第7話 my angel's smile
第7話 [My Angel's Smile]
長瀬は、白衣を脱ぎ、無機的な事務椅子に無造作にかけた。
古臭い外套をはおり、薄暗い研究室を出、
廊下を静かに歩く。
革靴のヒールが、エポキシ塗装のコンクリートとの間の衝撃で、硬質な余韻を
響かせる。
研究施設という語感が意味するイメージにふさわしい、というか。
いかにもそれらしい閑静な。
靴音だけが、生き物の温度を発散している....。
階段をのぼってきた青年が、声をかけてくる。
「博士、おでかけですか...。」
「.....うむ...。」
「あの、学会のことですけど...。」
「そんなものは放っておけ。」
「でも...それでは博士のお立場が...。」
「そんなものはどうでもよい。大事なのは、科学者としては真実の追求だ。
頭の固い連中はどうせ否定しかしないのだ、いつでも。」
「...そうですか..わかりました。お出かけ、お気をつけて。」
「..うむ。ありがとう....。」
何処の研究室も同じような、(何故かはわからないが)殺風景な玄関を出、
長瀬は、だるそうに歩く。
傾きかけた太陽が眩しいのか、眉間に皺。
小高い丘の上にある研究所は、やや気温が低く、そのためかどうか
咳き込む....。
頭上を、黒い烏が。舞う様に、踊るように。
不吉な予兆、とか考えるのは非科学的である。カラスにしてみれば、甚だ迷惑な話だろう。
もちろん、科学者、長瀬がそんな風に思うはずもない。
人にはヒト、カラスには烏の生、というものがある。しかし、カラスが全世界を全て我が
認識するが如きもの、と誤認したら、ヒトから見ればそれはひどく滑稽なもの、と映るであろう。
では、われわれヒトは...どうだろうか?
この日の出来事は、長瀬がそんな考えを巡らすに十分であった.......。
研究所の前から、だらだら坂を下り、On-Demand EVに乗りこみ、
目的地をcommandした。
現在では、音声認識システムにより、声でcommandするのが普通。
しかし、技術者は、とても保守的なもので、keyがあれば
それを利用したくなるものなのだ。
VVVF-Inverterは、滑らかに発生周波数を変化させて、音楽的な響きと共に
加速を行っている。
沈んだ心とは無関係に。胸のすくような加速で。
ほんの数十分程で、郊外にある研究学園都市に到着。
物憂げに、ゆっくりと降りる長瀬。
EVが、wireless-guidewayに従い、ラジコンの玩具のように走り去る。
それを見、長瀬は技術者特有の歪んだ微笑みを浮かべた。
目前に、古びた白亜の建物。
モダン建築が、風格を出している....。
雀一羽もいないような、無機的さが不気味である。
古びた革靴特有の貼りつくような靴音が、エントランスに響いた......。
「....と、思われますが、私見では、この情報は有意ではないと.。」
広い空間に、長瀬の低い声が響く。
ざわめきが広がる。
会議か何かのようだ。
「博士!あなたの考えは科学者としては正しい。
しかし人間として、あなたのモラルというものの存在を伺いたい!」
若い、恐れを知らないような。声。
さらに、ざわめきが大きくなる。
「.......ここは、科学の進歩を振興する団体じゃないのか?...。」長瀬。
「しかし!それでは!!」
さらに気色ばむ、青年。
「.....退席するが、宜しいか?座長.....。」
長瀬は、二の句を継がせず、踵を返す。
「待ってください!あなたのしていることは..!」
「....神の冒涜だ、か?、その台詞は聞き飽きたぞ、小僧。」
重い、柿渋色のドアを開き、長瀬はホールから出る。
ドアの向こうでは、さらにざわめきが大きく。
冬の傾きかけた陽が、廊下の窓から斜めに。
なぜか、妙に暖かく感じている長瀬であった。
「......hu....。 ため息ひとつ。
「下らん連中というのは、みな同じだな.....。」 呟き。
徒労感だけが残る、無為な時間がむなしく過ぎて行く。
自分には、あとどれくらい許されるのであろう...。
脚を引き摺るように、ホールを後にする長瀬であった。
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「じゃ、浩之ちゃん、さよなら!」
「あ、またな。」
公園通りで。
一人、浩之は、公園を抜けて....。
「買いだし」に行こうと。
公園の並木道。
落葉樹は、すでに冬枯れて。
止められた噴水。
