VOICE#14 イケボで手を握るのは反則でしょう?

「改めまして、柳瀬香織です」


 香織さんは、あどけない笑顔を見せる。アイスブルーのセーターにタイトな白いパンツ姿は大人っぽいけど、小柄だからだいぶ若く見える。スラリとした脚を組んで、黒いハイヒールのパンプスを揺らしている。


「両親ともに日本人で、生まれは東京。2歳からロスです」

 ロス――ロサンゼルスの太陽を浴びて育ったのだろう、健康的な肌にダイヤのネックレスが映える。小柄なのに、アメリカの食べ物のお陰で立派に育ったのかしら……と、私は思わず自分の胸に触れる。


「さっき慶が言ってたんですけど、州の大学で慶と一緒で、その時の知り合いに誘われて今の仕事してます」

「デイヴな」

 香織さんの隣に座ってる宮沢くんが補足する。


「アメリカ営業所の主任のデイヴは、大学で日本人学生の先生みたいなのをやっていて俺たちそれぞれがデイヴの生徒だったんだよ」

「そうそう」


 宮沢くんの言葉に、昔を懐かしんでいるのか香織さんが、くすくす笑う。


「まさかあの時は、こうやって一緒に仕事するなんて思ってなかったな」

「俺も」


 ふたりが……ふたりの世界で見つめ合っている。


「は、橋本みのりです!」

 空気を変えたくて、自己紹介をしてみたけれど、思わず声が上ずる。恥ずかしい……。というか、28歳にもなって、テンパってる場合じゃないわ。

 なんだか宮沢くんも、香織さんも、田嶋さんも私を見てるのが分かる。


 ――気を取り直して。


「日本の営業二課でいつもは国内案件を担当してます。縁あって、宮沢くんとお仕事をご一緒させていただきました。日米の共同案件となっているので、これからも宮沢くんも、柳瀬さんもどうぞよろしくお願いいたします」

