おうち戦士

石田宏暁

いつものおうちの僕の部屋

 いつも僕は一人きり。共働きだから仕方ないけど、新型コロナのせいでパパやママの仕事が増えてるんだ。


 医療関係だから仕方ないけど、ひとりで帰りを待つのは辛い。色鉛筆はすり減ってるし、随分と付き合いの長い消しゴムはすごく小さくなっていた。


 疲れてるママに筆記用具が無くなりそうだなんて言いたくなかった。だから大切にしていたんだ。


 夕焼けに映ったぬいぐるみのコアラが惨めな僕を眺めている。アゴがしゃくれていて可愛いけど、ずっと売れ残っていたから可哀想だったんだ。買ってもらってすぐ名前はガッツってつけたんだ。強そうだから。


 十五センチ定規にはヒビが入っていた。学校でいじめっ子の米山に筆記用具を落とされたんだ。僕の家が医療関係だから、病原菌を持ってくるなって言われた。


 それに僕がチビで意気地無しだからだ。落とされた分度器を探して地べたを這いずりまわったら、皆が僕を笑った。小さくて見えないって。


 テレビではまた病原菌が広がって病院が忙しいって話してる。僕は目に見えない敵を想像してみた。とっても小さい奴なんだから、僕が倒してやりたいと思った。


 だって僕はクラスでも、いちばん小さいんだ。小さいってことは小さい病原菌と戦えるんじゃないか……そう思った。僕はうとうとして、カーペットで寝てしまった。


「宗太くん」誰かが呼んだ。「宗太くんっ」


「誰? ママじゃないよね」


 目の前には黒ずんだ消しゴムがいた。小さいはずの消しゴムは僕と同じくらいの背丈だった。小さな切れ目がパクパクと動いてる。


「ボクは消しゴムだよ。宗太くんが使い込んでくれたおかげで魂が宿ったんだ」


「……きたないね」


「うん。宗太くんが使い込んでくれたからね。普通は捨てるレベルだけどさ」


 黒ずんだ部分が顔みたいに見えた。でも消しゴムが話してるなんて、どう考えても現実とは思えない。


「そんなことより、はやく隠れて」


 消しゴムはピョンピョン跳ねて、僕をタンスの後ろに誘導した。タンスの後ろ……僕はここがどこか気付いた。ここは僕のうちの僕の部屋だった。


「なっ、なんでみんな大きくなってるの!?」


「違うよ。宗太くんが小さくなったんだよ。さっき、学年一のチビだから、あいつらを倒せるはずだ……なんて言ってたろ?」


「あいつら?」


「しっ……」


 緑色と茶色、黄色や赤い色も混じっていた。丸くてトゲトゲした生き物が、部屋のなかをうろついている。大きなゴムボールみたいだが、表面がぐちょぐちょしていて気味が悪い。


