第3話 村ではそこまでムラムラしていない(当社比

 夕焼けで当たりが真っ赤に染まる中、少女の住む村に向かいながら、色々なことを聞いた。良識ある一般男性としてはこんな危険がある中、こんな可憐な少女に外出させるのは甚だ遺憾であるものの、あのまま屋敷に残していたら遅かれ早かれ、あのミイラを見つけられて面倒なことになる。


――許せ、俺は自分が可愛い。


 聞き出せたことは、大体こんな感じだ。


 少女が住むのはラージュラ村。特産はブドウとワイン。少女の名前はアリス(まんまやないかい、とツッコミかけた)。ゴブリンの襲撃が激しくなったのは半年くらい前から。村長が国の中央と色々やって、ようやく王都から派遣されてきた冒険者が俺だ、ということ。


 それと、あまり王について触れたくなさそうだった。王都ではあるようだが、単に、都と呼称するのもそれと関係がありそうだ。


 しかし、ブドウとワインか。あの旨いワインもこの村で……、いやそんなことより、この分だとアリスもスカートをたくし上げ、眩しく輝く素足で仕込みのためにブドウ踏みをするのだろう。その時は是非、最前列で拝見したい。ローアングルで。げへへへ。


 そんな麗しい光景を守るためにも、冒険者様には頑張っていただくしかないのだが、恐らく「それ」はあのミイラ。なんとか執念で起き上がって、ゴブリンどもをどうにかしてくれないものか。アンデッドの格的には、スケルトンやゾンビより、丁寧に処置されたミイラの方が大体格上扱いだし、いける気がする。


 しかし、村の簡素な塀囲いを通っても、そわそわと辺りを見回す村人A~Dくらいがいるだけ。どこにも、ゴブリンの姿は影も形もない。俺の物言いたげな視線に気付いたアリスが、てへへっと笑って頬をかきながら「とりあえず、村長さんのところに」と言う。なんだか騙された気がするが、可愛いから許す。


――訴えなかったし、訴えなかったし!!


とても大事なことなので。


「村長さん~、入ります、アリスです。冒険者の……、都からの冒険者様をお連れしました」


 アリスが、村の中心から少し離れた、一際大きな平屋の家に俺を案内してそう声をかけた。そう言えば、名前を聞かれなかったな、と俺は今更に思う。俺には分かる、アリスは、多分本当は俺の名前――否、冒険者の名前――を知っているはずだったのだろう。


――しかし、忘れている! 人の名前を覚えるのが苦手故に!


 分かる、分かるぞアリス。俺はひっそりと首肯した。俺も入社して三ヶ月目、社長の親族の、名ばかり役員の名前を覚えていなかったがために、片耳をもがれて泡吹いて死ぬくらいの苦しみを味わった経験がある。ジャパニーズブラックカンパニー、略してJBCはファンタジー世界より恐ろしいのだ。


 まあ、今、名前を忘れられているのは俺じゃないからそれはいいんだけど、これから先の立ち回りが厄介になる。今更、都からの冒険者ではありません、となったら未成年淫行でバッドエンドルート《逮捕・拘留・異世界・斬首》待ったなしだ。ここは救世主のフリをして、なんとか適当にやりすごさなくては。


 でもな~、アリスたんのブドウ踏み見る前に逃げるのもな~。


「是非見たい、純白の足、ブドウ踏み」


 季語も入って完璧。これぞ日本の心、HAIKUだ。


 そんな俺の懊悩をよそに、俺とアリスは老婦人に家の中に招き入れられた。使用人ではなく、村長の奥さんだろうと察しがついた。そして、オレンジ屋根のお洒落な家とはいえ、俺が目覚めたあの屋敷ほどの豪華さはなく、床は西洋式に土足なのに板張りだ。


 俺はそれに、どこかいびつなものを感じながら、村長に相対した。


「儂が村長のピエールです。ようこそおいでくださいました、ブラン=レクター様。あなた様を遣わされた枢機卿に感謝を」


「ああ、うん。ありがとう」


 俺はドギマギしながらそう応えた。ちなみに、アリスは視界の端で村長の方に行こうか、俺の斜め後ろの立ち位置のままでいようか、ちょこまかと悩んでいる。分かる、どっちも身内でなくどっちもお互いよりは身内のときの立ち位置、凄く困る。


