VOICE#18 イケボって女子にも使えますか?
「青田さぁ~ん」
夜が更けていく歓楽街に、新人成田くんのダメわんこボイスがコダマする。
恭子ちゃんに近づこうとするゾンビのような酔っ払いを前から抱きとめたのは広報木下くんだった。
「どうどう、落ち着け成瀬ー。大学で酒の飲み方学ばなかったのかー?」
「ちょっとちょっと木下さ~ん。負けませんよ~? もう一軒いきましょう!」
「よしよーし。特別に俺の家で上物飲ませてやろうなー?」
「俺、タクシー拾ってくる」
木下くんの言葉を聞いて、香山くんが大通りに向かう。
「うちの子が、すみません」
一応
「いいのいいの、みのりちゃん。その代わり今度飲みに行こうねー?」
「あはは」
「冗談じゃないんだけどなー?」
「木下、タクシーつかまったみたいだぞ」
宮沢くんが指さす方を見ると、香山くんがタクシーの前で手を振っている。
「2台つかまってるな。遠藤さんもタクシーで帰るといいよ」
「それがいいね。宮沢、田嶋さんも手を貸してください」
木下くんがすっかり脱力した抜け殻成瀬をどうにか持ち上げている。
「こいつ……静かになったと思ったら寝てんのか」
嫌そうな顔で言いながら田嶋さんが、成瀬くんの右脇を抱える。そして宮沢くんが反対を。
タクシーで帰宅する人たちを見送っていたら、香織さんが声を掛けてきた。
「みのりさん」
「あ、香織さんも。すみませんね、うちの人間が……」
「いいのいいの。それよりちょっとだけ話しておきたいことがあるの」
ふたりきりだし、と言われて初めて、タクシーから少し離れて立っているのは私と香織さんだけだと気づいた。
話したいことってなんだろう。見当もつかない。
「なんでしょう」
「デイヴのことなんだけど」
「はい」
「あの人――ああいうことするの、初めてじゃないの」
「ああいうことって、プロポーズやら薔薇やらですか?」
「そう。この間も言ってたけど、慶と会ったのは大学の時。留学生支援プログラムだった」
私は留学生じゃなくて、日本語を勉強しに行ってたんだけど、と香織さんは笑う。
「私、すごく根暗で。アメリカって差別ひどくてさ、そういうの気にするタイプで。大学入るまで本当に友達もいないし、彼氏もできたことなくて。本ばっかり読んでた。日本語勉強してたのも、日本に行ったら変われるんじゃないかって思って」
少し早口で語られる彼女の若かりし頃の姿は、全然想像もつかない。だけど、香織さんの目は、ネオンに輝く街を睨んでいるようで――きっと本当なんだ、と思わせる。
「デイヴは支援プログラムにボランティアで参加してて、私の話をいつも聞いてくれててね。同じような本を読んでる日本人がいるから、話してみたらどうだって」
「それが宮沢くん?」
「そう。無口で、面白みに欠けるけど、好きな本の話ならすごく続いたわ。私は日本語で、彼は英語で話して、それぞれの練習にもなったの」
香織さんが髪をかきあげる。おでこから、スッと頭皮を撫でるように流れていった髪の間から、黒いピアスが覗く。
「で、私は彼を好きになって」
「……」
「デイヴに相談したら、慶の前で『意識させちゃおう作戦』だって」
香織さんがそこまで言って、ふふっと笑う。
「センス疑っちゃうわよね。ネーミングも、作戦も。でも、あの頃の私はデイヴくらいしか頼れる人がいなかったから」
「……」
「作戦当日ね。デイヴは、慶の前で私にプロポーズしたの」
「プロポーズ……」
「すぐに冗談だって笑いに変えるんだけど、慶が少しでも私に気があるなら、そこから意識するはずだろうっていうことらしくって」
「それで……」
「それで、慶と付き合うことになったわ」
知っていたとはいえ、胸が苦しくなる。
「でも、慶が帰国する時に振られちゃったの」
香織さんは左耳のピアスを両手で触っている。
「慶がこっちに来るって聞いた時は、不安だったけど――これ、あげる」
そう言って、香織さんは、グーにした右手を差し出してきた。
「私、ちゃんとデイヴのこと愛してるんだって確信できたから」
両手をお皿のようにして出すと、香織さんの手からピアスが落ちてきた。
「これって?」
「慶のピアス。彼が帰国する時にもらったの」
「あ――」
宮沢くんの短い清潔感のある襟足に、形のいい耳を思い出す。そして――ピアスの穴。塞がっていた傷のような跡。
「これが……」
「もういらないから、あなたにあげる」
香織さんはそう言って微笑む。
「捨ててもいいし、慶に返してくれてもいいし」
「なんで、私なんですか?」
「言ったじゃない。デイヴお得意の『意識させちゃおう作戦』だって」
「え?」
「慶が少し前から、あなたと仲良くなりたいんだけどってデイヴに相談してたの。デイヴは、ああいう人だから、あなたに会ってすぐに実践しちゃったのよ」
――初めて、デイヴとビデオ通話をした時、デイヴは私を見て驚いていた。
『Wow』
『デイヴさん、初めまして。橋本みのりと申します』
『ミノリさん――Ah, wait. Please』
『はい?』
『Minori-san, would you marry me?』
……あの意味の分からないプロポーズ。宮沢くんが資料を落として、私とPCを凝視していたのは、急な作戦実行に動揺していたということなのね……。
「え、あれ? でもそれって――」
宮沢くんは私のこと好きってこと?
「いや、でも。ただ同僚として仲良くなりたいってことかも……?」
混乱している私を見ながら香織さんがイタズラっぽく笑う。
「『意識させちゃおう作戦』大成功、なんてね」
「香織さん……」
「慶は本当いいやつだから。よろしくね」
私が言うことじゃないけどね! と、香織さんは屈託のない笑顔を見せる。
「おーい、なにしてんだ、女子ふたり」
「秀明、お疲れ」
タクシーに酔っ払いと帰宅組を乗せた田嶋さんと宮沢くんが、こちらにやって来た。
「そうだ。秀明、デイヴからいろいろ預かってんのよね」
「なにを?」
「お・み・や・げ。一緒にホテル来てよ、渡すから」
「あぁ? 週明けでいいだろ?」
「会社にまで持っていくの嫌だし、早くスーツケース空けたいの」
香織さんがグイッと田嶋さんの腕を掴んで、歩き出した。
「あ、おい……!」
「ほら、秀明。ちゃんと歩いて。慶はみのりさんを駅までちゃんと送るのよ?」
香織さんは一息でそう言ってから、振り返って、私だけに見えるように軽くウィンクする。
「じゃあ、みのりさん。話せてよかったわ」
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