第2話 犯人は、泣くまで殴るつもりもなかったなどと供述しており。
眼前には尖り耳に緑肌の
これで俺が剣と盾、甲冑で武装していたらもう少しマシなんだが、生憎と徒手空拳。ゲームで言えば最初の探索を怠って装備を手に入れていない状態といった感じ。
「離れてて」
俺はできるだけ優しそうな声を出して少女に言った。ゴブリンズは俺より頭ひとつ分以上背が低いからか、手に粗雑な棍棒を持っているとは言っても、警戒してかなかなか打ちかかってくる気配がない。巨大ナマケモノことメガテリウムに挑む古代人の気分って奴か。
それだと道具がない俺の方が負ける側になるけど。
「ギシャアアアア!」
そんな俺の内心を読んだのか、左のゴブリンAがジャンプ1番、棍棒を振り下ろしてくる。俺は咄嗟にカカッとバックステップでそれをよけるが、鼻先を棍棒の先端がかすめて行く音が聞こえた。
思ったより身軽によけられたのが幸いしたが、ゴブリンのジャンプは助走なしとは思えないくらい高くて、距離がある。ただの30cmくらいの太い木の棒だから、殴られても即死はしないと思うが、それでも昏倒するか目眩でも起こせば一巻の終わりだろう。
俺は拳を握りしめて左手を目線の高さで前に出す、ボクシングの基本姿勢を取った。ゴブリンズは右手――つまり俺から見て左側に棍棒を構えているから、そっち側の防御が堅いはず。だから、右側から回り込むフックが狙い目だと思ったからだ。
まあ、ボクシングはフィットネス目的のシャドーしかやったことないんだけどな!
「キキッ」相方の全力の不意打ちを回避されて慎重になったのか、ゴブリンBは大して跳ねず、横殴りに棍棒を振り回す。これも後ろに下がって避ける。
考えて見たら、俺の知ってるボクシングの動きは殴るばかりで防御が全然だ。ダッキングとかいう動きもあるにはあるけど、こんな奴らの攻撃をしゃがんでよけようったって、むしろ当たりに行くようなもんだ。
後ろには息も絶え絶えな少女。逃げるったって、何かしらの打開策を講じてからじゃないと危なくて仕方がない。一歩踏み出してジャブを打つ。下目を狙って打ったが、身長差がありすぎて、ゴブリンBのデコを叩く形になった。「ピギャア」拳は全然痛くないが、Bはたたらを踏んで姿勢を崩した。行ける。
無意識に俺はよろけたゴブリンBの耳を、左手でむんずとつかみ、引き寄せながら腰の高さに握った右の拳を、真っ直ぐ突き出すように打ち出す。普通であればボディアッパーの動きだが、この身長差なら顔に直撃する。
――ベギョォッ!!
骨の砕ける感触が右の拳に、繊維質を引きちぎるブチブチとした感覚が左手に伝わってくる。インパクトの衝撃で、ゴブBの耳が引きちぎれている。それどころか、繋がった筋が引き剥がされて、顔の1/3ほどがズル剥けだ。
「ピギャアアアアアア!!!」ゴブBがけたたましい悲鳴。
「ひっ」可愛く息を呑むのは後ろの少女。
思ったより強くやっちまったのかな。俺はちょっと罪悪感というか、焦りを感じた。いたずら、どっきりにしてはやり過ぎだと思うけど、相手が人間なら間違いなく大けが。過剰防衛だ。まあ、青い血の人間がいるなら、だけど。
一方のゴブリンAは、くるりと方向転換。一目散に来た道を戻り始めた。追うか? 追ってどうする? どっきりの線がほぼ消えた今となっては、知的生命体とのファーストコンタクトの方が重要な気がする。そもそも、美少女放置は通常バッドエンドルートだ。
「大丈夫?」
俺、とっておきの営業スマイル。営業職ではないが。
「あ、ありがとうございます! さすが、都から来た冒険者さんですね! 武器もなしでゴブリンをやっつけちゃうなんて!」
美少女は目をキラキラさせて――ビクンビクンしながら泡を吹いているゴブリンから目を逸らして言った。せめてやるまい、なかなかにショッキングな絵面だもの。
そんなことより重要なのは、俺が都――国の形態は分からないが、なんらかの首都ということだろう――からやってきた「冒険者」だと思っているということだ。普通に考えたら、俺に手紙を残した人物がその冒険者なんだろう。巻き込んで申し訳ない、みたいなことも書いていたし。
「ははは、ま、まあね」
俺は考えをまとめながら曖昧に頷く。うーん、正直にここがどこだか分からないと言うべきなのか。しかし、俺に手紙を残した人物が件の冒険者だったとして、今姿が見えない理由が分からない。冒険者、なるものが何を差しているか分からないが、都から派遣されるってことは、役人か、その下請けみたいな仕事だろうし、すっぽかすだろうか?