 ともあれ、俺――というか、あのミイラがブラン=レクターだと判明した訳だが、ちょっと気をつけないとな。ここでは俺がブランでいいと思うが、他所ではブランの知り合いもいるだろう。


 後は枢機卿という言葉だ。割と早めに理系に進んだ俺には馴染みが薄いが、確か、宗教的に偉い上に、政治にも絡んだ役職だった気がする。なんか、SF映画で見た記憶がある。そんな偉い人から直接命令があったわけでもないだろうけれども、この世界の「冒険者」とやらは、宗教的権威に左右されるものらしいことは確かだ。


「既にお着きだったとは、大変な幸運でした」


 何が幸運だ、アリスを助けた以外、俺は何もしてないぞ。


「しかし、いつお着きだったのでしょう。我々としては、いつでもご歓待の準備ができておりましたのに」


 村長はあくまでも慇懃に、俺の背後にあるはずの権威に平伏する体だが、瞳の奥にはキラリと光る疑いの目がある。つまり、来たなら挨拶しろボケ、ということだろう。ちょっと俺には不利な状況だが、一方で、そんな態度を取るということは、ブラン氏はこの村に姿を見せていないと確信できる安心材料でもある。


「いや、大変な不義理をして申し訳ない。夜遅くについて、お騒がせするのも申し訳なく、こんな時間になってしまって……」


 俺はvs. ブラック上司用の表情筋を総動員して、にへらっと笑った。普通、人間がミイラになるのは一朝一夕ではないと思うが、アリスが「来ているかもしれない」と助けを求めにくる程度には、近日到着予定だったのだろう。そうなれば、昨晩か、それより少し前か……、に到着していた設定が無難だ。


「そうでしたか。儂らのような不信心者にもご配慮いただき、感謝の極み」


 そうして、げほっごほっと咳き込む村長。真意が分からず、フリーズする俺。


「村長、あの、ゴブリンの話を……」


 フリーズした俺に気付いた訳でもないだろうが、アリスが本題に入るように促してくれた。グッドだ。


「そうでしたのう、さて、どこからお話したものか……」


「最初から話してくれ……、着いたばかりなんだ」


「おやそうでしたか……。枢機卿からはもっと詳しくとばかり言われて、ここ半年難儀しましたがのう」


 ざわっと鳥肌が立つ。下手を打ったか?


「村長!」


 アリスが怒ったように声を上げる。この子、俺のこと好き過ぎでは?


 いやまあ、どうあれ彼女にとって俺は命の恩人だから、というのはあるだろう。そして、ブラック企業で生き延びてきた生存本能が、村長の態度は俺ではなく、俺の上司――枢機卿への不満であることを告げている。サンキュー、アリス。お前のお陰で考える時間ができた。後でチュッチュしてやろう。


「確かに……、もらっているけど、状況は移り変わるものだし、何より直接話を聞いた方が分かりやすいからね」


 俺の嫌いな上司の言葉、ランク1, アンド 2。状況が変わった、直接説明しろ、の応用。言われる側は嫌だけど、言う側はとても楽。言って分かる、上司たちあいつら結局メール読んでなかったし、何も理解してなかったな?


「おお、なるほど。さすが都の冒険者様ですな」


 うーん、ちょろい。俺が言われた側なら3回くらいキレる。


 改めて、村長の説明によるとこうだ。俺が寝ていた屋敷が村のちょうど真南に位置している。そして、村の南東と、北西の方からゴブリンズが散発的に攻めて来ている。ただ妙なのは、家々を破壊したり、目に付いた村人に殴りかかったりはするものの、女を連れ去ったり、積極的に農作物を荒らしたりはしないということだ。


 ただ、それでも元気に棍棒を振り回して畑を駆け回るものだから、畑は荒れる。家畜はパニックを起こして怪我をして、酷いものは死んでしまっている。


 枢機卿が助けを寄越すには腰が重くなり、一方、当事者たちにとっては大問題という程度に中途半端なゴブリン被害である。


 女を連れ去るというのは、やっぱりアレだろう。今回は連れ去られた若い女はいないとのことだが、犠牲がないことを喜ぶべきか。いやでも、とアリスを横目で見る。


――俺はそういうのもイケる口だからな。


 閑話休題。


「なるほど。襲撃の方向は変わらず?」


「ええ、一定です」


 ここで、ゴブリンの生態について質問をするような愚は冒さない。知ったかぶりを通して後でぐぐるのが、現代日本で生き延びるための知恵だ。


「アリスが俺のところに来るときは……、やっぱり左の方から?」


 俺は地図を頭に思い浮かべながら聞いた。


「えと、多分……、そうだったと思います」


 不確かか。まあ、命の危険があった中なら、仕方がない。ただ、そうすると、逃げるなら屋敷に戻ってから西……、できるなら南西方向がベストだろう。そっちが安全なら、だが。


――しかし、あの緑肌ブンブン丸に村を挟み撃ちするような知恵があるだろうか?


