VOICE#17 イケボのゼロ距離はズルくないですか?

「え~お騒がせカップルの香山と純ちゃんの前途を祝して――」


 お馴染み木下くんの音頭に合わせて、その場の全員がグラスを上げる。


「カンパーイ!」


「いやあ、もう楽しみで仕方ないよ。ねー、純ちゅん」

「もー香山きゅんったらー」


「ハイハイ。バカップル、バカップル」


 木下くんが手を叩く。ウーロン茶を置いて、純ちゃんが言う。

「というわけで、私、遠藤純は秋に産休に入ります。それまでどうぞよろしくお願いしますー」

「おめでとうございます。純ちゃん先輩」

 恭子ちゃんが可愛らしく拍手している。それを見ながら、成瀬くんも拍手している。恭子ちゃん限定イエスわんこめ。


「でも、あの後が大変でしたよね」

 成瀬くんが恭子ちゃんに同意を求めるように話す。純ちゃんが出ていった後、野次馬は集まるわ、犬尾課長は頭を抱えるわで大変だったのは確からしい。


 両手をパンパンと叩いて、成瀬くんがその時の香織さんの物まねらしいことをしている。

「『はいはーい、the show is overショーはおしまい! みなさん!』ってもうアメリカのドラマ見てるみたいでした!」


 ジャスミン茶を飲みながら、香織さんは笑顔を見せている。私は非常階段に純ちゃんといたけれど、香織さんが野次馬を散らしている姿は容易に想像がつく。


「アメリカでも、いつもあんな感じだよな。香織は」

 田嶋さんの言葉に、肩をすくめながら香織さんは返事する。

「あっちではボスがフロントロー最前列で騒いでるけどね」

「ボスって、デイヴですか?」

 香織さんに聞くと、大きく頷いたのは香織さんと田嶋さんだった。


「もう本当に、一番のお祭り好きなの。いい加減で」

「あのおっさんはなぁ……」

「年齢そんな変わらないじゃない」

「ぎりアラサーの俺と、アラフォーのおっさんじゃ違うんだよ」

 はいはい、と香織さんが笑っている。さすが、数週間前までアメリカで一緒に働いていただけあって仲がいい。


「でさ、みのりさん。こないだ木下くんが言ってたデイヴのことって聞いてもいい?」

「香織」

 宮沢くんが名前を呼んだけれど、香織さんは私をしっかり見つめている。


「デイヴになにされたの?」

「止めとけって、香織」

「なによ、慶。私には聞かせたくないことなの?」

「気持ちのいい話じゃないんだよ」

「なら余計に聞いておきたいわよ」

 香織さんは聞いたことのないキツめの口調で話している。


 ――これって、宮沢くんに隠し事をされるのが嫌ってことなのかな。


「あの、大した話じゃないし……」

 香織さんに秘密にしなくてもいいんじゃないかな、と話しかけると、宮沢くんは少し考えた後に頷いた。


「まあ、橋本さんがいいなら」


 うん、と言ってから香織さんを見る。

 デイヴが悪い冗談で私にプロポーズしてきた、巷では『赤バラ事件』と呼ばれているらしい出来事について説明した。それで仕事に真摯に取り組んでいる宮沢くんに嫌な思いをさせてしまったこと、彼のフォローのお陰で、それ以降はアメリカ側と円滑にコミュニケーションが取れていたことを話した。


「……」

 香織さんは顔をしかめたまま、真剣に話を最後まで聞いてくれていた。静かになったテーブルで、沈黙を破ったのは田嶋さんだった。

「マジか、あのおっさん」


「……香織」

 宮沢くんが声を掛けると、香織さんは盛大な溜息を吐く。

「はあぁぁ。あり得ない」

 小さく「I'm gonna kill him.」と物騒な言葉が聞こえてくる。なにかよくないことを言ってしまったのだろうか、とビクビクしてしまう。すると、香織さんが私の両手をガッと掴んできた。


「えぇっ!?」

「みのりさん」

「は、はい……」

「ほんっっっとに! ごめんなさい!」

「え」

ステイツアメリカに戻ったら、とっちめておくから!」

「え、いえ……そんな?」


「もう、あんなののステディだなんて恥ずかしすぎる」


 ――すてでぃ?


