おうち時間
末野ユウ
おうち時間の怪
世の中変わってしまった。
目に見えないものに怯えて、外出自粛を世界が推奨する。
我が家でも、それぞれ生活に変化が起きていた。
お父さんは、週末の飲み会やせっかく始めたジムにも行けなくなり、がっくりと肩を落としている。仕事も慣れない在宅ワークというものに変わり、新入社員になったようだと愚痴をこぼしていた。
お母さんは、パートのシフトを減らされてしまい家計のやりくりに悩んでいた。ストレス解消だったママ友とのお茶会も再開の目途が立たないため、夜な夜なため息をつきながら買い溜めしたお菓子を消費している。
そんな中、一番かわいそうなのは
まさか高校が休みになるなんて、誰も想像していなかった。
三年の先輩に憧れの人がいるらしく、ほんの数ヶ月前までは部活最後の試合は絶対に応援に行くと意気込んでいた。しかし、大会そのものが無くなってしまった。友達のように気軽に連絡を取ることもできず、憧れと恋心を燻ぶらせる姿はなんとも痛々しい。
私? 私は、その……根っからの引きこもりでして。
学校もないし、むしろ家にいる大義名分を得たような気持ちで、この家で唯一なんの変化も起こしていません。
いやぁ、お恥ずかしい限りですが、この空気。私がなんとかするしかないですかね、やっぱり!
まぁ、私がウイルスやっつけるなんて出来ませんが、いっちょ一肌脱ぎましょうかね!
「この時期、おうち時間を家族で楽しみましょう!」
食卓を囲むリビングで、テレビの中の男性が明るい声を上げた。
……おうち時間。いい言葉だね、おうち時間!
っていうかこの子、美香の推しメンアイドルじゃん! ほら、落ち込んでないでさ。こんな状況二度とないんだし、楽しもうよ!
「……彼が言うなら楽しもうかな」
エビフライを口に運ぶ美香の顔は、少しだけ悩みが薄れたよう。
さすがアイドル! 私もこれから貴方推し!
お父さんとお母さんも心なしか笑顔になったし、おうち時間を楽しむぞ!
と言っても……具体的になにすりゃいいんですかね?
空気みたいな存在って自覚はあるんですが、それは生きるのに必要ってことじゃなくて存在感が薄いって意味のほうが強いんですよねぇ。うーん、とりあえずみんなの様子を観察しますか!
美・香・ちゃん! あ、お友達と電話中みたいですねぇ。
ん? 机の上の教科書、落書きだらけじゃない。ノートは……ほ、ほとんど書けてない。
こらぁ! ちゃんと勉強しないとダメでしょ!
「あれ? もしもし? もしもーし!」
いいタイミングで、お友達の電波が悪くなったみたい。
よしよし、学生の本分は勉強なんだから、しっかり励め若人よ!
お母さーん。おっと、お風呂か。
「……太ったわね」
バスルームのシルエットが、暗い声で呟いた。
いやぁ、そりゃそうでしょ。
この調子じゃ、血糖値も無視できなくなるんじゃない?
「え? きゃあああ!!」
シャワーを浴び始めたお母さんは、次の瞬間甲高い悲鳴を上げた。
あ、ごめん。給湯器のスイッチ切っちゃった。
水が出たよね、ごめんなさーい!!
思わず逃げてきたけど、お父さんは……あ、お仕事中だ。
テレワーク。というものだね、これは……おぉ、すごい。パソコンに何人か会社の人が映ってる。これで会議ができるなんて、すごい時代になったもんだねぇ。おかげでお父さんも、上だけスーツ下はジャージの新しいファッションを作り上げているよ。
「うわぁ!」
いきなりお父さんが声を上げた。
やばっ、カメラに映り込んじゃったみたい。画面に映ってる会社の人たちも慌ててるし、も、もしかして社内機密でも話してた?
申し訳ない! 失礼しますぅー!
うーん、私に手伝えることはなさそうだなぁ。とりあえず様子見かな! ま、その間に世間も元に戻るでしょう!
