VOICE#13 イケボは強引なくらいがいいですか?

「今日は夕方から天気が崩れるところが多いので――」

 朝のニュース番組でアナウンサーが傘を取り出す。

「傘を持ってお出かけください」


 ・・・


 午後4時現在、オフィスの窓には雨が叩きつけるように降っている。傘はちゃんと持ってきている。朝のニュース見ていてよかった、と思う一方で、会議室から外を見ていると世界から孤立したみたいな気持ちになる。


「なあ、橋本」


 私、橋本みのりは今日大きな決断をしている。なぜなら――


「おーい」

「……」

「無視すんなって」

「……」


 じっと外を見ている私に大きな粗暴な声で話しかけてきたのは田嶋秀明。挨拶もそこそこに初日から人を引き寄せて、耳元に囁くという暴君だ。

 あの後、思わず顔が赤くなっちゃうし、猿渡課長はそれ見てなぜかニヤニヤしてるし、成瀬くんは「なるほど」となにかよくないことを学習していた様子だった。


「……まだ怒ってんのかよ」


 いつの間にか隣に立っていた田嶋さんは、いつもの迫力のあるイケボではなく怒られた大型犬のような声を出した。私は思わず、田嶋さんを見る。


「おっ。やっとこっち見たな?」

「ソーシャルディスタンスをわきまえてください」

「悪かったって。大体、お前が宮沢のこと言うからいけないんだぞ」

「知りませんよ……」


 溜息を吐いて、田嶋さんから一番離れた椅子に座る。


「会議始めましょう。今日はその宮沢くんが出社するんですから」


 そう。そうなのだ。宮沢くんがようやく帰国して、その足で一度オフィスに顔を出すことになっている。私の大きな決断は、ずばり! 今日彼を食事に誘うこと。


 そして、そして……少しずつ距離を詰めて、告白……なんて。


「橋本はさ」

 田嶋さんは図々しく横に座ってきた。この人の距離の詰め方おかしくない?


「……なんでしょうか」

「宮沢と組んでてどうだったの?」

「とぉっっってもやりやすかったですよ、お仕事」

 できるだけ、言葉にトゲを出して話してみているけど、田嶋さんは全く意に介した様子はない。


「いや、そうじゃなくてさ」

「なんですか?」

「男としてどうだった? 魅力を感じた?」

「は……あ?」


 なにを言いだしてるの!? この人は!


「俺、いい男だろ?」

「……」

 なんで、こういう時に限って成瀬くんがいないんだろう、と別件で席を外している新人に思わず恨み節。

「もう、仕事しましょう?」

「橋本は俺のこと、どう思う?」


 そう言って、田嶋さんはさらに近づいてくる。


「そういう話は――」

「真面目な話。営業に必要なのは、人間としての魅力なんだよ」

 田嶋さんは椅子をキイッと鳴らして、机に頬杖をついた。

「分かりやすい笑顔貼り付けたところで、中身が薄っぺらじゃ、腹の中見透かされちまう」

「……」

「俺がアメリカ行く前に宮沢と仕事してた時は、そんな感じだったんだ。だけど、先月久しぶりに会った時に驚いたよ。完全に別人だ」


 田嶋さんは私の座っている椅子の背もたれを掴んだ。


「あんたなんだろ? あいつを変えたのは」


 椅子を回されて、田嶋さんが正面に来る。


「あの時言ったのは冗談じゃない」


 田嶋さんの声は落ち着いていて、夜空に浮かぶ星のように暗いけれど確かにそこにある。思わず引きずり込まれてしまうくらいに魅力的だ。彼は営業マンらしい人間なのかもしれない。まっすぐこちらを見据える目は余裕と誠実さにすら溢れている。

 よい意味でも悪い意味でも、裏表がない。


「あんたには――俺の女神になって欲しいんだよ」


 また言ってる。なんて強引な人なんだろう。


「田嶋さ――」


 コンコンッ。


 身体が思わず跳ねる。会議室の扉を開けてからノックをしたのは――


「宮沢くん!?」


 スーツ姿じゃない、ラフなスタイルの宮沢くんが会議室に急ぎ足で入ってくる。白のTシャツにグレーのチノパン、ダークネイビーのジャケット。チラッと見える鎖骨が、浮き出ている鎖骨に首筋の血管が……。


 ――と思っている間に、宮沢くんが私と田嶋さんの間に立っていた。


「なにやってるんです、田嶋さん」

 私の椅子から引きはがされる形になった田嶋さんは、特に意に介した様子もなく、自分の椅子の背に体重を預けて、ふんぞり返るようにしている。


「なんだ、宮沢。もうカリフォルニアの風に吹き飛ばされたか?」

「橋本さんに迷惑かけないでくださいよ」

「もうお前のもんじゃねぇだろ?」

「彼女は『もの』じゃありません」

「やだねぇ、堅苦しいの。そんなんじゃ苦労するぞぉ?」


 田嶋さんはニヤニヤしながら、宮沢くん越しに私を見る。

「なあ? 橋本」


「それより――」

 落ち着きましょうよ、と言おうとした時。


「秀明、相変わらず過ぎ」

 田嶋さんの頭に、丸められた雑誌が置かれる。ポスッと軽い音を立てて。

「慶も落ち着きなさいよ」

「香織! 来てたのか」

「久しぶり」

 香織、と呼ばれた女性は長いストレートヘアをかきあげて、田嶋さんと軽くハグする。見るからに日本人だけれど、動きが日本人ではない。香織さんは田嶋さんから離れると、サングラスを頭の上にずらしてから、笑顔を見せた。

「そして、あなたがみのりさんね!」


 右手がパッと出される。思わず、握り返すけれど言葉が出ない。


「ごめんなさいね。男っていくつになっても子どもなんだから」

「は、はは……」

柳瀬やなせ香織です」

 握り返された手は力強くて、香織さんがどんな女性かなんとなくわかった気がした。サングラスを取った彼女の顔は、幼くて笑顔が可愛らしいけれど、私なんかよりずっとしっかりしてる。

「慶とタッグ組んで、難しいクライアントを説得しちゃったって聞いたから、もっと怖い人かと思ってた」

「え」

「すっごくきれいで優しそうな人だったから驚いちゃった」

「や、そんな……」

「慶」


 香織さんに呼ばれて、宮沢くんが「ああ」と返事する。


「ごめんね、橋本さん。ちゃんと紹介できればよかったんだけど、香織が一緒に来るのが突然決まったもんだからさ」

 かおり……下の名前で呼んでるんだ。

「香織は、アメリカ営業所の現地採用の社員で、デイヴの雑用してるんだ」

「デイヴさんの……」

「アメリカの大学に通ってた時に一緒で――付き合いは長いんだけどね。しばらく俺のサポートに入ってくれるんで、橋本さんともやり取り発生すると思う」


 香織さんは、あどけない笑顔でもう一度挨拶してくれた。


「どうぞよろしく、みのりさん」


 ザーッ。


 オフィスの窓を叩く雨はさらに激しくなっている。

 遠くでは、雷鳴まで聞こえた気がした。


 なんだろう、この胸騒ぎ……。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る