「よろしくお願いします。あ、香織って呼んでください」

 ファミリーネームで呼ばれるの慣れてなくて、と香織さんが肩をすくめる。それがとても外国人ぽくて、かっこいいなぁと私は感心していたけれど、どこか心がざわついていた。


「はい、香織さん。あとで二課の人間も紹介させてくださいね」

「ありがとう、みのりさん」

「一課は……田嶋さん?」


 田嶋さんは、私の隣でペンを回しながら考え事をしているみたいだった。一拍置いてから、ペンを置いて頷いた。

「ん? ああ……おう」

「ふふ、秀明はこっち戻ってきたばっかでしょ? 慶に聞いた方が早そうだよね」

 香織さんがそう言って、「ね?」と宮沢さんの腕に触れた。


 ずきっ。


 胸がやけにざわついたり、苦しい理由が分かった。

 ――大学からの知り合い以上に、ふたりの距離が近いからだ。


「挨拶が済んだら、飲みに行くか?」

 田嶋さんの言葉に香織さんが首を振る。

「パス。ジェットラグ時差ボケでそれどころじゃないわよ。今日着いたばっかなんだから」


「確かに、今日は挨拶だけしてホテルに帰った方が良さそうだな」

 香織さんの言葉に対して宮沢くんが頷く。

「仕事の話は、また明日出社してからで」


 宮沢くんが、よろしく、とこちらを見る。


 ――あ、ようやく目が合ったかも。


 それだけで心が躍るはずなのに、どこか晴れないのはやっぱり……香織さん、なんだろうな。


「了解です」


 ・・・


 軽く打ち合わせを終えて、香織さんを二課に案内すると男性陣から、かすかなどよめきが起こる。純ちゃんは恋人の香山くんをジロッと見てから、香織さんの方へ進み出てきた。

「二課の遠藤です。すみません、今課長は席を外してて」

「アメリカ営業所の柳瀬香織です。から二課の皆さんのお話は聞いてます」

「あら……いいお話だといいけど?」

 純ちゃんが笑顔で宮沢くんと私を交互に見る。


「お二人がアメリカに戻る前に懇親会でもできるといいですね」

「わあ、嬉しいです。ぜひ!」


 香織さんは顔の前で手を叩いて、喜んでいる。そして続けて、香山くん、恭子ちゃん、いつの間にか戻ってきていた成瀬くんたちが挨拶していく。


「じゃあ、香織。次は一課に」

 宮沢くんに促されて、香織さんがもう一度、二課の面々に向かって挨拶をする。


「はーい。では二課の皆さん、また!」


 宮沢くんと香織さんが二課を出ていくと、純ちゃんが私に詰め寄ってきた。……外の雷よりなんだか速くて怖いんですけど……。


「みのりん?」

「なんでしょう、純ちゃん?」

ってなに?」

「宮沢くんの下の名前……」

「そんなこと聞いてるんじゃないわよ!」

「いやあ、ほら、香織さんは……幼少期からアメリカだし……」


「先輩、あれは、か・な・り怪しいですよー?」

 恭子ちゃんも近寄ってきた。

「アメリカに行って数週間であんなに親密チックになるもんですか?」

「え、えっと。宮沢くんがアメリカ留学してた時からの知り合いなんだって」

「へー。宮沢さんの留学先ってアメリカだったんですねー」


 何かをメモろうとしている恭子ちゃんに、純ちゃんが軽く突っ込む。

「そうじゃないでしょ。あれは学生時代になにかあったわよ」

「そうかな」

 私がさっきからモヤモヤしてるのはそれかぁ。


「飲み会ね」

「飲み会ですね」

 純ちゃんと恭子ちゃんが、お互いに頷き合っている。わくわくしてるわ……。


「はいはい、入り口でたむろしてないでねー」


 犬尾課長が戻ってきて、ふたりは席に戻って行った。私は――


「……あ、会議室の片づけに戻らないと」


 来客用のカップを置いたままだった。


 ・・・


 給湯室で来客用のカップを洗っていたら、後ろから声を掛けられた。


「お前さ」

「うわっ……はい!?」


 真後ろにいたのは、田嶋さんだった。


「ちょっと、本当に心臓に悪いんですけど」

「お前、宮沢のこと好きなんだ?」

「また……その話ですか」

「ちがうちがう。営業としてじゃなくて、ラブで」


 ――ガンッ。

 カップが流しに落ちる。割れなくて良かった……。


「お前、わっかりやすいなー」

「……だとしても、田嶋さんには関係ない話です」


「あの二人、大学ん時、付き合ってたんだって」


 ガチャン!

 流しに落ちたカップが今度こそ割れてしまって、思わず拾い上げようとした。


「……あっ」

「おい、ばか――」


 田嶋さんが、泡のついた私の手を取る。水道で流して――


「大丈夫か?」

「すみません、大丈夫です」

「血は……出てないな」

「大丈夫ですから、放してください」


 返事がない。手は離れるどころか、握る手に力が込められる。


「危なっかしくて見てらんねえんだよ、お前」

「あの……」


「俺にしとけ、橋本」


 あの時と同じ、低く囁くような声に心臓が跳ねる。田嶋さんの目は、いつものようにまっすぐ私を見ている。射貫くような目で、しっかりと。


「田嶋さ――」


 ピロン。ジャケットの中から、スマホの通知音が鳴る。


「すみません……手を放してください」


 ピロン。


「田嶋さん……」


 再び鳴った通知音に、田嶋さんはようやく手を放した。


「――考えといて」


 あの大型犬のような優しい声。給湯室を出ていく田嶋さんを見送りながら、心臓が高鳴るのを抑える。ハンカチで手を拭いてからスマホを確認して胸がさらに痛む。


 宮沢くんからのメッセージだった。


『お疲れ様』


『明日、ランチどうかな?』

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