っている場合ではなく、このミイラをどげんかせんといかん。俺一人なら隠し地下室で寝れば、ちょっと気味が悪いけど、許容範囲だ。


 ただ、アリスをあそこに招待するのはまずい。外に声が届かない地下室のベッドに連れ込んで何をするつもり? となることは明白だ。そりゃあ、正直色々したいが、そこまで倫理観ぶっ飛んでない。ぶっ飛んでないが、目前にして我慢できるか? と言われたら多分無理なんじゃないかな。


 であるからして、俺がこの部屋で寝て、隣の部屋にアリスが寝るとしても、見られるリスクを考慮してミイラを処分しなくてはいけない。幸い、からっからっに乾いているから、大分軽くなっているはず。どっかに移動するくらいはできるだろう。そう思って俺はとりあえず、ベッドにかけられたミイラの手をとった。


 ――パキッ!


 うーん、いい音。


 俺は手にした手を見ながら暢気に考えた。いやすまない、ちょっと思考がいきなりのグロ路線についていかなかった。乾いて脆くなっていた(本物の)ブランの腕は俺が掴むと、肘のところであっさり折れてしまった。俺の手の中には、さっきまで胴体にくっついていたはずの、前腕と手。


 これはもしや、と俺は周囲を見回した。部屋の中には大きな引き出し式の衣装ダンスがある。いわゆる、普通のタンスを想像してもらえば近いだろう。もちろん、そこに成人男性ひとりを入れることは通常、できない。


 だが、解体バラせば話は別だ。


「すまん、許せ、許せ」


 なんまんだー、とろくに覚えてもいない故郷のお経を唱えながら、俺は関節のところでブランの体を折り、解体していった。これが生々しい死体でも、腐乱していても、仮に白骨化していたとしても、さすがに不気味で躊躇なく解体なんて、思いつかなかっただろう。


 ただなんていうか、乾燥した冒険者の肉体は枯れ木のようで、さしてグロさを感じなかったからできたんだと思う。


 ――パキッ、パキッ。


 小気味よい音が、なんだか俺の倫理観とか、人間性とかいったものが折れる音にも聞こえて来て、嫌だけども。


 …


 冒険者の死体をコンパクトにして、タンスの中にして俺は人心地ついた思いだった。


 なぜか思い出すのは小学校のときに、給食の揚げたししゃももどきを机の中に隠していたスズキ君のことだ。あんな衝撃映像、俺以外見たことないと思っていたら、大人になったら割とみんな経験してたのも驚きだよね。好き嫌い激しい子はどこにでもいると思うけど、机の中に隠すっていう発想までかぶるとは思わなかったよ。


 さて、次なる難題は、村を襲っているゴブリンたちの始末をどうつけるか……。バックレたいのは山々だけど、そもそもバックレたところで俺に行く当てはないのだ。実は全部夢で、寝て起きたら小五の夏休みでタカハシたちと遊びに行ける、とかならいいんだけど、多分それはない。


 とにかく、必要なのは情報だ。ミイラがブランだとしたら、荷物の中に村長が言っていた手紙の写しやゴブリンについてのメモなんかがあるかもしれない。俺は部屋にあったバッグをひっくり返して、中身を物色した。


 中身はいわゆる旅と野宿のセット、アウトドア用品類と、多分、魔法の飲料ポーションに類するだろう小瓶たち、それから目当てにしていた紙束と手帳が見つかった。俺はそれをしめしめと取り出し、残りの使わない荷物を袋に詰め直して、見つけた情報を読み始めた。


「あの、ブランさん? あの~」


「おわぁ!?」


 思ったより近くから声をかけられて、俺は情けない声をあげた。手帳と紙束を交互に見ながら情報収集をしていて、アリスの接近にまったく気付いていなかった。


「きゃ、ごめんなさい。お食事ができたって声を何度かおかけしたんですけど……、お邪魔でしたか?」


「ありがとう。いやごめんごめん。ちょっと、しら……、復習をしていてね」


 調べ物と言いかけて、やめる。だって元々はブランが書いたものなのだから。


「ゴブリンの、ですか?」


 アリスはちょっと不思議そうだ。まあ、それはそうだ。この世界では都市部に繁殖するアライグマくらいには身近でよく知られる害獣モンスターだろうし。


「うん、ほら。なんだか動きがおかしいから調べてから来たんだ。とりあえず、食べながら話そうか?」


「わたしもご一緒していいんですか? わーい!」


 アリスは胸の前で拳を握って、ぴょんっと跳ねた。髪とスカートがふわふわと揺れて、いい香りが鼻をくすぐる。ちょっと美味しそうなのは、料理の香りか。


「ああ、もちろん」


 笑顔で言うが、内心で焦る俺。一緒に食べるなんて当たり前と思っていたからだ。文化が全然違うし、文明的なレベルを考えるに、性差別も色濃く残っていて不思議はない。


 さっさとカミングアウトしちゃえれば楽なんだけど。どこか次の人里にたどり着いたら、最初から転生者と名乗ろう。俺は密かに決意した。


――


 アリスが用意してくれたのは、ゆるめのポーチドエッグにたまねぎやら、を付け合わせ、赤ワインのソースをかけたものと、固めのパンだった。


 あんまり腹は減っていなかったから量は文句なし。ただ、味付けがちょっと物足りないな……、なんて贅沢を言ってはいけない。多分、村の台所事情で出せる、精一杯のごちそうなんだろう。