「あれは。あれを……僕は知ってる」


「宗太くん。帰った時にちゃんと手を洗った? それか、体に付いてきたのかも」


 ちゃんと手は洗ってるし、消毒液も使っている。でも、今日はいじめっ子の米山に押し倒されて尻餅をついた。


 胃の辺りがむかむかして、吐き気がした。血液が流れるのをやめたみたいに、手足は冷たくなっている。青ざめた僕は泣きたくなった。


「どうしよう、どうしよう、僕がいけないんだ。ちゃんと気をつけろって、あれだけ言ってたのに、病原菌を持って来ちゃったんだ」


「落ち着いて、宗太くん。君はひとりじゃない。君は命令してくれればいいんだ。ほら、あの机の上にみんながいる。ボクが囮になるから、合図するんだよ」


「……み、みんな?」


 ズラリと並んでいたのは十二色の色鉛筆軍団だった。僕が大事にしてる、見慣れた色鉛筆が並んでいる。


 走っていく消しゴムを追いかけて病原菌が回り込むのが見えた。消しゴムは机の下で待ち構えた。色鉛筆は喋った。


『ブラボーレッドから、ブラボーグリーンへ。左舷前方に敵を捕捉。恩を返す時がきたようだ。みんな用意はいいか!』


『はい、隊長。毎日除菌シートで磨かれ、丁寧に並べてもらい、優しく使用して頂いた恩を我々が忘れてなるものですか』


『一発で仕留めるぞ。俺たちは十二色でひとつだ。そして宗太の一番のお気に入りだ。彼に恥じをかかせるなよ』


『ラジャー!』『ラジャー!』『ラジャー!』


 色んな声が聞こえた気がした。だから消しゴムが病原菌に襲われる瞬間、僕は叫んでいた。


「いまだっ!!」


 ザザザザザ……ドスンドスン。


 粉々に飛び散った病原菌の死骸をかわして僕は消しゴムを抱きしめた。色鉛筆部隊と一緒にバラバラになってしまったかと思ったけど、ちいさな消しゴムは生きていた。


「だ、大丈夫かい?」


「宗太くん」消しゴムは枯れた声をだした。「ボクはずっと怖かったんだ。いつ、新しい消しゴムが来て、ボクは捨てられるんじゃないかって……」


「君を見捨てるわけがないだろっ!」


「そ、その言葉だけで充分だよ。ありがとう宗太くん。あ、あいつらがまたくる。ボクのことはほっといて、すぐ逃げて」


 僕は周りを見回した。あちこちから丸い病原菌がうじゃうじゃと此方に向かってくる。五匹、六匹、数えきれないほど。


「まずいっ、囲まれてる」


『拙者を使ってくだされ、宗太殿っ』


「……!」


 落ちていたのは定規だった。セロテープで補強した十五センチの定規が僕に話していた。夢中で定規を掴んだ僕は、遠心力を利用して定規を振り回した。


 ザクッ……ザクッ!


「や、やった」消しゴムはバラバラの色鉛筆の影から僕を応援した。「そこっ、後ろにいるよ。気をつけて」


 飛びついた病原菌が定規ごと、僕を撥ね飛ばした。視界がぶれて目が回った。ヒビから定規がまっ二つに割れた。


「ご、ごめんよ。定規さん」


『もともと失った命を貴殿が救ってくださったのです。拙者の事は気にせず、戦ってください。そして生きてくだされ』


「……ええいっ!」


 軽くなって使いやすくなった定規を剣にして僕は敵に飛び込んだ。息がきれて意識が朦朧としてきた。定規は何も言わなかったけど、切れ味は増していた。


 足がもつれた。僕はふらふらして、膝をついた。もう駄目だと思ったとき、目の前に半円の盾が僕を守った。


『あと少しですわ、宗太さま。防御は私がします。病原菌に取り込まれないようにしてくださいっ!』


「き、君は……分度器」


『私は一度は離ればなれになった定規様の妻です。貴方様が、這いずりまわってまた巡り会わせてくれました。命にかえても、貴方様をお守り致しますっ!』


「あ、ありがとう。分度器」


 僕は振り向かずに戦った。切って切って切りまくった。病原菌は、距離をとって僕を囲んでいた。戦いは膠着していた。


「ハァ……ハァ……ハァ。キリがない」


 握力がなくなって、足がガクガクと震えた。僕は死ぬのだろうか。僕が死んだら、この定規や分度器、消しゴムや色鉛筆たちは、どうなってしまうんだろう。


「みんな君に魂をもらった仲間だもん」消しゴムが言った。「君が死ねば、当然みんな死ぬよ。でも、でも……一瞬でもボクらは生きた」


 色鉛筆たちは手を繋いでいた。みんな目には見えないけど、手を繋いでいるのが分かった。怖いのは僕だけじゃないと思った。


 定規と分度器はとっくに死を覚悟していると言って僕と手を繋いだ。僕も死ぬときは一緒だと感じていた。


『死なばもろとも。みな共に逝きましょう』


『ええ、私は……私たちは幸せだったわ』


 僕らが目を瞑った瞬間、アルコールの匂いが鼻をついた。スプレーが部屋中に吹き付けられてるみたいだ。


 病原菌は悶え苦しんで溶けていった。シュウシュウと一匹残らず、縮まりながら消えていった。でも、いつも玄関に置いていた除菌スプレーがどうしてここに?


『間に合っただすか』


「き、きみはガッツ!」


 しゃくれたコアラのぬいぐるみがドアの前に立っていた。強くてしっかりといた手には除菌スプレーがあった。


「た、助かったよ。ありがとう、ガッツ」


『いつも、宗太くんがオラに除菌スプレーをかけてくれたのを思い出したんだす。オラ、ずっと宗太くんにお礼を言いたかったのに、先に言われただす』

 

「どうして?」


『だって……オラは売れ残りの嫌われもんだすよ。そんなオラに名前までつけてくれたんだす。だから、どうしても宗太くんを助けたいと思ったんだす』


 消しゴムは僕の肩をポンと叩いた。僕はまだ心臓がバクバクしていたけど、みんなが無事ですごく安心したんだ。


「……」


「…………」


「宗太」ママの声がした。「宗太ったら、こんなところで寝たら風邪ひくでしょ」


 外は真っ暗になっていた。エプロン姿のママに抱きつくと、いい匂いがした。全部、夢だったのかと思った。


 違う……夢じゃない。机の前に色鉛筆が散らばっていた。割れた定規と分度器が仲良く手を繋いでいるように見えた。


 小さな消しゴムは、僕の手のなかにあった。僕は消しゴムを握りしめてありがとうと囁いた。そしてママに言ったんだ。


「風邪なんかひくもんか。学校でも、もう苛められたりしないよ。だって僕は医療戦士の息子だからね」



        END

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