「でも、村にもっと多くのゴブリンが! 自警団のみんなも頑張ってるんですけど、わたし……」
考えがまとまらない中、俺の心を揺さぶる美少女の涙。村というのは丘の下に見えるオレンジ屋根のところだろう。俺が行って役に立つのかは分からないが、あんな凶暴なのが大勢いる中、下手したら娘でもおかしくないくらいの年の女の子を連れて行くのは気が引ける。
俺は屋敷のドアを開けると、少女を招き入れる。「とにかく、外は危ないから一回中へ」なんだか、大分怪しい行為の気がするが、少女は疑う様子もなく大人しくついてきた。
バタン、とドアが閉まると屋内は不思議な静けさに包まれた。そうだ、都会で暮らしていた時には、いつだって聞こえていた車や何か機械、人が活動する音が聞こえないのだ。いよいよ、自分が普通ならざる状況にいることが実感として湧き上がってきた。
俺は玄関を入って正面に見える、円形の部屋に少女を誘った。ぱっと見でお客さん向けだと分かるお洒落なテーブルや椅子がしつらえてある。地下と違って、よく掃除されている。
「ここで待っててね」
「はい、……冒険者さんはどちらへ?」
「ちょっと、ね」
ぷるんとした桜色の唇に思わず吸い付きたくなる変態的欲望を駆り立てられたが、俺はそれを適当に誤魔化すと、玄関に戻って落とし戸がある方に向かった。
改めて外から見てみると、落とし戸はタイルに偽装されていて公にされているものではないようだ。この屋敷が都からの冒険者がいるべき場所なのだとしたら、あんまり地下のことは言わない方がいいかもしれない。
そして、落とし戸の隣には上階への階段がある。踊り場で折れ曲がって、落とし戸の上を通って二階へ続く構造だ。もし、都からの冒険者がいるとしたら、二階だろう。大体一戸建てに住んでいる場合、一階は応接室や食事のスペース、居住スペースなんかは二階と相場が決まっている。
「うっ……」
果たして、本物の冒険者はいた。ただし、死体で。
少女を通した部屋の真上に当たる円形の部屋。多分、寝室だろう。部屋のほぼ中央で、ベッドに手をかけるようにしてそいつは、干からびていた。言うならばミイラだ。とても到着したばかりとは思えない。
それでも俺がこのミイラを冒険者だと思うのは、見るからに旅装をまとっていて、近くには大きな袋があり、旅の道具とおぼしき道具が覗いているからであり、ベッドには細身の剣が鞘に収められて立てかけられているからだ。
「誰がやった?」
ゴブリンではないだろう。あんな棍棒ぶんぶん丸にこんなことができるようには見えない。とすれば、俺に手紙を残した人物だろうか? 冒険者の仲間で、何かトラブルがあって殺してしまったか。あり得る。
もしかしてどっかで俺を拾ったせいで揉めたとか?
「冒険者さん? あの~」
俺は、思ったより長いことミイラの前でフリーズしていたのか、少女の遠慮がちな声ではっとした。階段を上がってくる音がする。まずい、どう考えてもこの状況はまずい。現状が全く分からない上に謎の殺人、身分詐称疑惑までつけられてしまう。
「これ、借りるよ。あんたの仕事のために」
無言で持っていくのも気が引けて、俺は剣を取りながらなんとなくつぶやいた。なんとなく――なんとなくだが、恨みがましい声が聞こえた気がした。よしてほしい、殺したのは俺じゃないし、代わりにやりかけの仕事をやってやろうってのに。
「やあ、ごめん。さすがに素手だとあれだからね。武器を取ってきたんだ」
俺は階段をあがったところで遭遇した少女に、剣を見せながら言った。実際、そうだ。剣があればリーチの面で圧倒的有利になる。もちろん剣道もフェンシングもやったことはないが、傘でチャンバラは、日本の小学生なら必修科目だし大丈夫だろう。
一方で少女は何か気になることがあるらしく、俺の肩越しにちらちらと奥を見ている。まずい。
「さあ、行こう。村まで送ってあげよう。ゴブリンのこともあるし」
我ながら、イケメンに限るようなセリフを吐いて鳥肌が立ちそう。
「はい、でもあの……」
「大丈夫」
まだ何か言いたそうな少女の澄んだグリーンの瞳を覗き込んで、猫カフェで猫にするようににっこり笑ってみる。人間の女子にこんなことをしたことは、ついぞなかった。
なかったのに、少女は俺の目を見て、ぼーっとした顔になった。心なしか肌も上気しているように見える。お風呂のおねーさんが誘うときのような、でもそれよりも少女に相応しい無垢な感じの、なんとも言えない顔だ。
そんな表情をされて、我慢できるか? 俺はできない。気付いたら吸い寄せられるように少女の唇に自分の唇を重ねていた。やっちまった、会社員の淫行。明日のトップニュース。解雇に慰謝料。そんな言葉が思い浮かぶが、すぐに忘れるくらい、少女の唇は美味で心地よかった。
どうとでもなれという気持ちで舌を差し入れると、驚いたことに少女はそれを受け入れて舌を絡めてきた。少女の体温はひどく高く感じられ、唾液が混ざる音が階段ホールに響いた。それから、少女は大胆にも俺の方にも舌を入れてきた。それを八重歯で軽く囓ると、少女は俺の腕の中でびくびくと震えた。
「ご、ごめんなさい」
蚊の鳴くような声で先に謝ったのは、驚くべき事に少女の方だった。ホワイ? 何故? あ、この世界で未成年に淫行は即死刑とかそういう?
「今は村に行くのが最優先ですもんね。すみません、変なこと考えてしまって。ありがとうございます、落ち着きました」
少女は顔を真っ赤に上気させて、恥ずかしそうにうつむきながら言った。そうして、スカートの裾をひらひら揺らしながら、階段を降りていった。
おろろろろ?
どういうことだ? やっぱりどっきりか? それとも、俺はいつの間にか超絶イケメンに転生していたのか?
イケメンに転生は、正直あり得るな。そもそも、いくらゴブリンが下級な小鬼と相場が決まっているといっても、俺のパンチ一発でノックアウトなんてことは、普通に考えて、ない。
転生とかではなく、もしかしたらこの世界のイケメン冒険者に乗り移ったのかもしれない。つまり、俺が正真正銘、都からの冒険者だったというパターンだ。
美少女との濃厚なキスに味を機嫌をよくした俺は、寝室にミイラを残したまま、都合のいい考えで、彼女の後を追いかけた。
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