VOICE#19 イケボご馳走様です!

 さっきまで賑やかだったのが嘘のような静けさに緊張を隠せないでいた。

 あぁあぁ……心臓落ち着いて!


 なんで私は今、宮沢くんとふたりっきりでタクシーに乗っているの!?


「災難だったね」

「えっ!? あ、ああ! 電車ね?」


 そう、答えは簡単。電車に乗ろうとしたら事故が起きて最悪終電まで遅延するかもと駅員さんに言われたから。タクシーに乗って帰った方がいいということで、宮沢くんと相乗りすることになったのだ。初めて、会社の近くに住んでいてよかったと思った。

 妹のはなちゃんの学校が近いという理由で借りた部屋は、家賃が高くてかなり無理をしていたけれど、お陰で宮沢くんと少しでも長く一緒にいられるもの。


「でも、橋本さんが近所だったなんて知らなかったな」

「そうね」

「線が違うと、会わないもんね」

「宮沢くんは最寄り、地下鉄だものね?」

「そう」


 なんて、他愛のない会話をしていることが幸せ。

 宮沢くんが帰国してから一度もふたりで話すタイミングはなかったし、ランチの約束も結局果たせないままだったし。


「そう言えば、なに握ってるの?」

「あ」

 今の今まで忘れていた。私のすでに湿っている左手には、香織さんから受け取った宮沢くんのピアスが握られている。渡すか、渡さないか――でも、なんとなくわかった。これって香織さんのお土産なんだわ。宮沢くんと話すキッカケになるようにって。


「はい」

「ん? 手を出せばいいの?」


 宮沢くんが広げた手のひらの上にピアスを置く。


「これって?」

「香織さんから預かったの」

「……ああ、そうなんだ」


 街の明かりが、車の速度に合わせて暗いタクシーの中に差し込んできて、宮沢くんの顔が逆光で見えなくなる。


「橋本さん」

 宮沢くんの真剣な声音にドキリとする。

「少し話せるかな? 降りてから」


 心臓が高鳴る。口を開くと叫びそうで、私は頷くことしかできなかった。


 ・・・


「好きなところに座って」


 狭いけど、と通されたリビングは驚くほどに物が少なかった。引っ越し準備をしているから、というわけでもなさそう。黒を基調とした家具が整然と配置されているモデルルームみたいな部屋。そんなつもりもないけど、思わず本棚が目に入る。

 小説が本の高さに合わせて並んでいる。その間に写真が1枚飾られている。白人男性と若かりし宮沢くんが肩をくんでいる。


 ――この顔は、見たことある。


「デイヴ……?」

「ああ、留学してた時の写真」


 ミネラルウォーターしかなくて、と宮沢くんは冷蔵庫からペットボトルのお水を2本持ってくる。ワンルームのテーブルの上にペットボトルを置いて、宮沢くんは床に座って、背後のベッドにもたれかかる。

 私は本棚に背を向けて、そのまま宮沢くんの正面に腰を下ろした。


「俺には3人、恩人がいて」

「うん」

「アメリカに留学行ってみないかって言ってくれた大学の先生と、留学先で社会に出たらアメリカに行きたいって思わせてくれたデイヴと――」

「うんうん」

「あと、仕事の大切さを教えてくれた、橋本さん」

「私?」

「3人ともね、俺が腐ってた時に助けてくれた人たち」

「そんな、私なんて……」


 剛士たけしくんの浮気で荒んでいて、八つ当たりしたも同然なのに。


 言いよどんでいると、宮沢くんがペットボトルに手を伸ばして、パキッとキャップを捻って開ける。そのまま喉元を大きく動かしながら水をゴクゴク飲んでいる。一気に半分ほど飲んでから、宮沢くんが口を開く。