 それを考えると、俺でなんとかできるならゴブリンなんとかしてやりたいよな、と思う。飽食だの食糧自給率だの色々言われてうんざりしていたが、やはり、日本は、現代は豊かだったのだと思う。


「ニンニクとかあったら、もう少し味に深みがでていいんですけど……」


 俺の表情から何かを読み取ったのか、アリスが申し訳なさそうに言う。この子はエスパーなのか。


「いやいや、美味しいよ。ありがとう」


 俺氏、全力スマイル。


「そうですか? よかった。それで、あのゴブリンたちはやっぱり、なんか変なんですか?」


「あー、うん。それね。普通、ゴブリンは臆病で、村を襲うときも基本的に夕暮れから夜中に家畜や畑から盗みを働くのがメイン。ってのは知ってるよね?」


 俺はブランの手帳と紙束から読み取った情報を、確認する形で言う。アリスはそれに、コクコクと神妙な顔で肯きを返す。


 ――真面目な、いい子だ。


 実際、俺の世界ではゴブリンたちが徒党を組んで村を襲うというお話も多かった。だから、俺にとっては意外なんだけど、あの貧弱さを考えるとそのくらいが関の山の、まさに害獣といった形だ。


 貧弱だからといって、棍棒で殴られれば大けがをするし、家畜や畑の被害は大勢の命に関わる。そして、巣を見つけるのも大変だし、仮に見つけたところでゴブリン一族を皆殺しにしようとなれば、そりゃあ抵抗は大変なものだ。


「ただ、より強力で凶暴なオークに支配されていると、積極的に村を襲うこともある」


「はい、村長もそう言ってました。えと、枢機卿閣下のお返事にあったとのことで……」


「うん、でも今回はオークの影がない、だろう?」


「そうなんです……、だから自警団でなんとかなるだろって」


 実際、なんとかなっているから村はまだあるわけで。とは口にしない。明日もあると思うな、今日の命。


「それで、まあ言ってみたら調査のために俺が派遣されてきたってわけだ」


「なるほど! それでお一人なんですね。危険で……、大変なお仕事ですね」


 実際、枢機卿猊下の部下というのは大分ブラックな環境で働いていそうだ。冒険者の雇用形態がよく分からないけど、個人事業主を下請け安くコキ使う感じかな、とあたりをつけてみる。進んでなりたい職業ではない。


 でもって、厄介なことに、実際ブランの手帳には、この原因を究明して報告と書かれている。増援のためというより、珍しい事例だから研究のためなんじゃないかとも思う。


「まあ、仕方ないよ、仕事だし」


 ハハっと力なく笑う。俺が本物のブランだったら、別に問題はないんだろう。そういう調査に長けた人物だったんだろうし。ただ俺に調査なんてできるのか? という問題と、できたとして、調査の報告の様式がまったく分からないという問題がある。


 お国の偉い人へのフォーマットなんていうものは、守ってない時点で弾かれるだろう。世界の常識というか、人類・権力の常識だ。


「気をつけて、くださいね。もちろん、ゴブリンも大変ですけど、怪我とか……、その心配です」


 いちいち大きな瞳を涙で揺らし、俺を見つめてくるアリス。


 この子を守ってやりたいと思う。短い時間だけど、いい子だなと思う(しでかしてしまったし)。


 ブランのミイラにもひどいことをしたから、せめて懸案だっただろう仕事くらい片付けてやりたいという、社畜特有の謎の弔いの気持ちも湧くし。


「うん、ありがとう」


 俺は自分が何もできないもどかしさに、喉の渇きに似た何かを感じながら、アリスに笑いかけてみせた。


――


 その夜。


「酒が……、呑み、たい!」


 ベッドの上でくわっと目を見開き、腹の上で手を組んだまま俺は一人叫んだ。いや、小声だけど。


 客間で寝ているはずのアリスを起こさないように慎重に階段を降り、地下室から目を付けていたボトルを3本ほど掴むと、部屋に戻る。部屋にあったコルク抜きで栓を開け、グラスに注ぐ。


「うめぇなぁ」


 思わず感想が漏れる。この村のワインだろうか。こんなに舌にあうワインは初めてだと、改めて思う。


 すると、客間と繋がっている扉が遠慮がちにノックされる。両方から鍵をあけないと動かないようになっている扉だ。日本ではあんまり見ない。通常、高貴な人が寝泊まりする設備だからだろう。


