VOICE#16 イケボは沈黙すらイケボですよね?

 ガパオの早食いで若干気持ち悪くなった午後、私たち――私、橋本みのりと宮沢くんと田嶋さんと香織さん――は営業車でイノクチ製作所に向かっていた。


 改めて担当が田嶋さんになったこと、アメリカでは宮沢くんが営業を、香織さんが事務などのサポート業務を担当することの挨拶に行くのだ。


 運転席に宮沢くん、助手席に私。後部座席に田嶋さんと香織さんが座ってる。

 後ろに意識を向けなければ、まるで二人でイノクチさんの案件に取り組んでいた時に戻ったみたい。カーナビには見知ったルートが表示されていて、こうやって、何度も宮沢くんの運転する車に乗せてもらったっけ。


 初めての時は、空気も気まずかったけれど。いつしか沈黙でも気にならなくなった――のに。


 今は沈黙が痛い。

「……」

「……」

 まるで初めて営業車に乗せてもらった時に戻ってしまったみたい。


「ねえ、慶」

 香織さんが沈黙を破る。


「ランチで木下さんが言ってた、デイヴの件だけど」

「……今その話は止めよう、香織」


「なんでだよ、俺も聞きたいぜ」

「あなたには関係ない話でしょう、田嶋さん」

「おいおい、相変わらず愛想がねぇな。新人の時みたいにパシらせるぞ?」

「パワハラで訴えますよ」

「かわいくないねぇ」


 ブレーキがかかる。少し強めのブレーキに身体が思わず前のめりになる。

 田嶋さんは前のシートに顔をぶつけてしまったようだ。


「いって! へたくそかよ」

「――可愛くなくて結構です。着きましたよ」


 不愛想なまま、宮沢くんは車を降りて行った。追いかけるように私も車を降りる。そこには、カーリーヘアでバッチリメイクの井口社長が待ち構えていた。


「あらあ! 宮沢さん、お待ちしてたわあ」

「ご無沙汰しております。社長」

 ツヤツヤしてる井口社長に腕を引っ張られて、宮沢くんが工場に入って行く。


「あの人がミセス・イノクチかあ」

「俺も初めて見るけど、本気で気に入られてんなあ。宮沢のやつ」

 田嶋さんが、車から降りる香織さんのためにドアを開けている。これが……レディファーストというもの? 田嶋さんも大概アメリカナイズされてるよね。


「あ……」

 つまり、ストレートな好意を向けてくれているように見えているのって、アメリカ人でいえば、挨拶感覚ってことかな? じゃあ、そこまで気にしなくていいのかしら――なんて、私は一人で納得して、初めて田嶋さんにちゃんと笑顔を向けられた。


「お?」

 田嶋さんは笑顔を返して来る。私は工場の入り口に手を向ける。


「お二人とも、こちらです」

 イノクチさんの案件をずっとやって来た自信がある。そして、相手はアメリカ人の二人だと思えば、大丈夫。少し大げさなだけなのだ。28歳の余裕を取り戻すのだ。


 中に入ると、すでに井口社長は宮沢くんとの雑談に花を咲かせていた。大好きな彼と出会えて喜びを隠せない女子高生のような社長に、宮沢くんはいつもの爽やかな笑顔で接している。そして、私たちを見て、さっと立ち上がった。


「社長、紹介いたします。アメリカを担当していた我が社の優秀な営業マンである田嶋秀明――」

「今後、こちらの窓口を担当させていただきます。よろしくお願いいたします」

 田嶋さんは名刺ではなく、右手を差し出す。井口社長は、低音のイケボにやられたのか、田嶋さんを見つめたままその手を握り返した。


 さすがアメリカだわ。

 私が感心していると、宮沢くんが次に香織さんを紹介する。


「そして、こちらは柳瀬香織です。アメリカ営業所での文書事務を担当しています」

「どうも」

 井口社長は、香織さんには一瞥いちべつもくれずに田嶋さんの手を握ったままだ。


 懐かしいなあ……私もこうやって無視されてたなあ。


「柳瀬です」

 香織さんは田嶋さんを押し退けて、右手を差し出した。その姿勢に圧倒されたのか、社長は何も言わずに笑顔で握手した。


 その後の会議は、すごく朗らかに進んでいき、工場を出る時には初めて副社長が見送りに出てきたほどだった。お地蔵様に命を吹き込まれたような人だった。会社に帰る営業車で、ずっと考えていた。