泉の水が、澄んでいるのが寒寒しく感じる。
落葉が、水底でゆらゆらと、揺れている。
常緑樹に、僅か救われる感の都市の公園。
中年の男。独り。
古臭い外套に、擦り切れた靴。所々白く、染色が剥げている。
長瀬である。
痩せこけた野良犬に、パンくずを与えている。
どうやら、自分の食事を分けているようだ。
避けて通ろうとする、浩之。
とおりすぎようとする、その背中に...。
「...やあ...。」
低い、その声に、何処か懐かしい響きを感じた浩之。
歩調が緩まる。....立ち止まる。
「君は、動物は好きかな..?」
「はぁ?」余りの唐突さに、面食らう浩之。
どうやら、この人物、会話が苦手のようだ。
野良犬は、この男になついてしまったようだ。
パンがなくなっても、じっと傍を離れず、尻尾を振っている。
「何故、動物は可愛いと思う?」
「そりゃあ、生きたいように生きているからじゃないかな。」
「うむ。じゃあ、生きているって、どういうことかな?」
変なおっさんだ。「....さあね。よくわからないな。」
関わらないほうが、と、歩き出す浩之。
その背中を見送る、長瀬。
「.....うむ....。」頷く。
いつになく、厳しい表情の、長瀬。
しかし、その横顔にかすかに安堵の色。
生意気で、意気がっていて、怖いもの知らずで、力のやり場がなくて.....。
そんな、少年の「若さ」故の状態。
そういった、感覚を自分がいつか、失っていたこと。
そして、そうした浩之の姿に過日の我が身をover-lapさせ、
彼の若さを羨むよりも、むしろいとおしげに接している自分に驚き、同時に
自らがすべき行動をまた再認している彼自身であった....。
なぜ、milleが彼を選んだか、その訳がなんとなく。
そう、微笑みながら浩之の後ろ姿を見送る長瀬であった。
なんとしてでも、守らなくては。
そう、意気込み、夕凪の空、オレンジにそまりはじめ、
ライト・ブルーとのグラディションが美しい...その、空を仰いだ......。
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そして、日常はさりげなく。
また、デイト・カウントは回る。
あるものには駆けあしで、またあるものにはのんびりと。
自然時間と、感覚時間。差異はあろうと、とにもかくにも。
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早咲きのすみれが揺れている研究所の中庭に緑のスペース。
長瀬は移植こてやら、じょうろやらを持ち。花壇にやってきた。
どうにか揃い始めた、花芽を観察し...にんまりと。
どうやら、彼は植物が好きらしい。
ちょっと、少女趣味かな?などとも思えるが、実はそんなことはなく、
可愛いものを守護したい、という、ごく当たり前の情動である。
「愛らしさ」
ヒトのディテイル認識。
それらはすべて、「赤ん坊」の形態を基底としている。
即ち、生命。次世代を担う生命に対し、守護的に働くような基本的プログラムが
ヒトには存在する。
そして、それはまたヒトのみならず、他の生物でも同様である...。
ただ、ヒトはこのところ文化の影響で、そうした本質的な部分が失われようとしている。
そのことに、長瀬は一抹の危惧を感じ、機械による「母性」の形成を試みた、
と、いう訳である....。
「おとうさん、なに、なさってるのですか?」
「ああ、mille、植物の手入れをね、してるんだよ。」
「わぁ・・・・かわいい、おはな。」
小さな花が、花壇で開花をはじめている。
赤や黄色の可憐な花が、訴えかけるように愛らしい.....。
すこし、柔らかさを増した陽射しを浴びて、歌うかのようにゆれている。
milleは、花壇の前にしゃがみ、じっと花弁のゆらぎをながめている。
彼女の瞳に、花たちが。ディゾルヴみたいに映っている....。
「.....。」
そんな、情景を微笑みながら、長瀬。
すこし、穏やかな春風が。
ひばりが囀る。高く、遠く....。
綿雲がふわふわと。
霞がかった、春の空。
穏やかな、休日....。
静まり返った空間に....ちょっと、小鳥のささやきが。
ふと見ると、ひよ鳥が桜の花蜜を。花弁を散らし、ひらひらと。
花、美しきが故に壊される。何故に、美しく?.....。
生あるもの、としての自問。長瀬は強く感じている。
小鳥が、高い木の上で囀りを。
音楽的なその響き、どことなく明るく、楽しげにも見え......
