週末時間

夏祈

週末時間

 週末の午後、一通り家事を終えた私は踊るようなステップで冷蔵庫の前に行き、朝のうちに仕込んでおいた生地を取り出した。今日の休憩のお供である。

 ポリ袋に入った薄黄色のそれはひんやりと冷たくて、少しずつ気温の上がり始めた部屋の中で触れるにはとても気持ちが良い。しっとりと指が沈み込む生地を、薄力粉を敷いたまな板の上に出してやった。こちらも薄力粉を塗しためん棒で薄く伸ばし、ハートの型で一つずつ型抜きをしていく。薄っぺらなそれが崩れてしまわないように、丁寧に、丁寧に。少し開けた窓から聞こえる、外の騒めきが嫌に愛おしい。

 そしてクッキングシートを敷いた天板に、沢山のハートを並べる。型抜きも出来ないほど小さくなった生地は丸めて潰して、これも天板へ。予熱しておいたオーブンに天板を入れて、時間をセット、あとは待つだけ。


 焼けるまでの間に、お菓子のお供になる本を探す。生憎積み本は沢山あるから、読む本に困ることは無かった。一人暮らしのワンルーム、天井に届く程の大きな本棚にはぎっしり本が詰まっている。未読の本だけを並べた場所に視線を移して、どれを読もうか考える。できれば優しい話が良い。人間の綺麗なところだけをろ過して、その更に上澄みを掬ったような、幻想みたいに澄んだ話。人の綺麗じゃないところは、最近嫌なほど見てしまった。だからせめて、この時間だけは美しくあってほしかったから。

 悩んだ末、手に取ったのは子供向けの本だった。可愛らしいキャラクターと、箔押しされたタイトルが煌めく表紙の本。どうにも近頃目の調子が良くなくて、細かい文字を追うのが辛そうだと感じたから、大きな文字で書かれているそれにした。いつかSNSで話題になっていた本だった。それがどれくらい前だったのかは、もうあまり覚えていないけれど。

 読書とお菓子のお供はコーヒーが好きだから、それも用意する。いつもはインスタントで済ませてしまうけれど、今日は奮発して買ったコーヒーメーカーを使う。説明書を読んで四苦八苦しながら淹れたコーヒーは、確かに美味しい。これは手間をかけても淹れる価値がある、と一人納得して、もうすぐ焼き上がるオーブンの中を見つめる。

 タイミング良く電子音を鳴らしたオーブンから鉄板を取り出して、少し冷ます。その間にソファに沈み込んで、選んだ本の一ページ目を捲った。どうやら終末を迎えた世界を一人の少年が旅する話らしい。自分が望む終わりの形を探すお話。些か子供が読むには暗い話ではないかと思ったがそんなこともなく、道中で出会う人、誰かのいた形跡、見つめ直す自分自身の過去を、柔くも深く掘り下げた、彼の生き方を描くお話だった。お菓子が冷めるまで冒頭を読もう、と思っていたのに、気が付けば私の手には、読み終わったその本があった。窓の外の陽は傾きかけていて、淹れたコーヒーも、焼き立てだったはずのお菓子も、とうに冷め切っていた。

 私の望む終わりの形はなんだろうか、なんて考える。案外あっさりと、自分の焼いた美味しいクッキーを食べながら本を読んで、こんな世界がやっと終わる、と清々しい気持ちで窓の外を眺めるのだろう。世界に愛着も無いし、最後に会いたい人もいない。私が愛しているのはクッキーと、本と、狭くも私好みに拵えたこの部屋だけなのだ。

 綺麗な焼き目を付けたクッキーを一つ齧って、窓を開け放ってベランダに出た。夕日が綺麗な日だった。ついさっき読み終えたばかりの本を開いて、大人には優しすぎる大きな文字を追った。吸った空気は、埃の味がした。

「『しゅうまつは、まるで当たり前のように、昨日の続きのように、世界にやってきた』」

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週末時間 夏祈 @ntk10mh86

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