 ――あんな人がキャバクラ好きなのか。


 副社長のお気に入りであった恭子ちゃんのマル秘ノートを思い出しながら。


 ・・・


 会社に戻って報告のために私も一課に顔を出そうとした――その時。


「いい加減にして!」


 二課から純ちゃんの怒鳴り声が聞こえてきた。急いで二課に向かう。すると、中で純ちゃんが自分の席の前で泣いていた。斜め前の席にいる香山くんに向かって――

「どうしてなのよ!?」

 純ちゃんの剣幕に、香山くんが顔をしかめながら、デスクをまわって純ちゃんの腕を掴む。

「落ち着けよ」

「離して!」

 香山くんの手を振り払って純ちゃんは入り口にいた私の胸に飛び込んできた。


「大丈夫? 純ちゃん」

私の言葉に純ちゃんは首を横に振る。

「こっち――」

純ちゃんの背中に手をまわして、私は部屋から出て行く。軽く香山くんに目線を送ったけど、香山くんは見たことない悲しそうな顔で壁を睨んでいた。


化粧室に行こうとしたけど、思った以上に人が集まってきていて、私は近かった非常階段の扉を押し開けた。非常階段に出た時には、純ちゃんはしゃっくりしながら、壁にもたれかかっていたけれど、しばらくしたらだいぶ落ち着いてた様子で口を開いた。


「みのり、あのね……」


『みのり』呼びだ。こういう時の純ちゃんはひどく落ち込んでいる。私はできるだけ優しく、「うん」と返事をした。


「妊娠したの」

「え!?」

「もちろん……香山くんの子だよ」

「そうなんだ……」


おめでとう、でいいのかな。でも、純ちゃんは香山くんとラブラブだし、いずれ結婚の話も出てくるところだったよね?


「おめでとう」

「……ありがとう」


純ちゃんはパンダみたいになってしまった顔で続ける。


「香山くんに言ったらね」

「うん」

「喜んでくれなかったの。うろたえちゃって。確定じゃないんだよね? だって」

「……」

「その翌日、香織さんが来てさ。香山くん、ああいう強気な感じが好きだから、鼻の下伸ばしちゃって。私が何か言っても、面倒くさそうにしてさ」

「うん」

「こっちはすごく不安なの。分かってって言っても、無駄だったの」


それで、キレちゃった――と純ちゃんは静かに笑った。


「いい加減にして! って。はあ……みのりがいてくれてよかった」

「純ちゃん……」

「どうしたらいいんだろう、もう」

「産むんでしょ?」


純ちゃんは、また泣きそうな顔になりながら頷いた。


「じゃあ、ちゃんと香山くんと話し合おう? 大丈夫。殴ってでも連れてくる」

そう言って、非常階段の扉を開くと、そこには宮沢くんがいた。

「宮沢くん?」

「香山、連れてきた」

宮沢くんの後ろにはバツの悪そうな顔をした香山くんがいた。宮沢くんが香山くんの背中をバンッと叩いて、前に進ませる。

「いけよ。お前、父親になるんだろ?」

「……」


香山くんとすれ違って、私は非常階段を出る。そう、二人でゆっくり話し合うべきなのだ。


「何かあったら呼んでね、純ちゃん」

「ありがとう」


非常階段の扉が閉まる一瞬、香山くんが純ちゃんを抱きしめるのが見えた。


あの二人なら大丈夫――


無言で、隣に立っている宮沢くんと笑顔を交わした。

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