「いいんだよ、橋本さんがその気があったかないかとか。俺は助かったんだ」


 キャップで遊びながら、宮沢くんが続ける。


「ピアス受け取ったってことは、大学の時の話聞いたんだよね?」

「うん」

「デイヴのことも?」

「『意識させちゃお作戦』みたいなのを……」

「それね」

宮沢くんは思い出したように小さく笑う。

「香織とは……アメリカ留学の時に付き合ってたけど、今、特別な感情はないんだ」

「うん」

「あいつが未だにピアス持ってたことも驚いたけど」


 身に着けていたんだけど、とは言えなかった。私はただ相槌を打った。


「このピアスは捨てる」

「うん」

「だからね、橋本さん」

 宮沢くんが、フーッと息を吐き出す。


「俺と、付き合ってくれないかな」


「うん」

「……え?」

「うん?」

「橋本さんが好きなんだけど、俺の恋人になってくれる?」


 なんで何度も言われるんだろう? 私はドキドキしてて、返事するだけで精一杯なのに。ああ、違う。言わないと――


「宮沢くん」


 言わないといけない。違う。言いたい。


「私も、宮沢くんが好き」


 ようやく言えた、と宮沢くんを見ると、テーブルに突っ伏している。

「はあぁぁぁ……」

「な、なに?」

「ごめん、嬉しい。っていうか、心臓痛い……」


 見たことない表情で、宮沢くんは自分の胸をドンドン叩いている。その姿を見て、思わず笑ってしまう。

「笑わないでよ……」

「ごめんなさい。ふふ、だって、宮沢くんってすごい余裕しゃくしゃくって感じだったのに」

「余裕なんてないよ」

「そうだったの?」

「海外赴任決まって舞い上がってたけど、アメリカ行ってから辛かったんだから」

「え?」

「橋本さんに会いたくて仕方なくて」


 宮沢くんの手がテーブル越しに伸びてくる。顔に掛かった髪に触れられる。


「すごく触りたくて……」

 そう言って、宮沢くんが膝立ちになって身体ごと、こちらに近づいてくる。


「目……つぶって?」


 言われるままに目をつぶる。世界が暗くなって、同時に唇が温かくなった。


 ブーッブーッ。


 静かな世界に光が戻って、部屋に無粋なスマホの震えだけが伝わっている。

 宮沢くんは、ベッドに再び身体を預けていた。


「電話?」

「あ、ううん。アラーム」

「アラーム? こんな時間に」


 金曜日の深夜より少し前――のゲーム実況が生配信される時間。

 すっかり、忘れてた。それどころではなさすぎて。


「ごめんなさい。ちょっとメッセージだけ」

 今日は、ゲーム実況が見れそうにない。ファン仲間のレモンさんに連絡だけ入れておきたい。また心配されてしまうから――


『今日は、視聴お休みしますー』


 送信。


 ピロン。


 送信と同時に、部屋に通知音が鳴る。宮沢くんが床に置いていた自身のスマホを拾い上げる。何かを打っている宮沢くん。


 ピロン。


 私のスマホの通知音が鳴る。レモンさんからの返信。

『了解です! 自分も今日はムリかも~』


「え?」

「え?」


「……レモンさん?」


 宮沢くんの身体がビクッと跳ねて、すごい表情で見てきた。


「マジか」

 項垂れる宮沢くん。

「俺の癒しが、俺の恩人だった……」

「え?」

実況、俺も好きなんだよ。でもそれ以上に――『みのり』さんとの会話が癒しで……うわっ! 『みのり』じゃん! マジか!」


 そうです、はい。私がみのりです。

 私も少しパニックになりながら返す。


「えっと。私、ずっとレモンさんは女性だと思ってた。そうか、イケボ好きの男性もいるのね」

「まあそもそもゲームが好きなんだけど……」

「なんで『レモン』さん?」

「……」

 宮沢くんが微妙そうな顔をする。

「……言わなきゃダメ?」

「恋人に隠し事なんて」

「うわ、その言い方ズルいなー」

 ニヤニヤしながら、宮沢くんがベッドに頭をこすりつけている。


「レモンティー」

「レモンティー?」

「ハンドルネーム考えてた時、たまたまレモンティー飲んでたの」

「ぶふっ」

 思わず吹き出してしまった。


「笑うなって。そんなこと言ったら『みのり』なんて捻りなさすぎだから!」

「あ、ひどーい。本名ですー」


 ひとしきり笑いあってから、宮沢くんが目に溜まった涙を拭う。


「……ねえ、橋本さん」

「なに?」

「ふたりで配信見よっか」

「え、それすごく嬉しい! レモンさんと一緒に配信見たかったんだよね!」

「ちょっと、テンション上げすぎ」

「あはは」


 ベッドを背もたれにして、並んで座る。の声が宮沢くんのワンルームに響く。


『みなさん、こんばんは。勇者のゲーム実況、今日もお付き合いお願いします』


「ああ、イケボご馳走様ですー」

「いい声だよなー」

「宮沢くんも、イケボだよ?」

「いいよいいよ」

「本当だってば。あはは」


 いつぶりだろう。


 こんなに心の底から、なんの不安も覚えずに楽しめているのは。

 幸せを感じられているのは。笑えているのは――


「ふふふ……」

「どうしたの?」

「ううん、なんでもない」


 遠距離恋愛、どんとこい。


『今日もご視聴ありがとうございました。勇者でした。バイバイ!』

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