「あの、ブランさん?」


「どうした? ごめん、うるさかったか?」


 不安そうなアリスの声に、俺は独り身が長い故の、無遠慮な大声を出してしまったかも、と反省した。さすがに、地下室に行ったことまでは気付きようがないだろうからそこは心配していない。


「いえ、大丈夫です。その、そっちに行ってもいいですか?」


「……んんっ。んー、まあいいけど」


 俺はミイラのことで半分、夜中に部屋に招き入れることで半分。招き入れることに躊躇したが、まあ大丈夫だろうと鍵を開ける。ゴブリンのことで心配なんだろう、大人の俺が励ましてやらないとな、なんて思って。


 開いた扉の向こうには、極薄いスリップ1枚の、アリス。ちょっと年寄り臭い表現だけど、まあ、透けるような生地の長いキャミソールのようなもんだ。つまり下着。俺は慌てて目を逸らした。


 ……パンツは履いてた、パンツは。上は、見ていない。断じて。ピンクの突起なんて!


「あの、そこに立っていられると、入れないです」


 いや、立つなという方が無理!


「アア、ウン。ソウダネ、ゴメンゴメン」


 俺はちょっと前屈みになりながら、部屋の中央備え付けの、丸テーブルの前に腰掛けた。椅子が二脚あるから、用があるならベッドサイドのテーブルより便利だと思ったのだ。いいよね、部屋広くて。


「よいしょ」


「え、君は実は猫かなにか?」


 が、とことことやってきたアリスは、さも自然に俺の膝の上に腰を下ろした。横座りの形だ。いろいろと当たっているのが隠しようもない。向こうは超薄着だし、俺も風呂上がりに羽織る、バスローブのようなもの1枚だ。


 アリスにそういう知識がないことを祈るばかりだが、もう成人だって言ってたし、望み薄だ。


「えと、アリス?」


 俺の問いかけに彼女はすぐ応えず、うつむいて――顔めっちゃ近い、いい匂いする――唇を引き結んだ。そして、バスローブの合間から俺の胸に手を乗せると、爪で軽くひっかく。


「あの、お休みの……、キスを――ください」


 落ち着け罠だ。コレはハニーでトラップな罠だ。俺は脳みそがフットーしそうな中、バラバラになった理性をなんとかかき集めた。


「い、いや。あの昼間のアレは事故というかアリスがあまりに可愛くてそれで……。その、自分を大事にだね」


 喉がからからで舌が張り付く。ここで踏みとどまらなければ


「わたしのこと、きらいですか?」


 悲しそうに言われては、女に免疫のない俺に踏みとどまることなど、できはしなかった。これが死に至る病なら、確実に死亡ルートだ。


 は夕方より甘美だった。腕の中で、膝の上で、ぴくんぴくんと断続的に震える彼女を、俺は痕がつくくらいの力で抱きしめ、彼女が息ができず苦しげにあえぐまで、やめなかった。


「……ブランさん、その。ありがとう、ございます」


 頬をバラ色に染めて、彼女は言う。そのどこか思い詰めた顔を見て、俺はあることに思い至る。


「アリスは、家とか……、その、結婚とかで、悩みが?」


 貧しい農村の生まれの、美しい少女。俺が暮らしていた現代日本は、世間がどう言おうと豊かだったからそんなことはなかった。でも、地球でも日本でも、子どもが売られるも同然で奉公に出されたり、嫁に行かされたり、というのはあったと知っている。


「ん、そういうこと、いきなり聞いちゃうんですね」


「あ、すまん」


 デリカシーがあれば、地球でも結婚できていたのかも。いや無理かな。


 反射的に謝る俺に、アリスはくすっと笑う。


「いいんですけど。……そりゃあ悩みはあります。ブランさんについていけたらって、思いますけど。でも、これは、……これは、そういうんじゃないですから」


 瞳に暗い色をたたえて彼女は言う。俺には、その意味が分からないし、問いかけることもできなかった。


 沈黙が重い。


「あ、そうだ。このワインはこの村の?」


 俺は話題を変えるために――それが正解かはともかく、テーブルの上のワインをさした。アリスはボトルに貼られたラベルを興味深そうに見て、それから首を横に振った。


「いえ、知らないです。この辺の村のじゃ、ないと思いますよ?」


 どこで手に入れたのか、と問いたげな視線から目を逸らして、俺はうなった。


「んー、そうか。ありがとう、さっさ。子どもはもう寝なさい」


「だから、もう大人ですってばー」


 じたばたとわざとらしく子どもっぽく抗議するアリスを部屋に押し戻して、俺も床につくことにした。


 なんだか、酒を飲むという気分でもなくなってしまったからだ。


 その夜の腕には、いつまでも、アリスの重みが残っていた。

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