……と、思ったのに。
まさかこの状況が何年も続くなんて。
みんな、見るからに不健康に痩せている。
お母さんも体重が増えたのは最初の頃だけで、あとは目のクマを濃くしながら脂肪にさよならを告げていた。
でも、私だってなにもしなかったわけじゃない。
私はちゃんと、私にしかできないことをしてました。
「オオオオ……」
一般家庭に不釣り合いなこいつ。
真っ黒な縄に締め上げられた、等身大のこけしみたい。
テーブルの向こうで苦しむような声を出しながら、深淵が覗く穴の目で三人を見つめている。
そして、三本の腕を伸ばして三人の胸に繋がっている。
はぁ、しょうがないなぁ。
私はため息をつきながらその腕を掴み、引きちぎった。
「オオオオオオオオ!」
痛いんだろうね。
でもダメです!
残りの腕も〜えい、やあ!
テンポ良く引きちぎってはみたものの、腕は一瞬で元に戻った。
はぁ、やれやれ。
私はおうち時間の間、こうしてこの黒い腕を、ちぎってちぎってちぎり続けていた。
この腕は、今までも三人に繋がっていたし、ちぎる作業も五年は続いている。
けれど、おうち時間で家にいる時間がが増えてから急に太くなり始めたので、私の戦いは忙しくなった。
その甲斐あって、今ではもう赤ん坊ほどの太さまで細くなっている。
この戦いも、もうすぐ終わるだろう。
「大丈夫、大丈夫だ」
みんなで具の少ない鍋を囲みながら、お父さんが言った。
「そうね。ウイルスが落ち着けば、また元通りになるわ」
お母さんも、弱々しくも温かい笑顔で答える。
三人は、この数年でみるみる不幸に見舞われた。
お父さんは慣れないテレワークでミスを連発し、若い社員に追い抜かれ自分は平社員に降格した。
お母さんはパート先が潰れ、痩せたにも関わらず糖尿病を発症した。
美香は相談に乗ってもらっていた親友が、実は先輩と付き合っていたことが発覚。学校でもクラスターが起き、ストレスのやり場がないまま精神を病んだ。
それでも。
こんなにお互いギリギリなのに、手を取り合い、助け合い、愛し合い、支え合っている。
「うん……お姉ちゃんも、見守ってくれてるよね」
美香が、私の背後にある和室を見つめる。
そこにはきれいに掃除された仏壇があり、一枚の写真が飾られていた。
美香の姉である、
「もちろんよ! お姉ちゃんは、お姉ちゃんはお、おうちで……」
お母さん、みなまで言うな。
引きこもってた春香は、久しぶりに部屋から出てきたかと思うと、階段から落ちて死んだんだ。
分かってるから。わざわざ言わなくても、分かってるから。
お父さんが肩を抱き、涙ぐむお母さんをなだめた。
「大丈夫、大丈夫だ」
「お母さん、わたしね? なんとなくだけど、お姉ちゃんが近くにいる気がするんだ。わたしたちのこと、ちゃんと守ってくれてるって感じるの。こんなに辛いけどまだ頑張れるのは、お姉ちゃんのおかげだと思う」
美香の言葉に、二人はハッと顔を上げた。
「美香もか? お父さんもそうなんだ!」
「やだ、お母さんもよ? あぁ、春香っ」
三人が涙を浮かべ、私を見つめた。
いや、そんなわけない。
三人には、私の姿は見えないはずだ。
私も、となりの黒いやつも。
それなのに。
「ありがとう、お父さんたちは大丈夫だからな!」
「ありがとう、美香!」
「ありがとう、お姉ちゃん!」
みんな私を見つめて涙を流している。
姿は見えなくても、気配が分かるのだろうか?
私は胸に沸き起こった気持ちを、抑えることができなかった。
三人を挟んで正面に立つ、あの黒いやつに聞こえるように大きな声で。
思いっきり口を開いて笑ってやった。
「ありがとうだってよ春香ああああああああァァァァァァァァァ!」
おうち時間 末野ユウ @matsuno-yu
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