LAST VOICE イケボよ、永遠に――

秋――


「みのり、起きて」


 愛しの彼が、優しく私を起こしてくれる。


 開いたカーテンから差し込む都会の朝陽が、一日の始まりを告げている。秋の日差しってなぜこんなにも澄んでいるのかしら。


「んー……」

「起きて。遅れるよ」


 そう言って彼は私の髪にキスをする。まるで髪の毛の一本一本まで大切に思ってくれているように。その仕草すらくすぐったくて、私は二度寝をする振りをしてしまう。


「ほら、お寝坊さん」

 彼は幼い子にそうするように『お姫様』と髪を撫でてくれる。

「今日は――」

「はなちゃん!」


 ガバッと起き上がる。


 そうだった。今日は私、橋本みのり29歳の妹、はなちゃんの結婚式なのだ。ベッド脇で驚いたように立ち尽くしながら笑う彼に「起こしてくれてありがとう!」と言ってから、急いでバスルームに向かう。


 髪を乾かしながらリビングに出る。すると、テーブルでレモンティーを飲みながら彼はパソコンに向かっている。組んだ足がスラリと長くて、参列用のスーツなのに胸がキュンキュンしてしまうのは、やっぱり恋の魔法なのねと彼に後ろから抱き着く。

「急がなくていいの?」

「んー? だって久しぶりだから」


 彼はクスッと笑いながら、まだ少し湿っている私の髪を撫でて、私を引き寄せる。


「――続きは帰ってきてからね」

「ケチ~」

「ほら、着付けって時間かかるんでしょ。メイクも」

「そうそう。振袖着るチャンスなんてもうないからね!」


 私は勢いよく彼から離れて「また後で」とウィンクしてから、部屋に戻って用意する。彼は仕事があるから、後で合流。私はホテルのウェディングプランナーに言われた通りの準備をしてタクシーの待つマンションの前まで降りて行った。


 そう言えば、いつだったか、彼が私の夢は? と聞いてくれたことがあった。

 あの時は途中までしか言えなかったけど、今日その夢が叶う。


 はなちゃんが、幸せになってくれること。


 最前列でその姿を見られることに目頭が熱くなっていく。ダメだ、今からこんな調子じゃ式までもたない……。


 ブーッブーッ。


 スマホが着信を伝える。


「純ちゃん?」

『もしもし、みのりん?』

「産休どう?」

『タイクツ』

「お腹また大きくなった?」

『なったなった――痛っ!』

「大丈夫!?」

『うん、平気。最近胎動が激しくて』

「赤ちゃんが蹴ったの?」

『キックか、パンチか、どっちかな~?』

「やーん、早く会いたい」

『そうね~。みのりおばさんにたくさんオモチャ買ってもらわないとね~』

「買う買う。買うけど、おばさんはヤダ」


 ただでさえ、『30』にまた一歩近づいてしまったのだ。


「ねえ、性別は分かったんでしょ?」

『分かったわよ』

「教えて!」

『だーめー』


 電話越しに純ちゃんが、ふふっと笑う。


『生まれてからのお楽しみ』

「ケチー」

『これから、はなちゃんの結婚式でしょ?』

「うん、今向かってるところ」

『よろしく伝えておいてね。あ、あと彼氏にもよろしく』

「オッケー。あ! お祝いありがとうね? 気を遣わせちゃったね」

『いいのいいの』


 お客さん、とタクシーの運転手に声を掛けられる。ホテルに着いたようだ。


「ホテル着いたから切るね。旦那様にもよろしく」

『はーい』


 電話を切ってタクシーを降りると、ホテルのエントランスで待っていたスタッフが着付けに案内してくれた。スタッフになすがままされながら、私はまた余計なことばかり考えてしまう。


 純ちゃんが幸せそうでよかった。妊娠発覚してから半年、香山くんとも大変だったなあ。でも、今が幸せそうならいいと思う。


「このお色味でいかがでしょう?」

「じゃあ、それで」


 メイクスタッフが見せてきたなにか色見本みたいなのに頷く。こうして見るとスタッフの人たちってみんな黒いパンツスーツで女性なのね。女性の着付けだから当然か……。


 幸せ――と言えば、恭子ちゃんも幸せそう。どんなワガママも聞いてくれる将来有望株を手中に収めている。彼女はすっかり結婚情報サイトばかり見る人になった。仕事してくれって香山くんに泣きつかれてたっけ。


「あ、お姉さま。動かないでくださいねー」

「すみません……」


 思わず笑ったら、メイクさんに注意されてしまった。そりゃそうだよね。

 ボーッと鏡を見ていると、どんどん派手にくっきり化粧されていく。メイクが終わって、着物につけないようと細心の注意を払いながら着付け。

 最後にお手洗いは大丈夫ですか? と何度もしつこく聞かれながら、これは確かに一人脱ぎ着するのは無理だなあなんて思う。


「お姉さま、おキレイですよ。さあ、花嫁さまのところへご案内いたします」


 新婦の控室に入ると、ウエディングドレス姿のはなちゃんが緊張した様子で座ってた。姉妹であまり似てないね、なんてよく言われてきたけど、感極まると実は涙もろいところなんかそっくりなんだよね。


「綺麗だよ、はなちゃん」

「お姉ちゃん」

「長谷川になっちゃうんだねぇ」

 長谷川は、はなちゃんの旦那さんになる誠人まことくんの苗字。

「長谷川はなえ、か」

「ちょっと止めてよ、泣かせに来るのは」

「何言ってるのよ。こっちだって泣きそうなんだからね」


 姉妹でよく分からない張り合いをしながら、涙を堪える。抱きつきたいけど我慢。はなちゃんは、肩にもキラキラのパウダーらしきものが、ふられているらしい。触らないようにとさっき注意された。


「おめでとう」

「ありがとう、お姉ちゃん」


 それでは、そろそろ、とスタッフに声を掛けられる。


 新婦の控室を出ると、廊下で彼が待っていた。濃いブルーのスーツに、丁寧に艶出しされたこげ茶の靴。昨日の夜、頑張った甲斐があったわ。それにしても、さすが私の恋人はスーツの着こなし方が違う。


「かっこいい」

「ありがとう。みのりは美人だね」

「ふふふ」

「はい」


 そう言って、彼は肘を突き出して来る。私はそこに手を掛けてゆっくり歩く。


「そうだ」


 頭上から彼の声がする。なあに、と彼を見ようとしたら、耳元で囁かれる。


「俺たちの結婚式はどこにする? みのり」


 ぎゃー!! イケボなんですけど!!??


 不意打ちイケボに思わず固まる。


 そんな私を見て彼は、少年のように笑った。



【完】

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