「分かりました……、ちょっと一回持ち帰って、整理しますね」


 俺は日本で何回繰り返したか分からない、「どうしよっかな~、これ~」という時の決まり文句を言うと、出口に向かった。


「是非、お願いしますじゃ。このままでは儂らは今年の冬が越えられるかも分からんのです」


 村長の弱り切った言葉に、不思議と胸は痛まなかった。しかし、現代日本で生まれ育った俺の良心は十分にくすぐられた。いや、直接的な略奪がないなら、逃げて建物にこもればいいだけの話だ。


 ――村長は大げさに言っているのだろう。仕事が捗らないのは、PCのスペックが低いからだ~とか文句を言うのと一緒だ。多分、枢機卿もそう感じたのだろう。


「アリス、レクターさんをお屋敷まで送りなさい。この時間じゃから、明かりなしでは危ないじゃろう、ランプを持っていきなさい」


 一方で、そう言う村長の声には、田舎の人特有の、損得なしの優しさがあるような気がした。ただ実際には、外に出ると街灯や残業の明かりがないせいか、月明かりと星空が明るくて、特に明かりがなくても道に迷うことはないように思えた。


「じゃ、じゃあ、お屋敷まで……」


 村長と俺とのやりとりがそうさせるのか、アリスは来るときより緊張した風だった。


「いや、まてまて。俺を送った後どうする? 危ないからこのまま家に帰りなさい。俺は大丈夫。ほら、剣もあるし」


 俺は腰に穿いた剣をポンポンと叩いて見せた。多分、押っ取り刀には見えていないはずだ。


「え、でも。あのお屋敷ならベッド沢山ありますし……、朝に帰ればゴブリンも来ないんで大丈夫だと思いますけど」


「ん? んっんっ、げふんげふん!」


 よくないよ! よくないと思うよ、おじさんそういうのは! 思わずむせながら俺は心の中で叫んだ。いくら俺が人畜無害な善人でも、人里からちょっと離れた屋敷の中で若い美少女と二人。


 よくないよ。


「ダメ……、ですか?」


 暗闇の中でも、きらめく星々よりも月よりも、美しく輝くグリーンの瞳。多分それが、天の輝きよりも美しいのは、涙で揺れるからだろう。


 ……そんなん、ずるいやん!


 ベッドの上にあるミイラのことも忘れ、俺はとマタタビを前にした猫のように腰をくねらせた。実際、ここで彼女を招くのは……、ミイラがなくてもまずい。アリスの真意は分からない。分からないが、村長の思惑は分かる。俺の見張りとして、また情を湧かせて俺に首輪をするつもりだ。


 ようやく国の中枢から送られてきた輩に、万に一つも逃げられては敵わない。そういうことだろう。俺がゴブリンどもを一人でなんとかすればよし、そうでなくても……。無惨な屍をさらせば、枢機卿からもう少し大勢の増援が得られるだろうという算段なのだろう。


 下請け孫請け玄孫請けな開発現場でもよく見られる光景だ。責任者の接待の代わりに、純粋そうな美少女をあてがうところが、よりタチが悪いけれども。


 俺は、いつから止めていたかも分からない、詰まった息を吐き出すと、不思議そうな顔でこっちを見るアリスに、力なく笑って見せた。どうにもこの世界、俺には分が悪くなっているようだ。


「全く、悪い子だ」


「子ども扱いしないでください、私もう16歳ですから。大人です。オ・ト・ナ!」


 アリスは言っている内容と全く違う、少女の面影が色濃い笑顔で言う。星明かりは綺麗だが、アリスの幼さの残るかわいらしさは、きっと朝日の方が似合うだろう。


 そうか、この世界では大人か。ならセーフだな? いや、いくらこの世界が許しても俺の育ってきた世界の倫理観的にアウトじゃないか?


 そうやって悩んでいるフリをしながら、結局俺はアリスを屋敷に招き入れてしまうのだった。

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