そんな、淡彩画のような雰囲気の中で彼女はずっと花を見ていた。が、
不意に、
「どうしてお花って、こんなに可愛いの?」と。
長瀬は困ってしまう。
「うーん、そうだな、それはね、花は、みんなに見てもらいたい、
可愛がってもらいたい、と思っているからなんだよ。」と。
「..そう?ですか......」不思議そうに、わからない.....風に。
「花はね、実を結ぶ為に虫の助けが必要なんだ。
だから、皆に見てもらいたい!って可愛い花を咲かせるんだよ。...」
と、科学者らしく、しかし精一杯の優しさで。長瀬はlogicaiに。
「..........??」まるい瞳が、きょとん、と。斜めに、見上げている。
「人間は、遠い昔、虫だった、と考えられているんだ。だから、心のどこかに
遠い記憶が、残っている.....らしい...。」
もどかしさを感じつつ、長瀬は、なるべく平易に。
と、そこに、桜の木から毛虫が、つつーっ、と
milleは、にっこりと。 「............?」
「...ああ、じゃぁ、、虫さんはお友達ですね?」
....長瀬、沈黙。
女の子なら、虫を怖がったり(しない子もいるけど)するか、と。
でも、humanoidが虫を怖がる必然は、無い。
プログラムをミス、かな?このあたり、リアリティをどこまで追求するか?という...。
人間に似せようとすると、何処か矛盾が出てしまう...。
まあ、虫の形態などを忌避する、というのも殆どは進化の過程での記憶である。
などと言われてはいるが。
そうした状態の総意がプログラムだ、とする。
彼女の瞳には、どんな風に映っているのだろう。花の、美しさが。
mille@system:date
mille@system:apr 14 20xx.......
翌日。昼......
・
・
・
音楽室から、クラシックのメロディ。
ワルトトイフェルの「女学生」かな?
......のようなゆったりとした、春の日常、ゆるゆると。
かずみのように、すぎてゆく。
彼ら、彼女らの群像も、ワルツみたいに通り過ぎる。
午後の学校。
いつものように、にぎやかに。
・
・
・
校庭の桜の花も、春、たけなわ。
うすももいろ 、 桜の花が舞い落ちる。
校庭。
もう、肌寒さも感じない春の
風が、爽やかに渡って行く。
爽やか、という語感に相応しい。
浩之は一人、ぼんやりと。
春霞に煙る街を、眺めていた。
こんな春は先輩のまねしてみたり。
先輩、元気かな.....。
「こんにちはっ!」
ちょこちょこと、mille。
「...うーん、ただ、なんとなくな。」
「はぁ、なんとなく、ですか。」
解ったような、わからないような。
まあるい頬、覗き込む。
そんな、何気ない仕種、無垢の赤ん坊のようでとても愛くるしい...。
そんなひととき。 春爛漫......。
・
・
・
幹にもたれた、あかり。
春の伸びやかさを、感じているのか、うっとりと。
うすももいろの花弁が、舞散る様子を.......ぼんやりと。
と....。毛虫が一匹、梢から、糸に伝って....。
☆★!!きゃーーーーーーーー!!!^^;!
っと、飛びのいた。ところに、milleと浩之。
「なーに、やってんだ、おい。」
「どぉしたんですか?」
「けけけけ、毛虫!!!!。」
あかりは、芝生の方にしゃがんだまま、動かない。
あっけにとられる、浩之、mille。
「あかりさぁん。虫さんは、お友達なんですよぉ。」
「....え!?。」
「だって、私たちの遠い、とおい昔の心、もっているんですから。」
「....?。.....?。」
「あ。あかりさん? 」
「mille、お前、毛虫、怖くないのか?」
「え、平気です、可愛いでしょ?」
「...そうかぁ。」
「.....。」
「.....。」
「だって、虫さんは、私たちのとおい、とおーい昔の....」
「それ、だれかに聞いたんだろ?」
「はい!研究所の....。」
「研究所?」
「あ、いえ、おとうさんに。」
「へぇー、お前のお父さんって、研究所にいるのか。」
「は、はいっ;;;...。^^;。」
「ああ、それで、そういう話、出てくるわけか。」
「はいっ・」
穏やかな春の陽射しにぽっかりと綿雲ひとつ。
さくら、はなびら、風に舞う.....
「そうだな、今度花見にでもいくか!」
「いい、わね。」
「ばっち、ぐ〜。」
「お、どこからわいてでてきやがった。お祭り女め。(^^;;」
「なぁによぉ〜、、いいじゃないのよ。
花見にあたしの歌なしじゃ、シマンないわよ。!(^^)」
「まあ、いいか。」
「たのしみですぅ。」
晴れると、いいな、こんどの休み。
milleは、お日様の暖かさの中、そう思った。
うすぼんやりと、春の青空。
そよそよ、風が・
吹きぬける。
ときのながれも、ゆっくり・と。
ゆらり、ゆらゆら、すぎてゆく........。
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