 田嶋さんが、隣で「あ」という顔をしている。

「ステディってどういう意味ですか?」

「あー……」

 田嶋さんにしては珍しく言いよどんでいる。いつもストレートな物言いばかりする人なのに。


「恋人ってことだよ」

 宮沢くんが言う。

「デイヴと香織は――婚約中なんだ」


「えぇええっ!?」

 驚いて叫んだのは、私だけじゃなくて、アメリカ組以外全員だった。


 頷きながら、香織さんが言う。

「式を挙げるつもりはないけどね。もう長い付き合いだし」

「大学の時からだもんな」

 宮沢くんの言葉に香織さんが、何かを思いだしたようだった。


「大学……あ、もしかして」


 香織さんと宮沢くんの視線が絡み合う。


 デイヴの話が、婚約者である香織さんに聞かせるのは忍びないという宮沢くんの気持ちは分かったけど。やっぱりこの二人の間には、人が入れない雰囲気がある。


「ごめんなさい。変な空気になっちゃった、飲みましょ」

「香織ちゃん、ジャスミン茶じゃーん」

 香織さんがグラスを掲げて、木下くんが明るくツッコミを入れている。


 なんだか、一人でモヤモヤしたまま、飲み会は続いた――


 ・・・


 お手洗いに立った時、声を掛けてきたのは田嶋さんだった。


「橋本」

「なんでしょう?」

「デイヴと香織の話だけど」

「婚約されてたんですね」

「お前を騙してたわけじゃないからな」


 田嶋さんの声に力がこもる。


「大学の時に、宮沢と香織が付き合ってたのは本当だ」

「はい」


 あの二人を見ていたら、そういう空気があるのは事実だ。

 そこに私が入るのは厳しい。


 最大のライバルだと思ってた香織さんが、デイヴの恋人で……宮沢くんとそういう関係じゃないことが分かっても、なんだかモヤモヤする。


 香織さんに嫉妬したって仕方ないのに。


「なあ、橋本」


 田嶋さんが、距離を詰めてくる。


「お前は、ばかみたいに素直で、ガキみたいにすぐムキになって、すぐ自分の妄想の世界に飛び立って――」

「なんですか、急に」

「そんなお前のこといつの間にか好きになってんだよ、俺は」

「それどこに好きになる要素があるんですか」

「俺も不思議だよ」

「失礼な」

 思わず笑ってしまう。


「そこ。そういうところ」


 田嶋さんの顔が近い。

「俺なんか見てないことは知ってる。第一印象も最悪だ」

「……」

「だけどな、宮沢は来週アメリカに戻る。遠距離なんてお前には無理だよ」


 ギュッ――と抱きしめられる。


「俺にしとけよ、橋本」


 そう囁いて、田嶋さんは腕に力を入れる。ほどけない強さじゃないのに、なんでか田嶋さんの鼓動が聞こえるようで――心臓が痛くなる。


「……放してください」


 確かな温もりの中で、私は、どうやったら相手を傷つけないで済むのか。そればっかり考えてしまう。


 けど、そんなことを考えてる私が一番失礼だ。


「田嶋さん。ごめんなさい」

「橋本」

「こういう状況でも、いつでも……私の頭の中にいるのは宮沢くんなんです」


 この温もりが宮沢くんのだといいのに、なんて最低なことを思ってしまうくらい。


「ごめんなさい」


 ふっと、拘束が解かれる。田嶋さんが距離を取る。


「悪い。そんな顔になるよな、そりゃ」

 田嶋さんが俯く。えっ……まさか、泣いて……?



「僕の女神様になってください!」


 向こうから突然聞こえる成瀬くんの声。どこかで聞いたような台詞に思わず田嶋さんも苦笑いしている。

「成瀬のやつ、人の真似ばっかしやがって」

「ふふっ」


 遠くで恭子ちゃんのキッパリした「ごめんなさい」が聞こえてくる。止めときなさい、成瀬くん。お酒の力を借りて崩せるほど甘くないのよ、恭子ちゃんは。


「橋本」

「はいっ!?」

 田嶋さんの声で注意を戻される。目の前の田嶋さんは「いいか?」と諭すような口振りで話す。


「海外の任期は1年から3年が多い。つまり、宮沢がアメリカにいる最低でも1年は、一番そばにいる俺にもチャンスがあるんだからな」


 田嶋さんがイタズラっぽく笑う。


「覚悟しとけよ?」


 思わずつられて笑ってしまう。


 ああ、田嶋さんらしいな、なんて思いながら。

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