VOICE#3+α 宮沢慶の場合

 24時過ぎ。

 スマホの画面を消して、帰り支度をしていると隣の課から声がした。


(珍しいな……こんな時間まで)


 営業一課は、やり取りに時差が発生するから24時間、誰かしらがいる。

 でも営業一課は、犬尾いぬお課長がしっかりしてるのもあって残業自体が珍しい。


 チラッと覗いてみると、二課の大半が残って何かを修正液で塗りつぶしている。


「あぁぁ。まだ終わらないよぉ」


 香山の情けない声が聞こえる。それに対して遠藤さんが喝入れてる。

「頑張るのよ! 香山くん! 半分も終わったんだから」

半分もあるのぉ……!? 無理だよぉ。純ちゅーん」

半分!」

 あそこのカップルは、なんだかんだで遠藤さんがしっかりしてる。


「修正したところ、羊みたいじゃないですかー?」

 青田さんが眠そうに言っている。


「恭子ちゃん。それ、数え始めたらヤバいやつ……」

 そう言っている橋本さんもかなり疲れているように見える。

「ああ……修正液も、足らない……?」


 ――あのままじゃ、朝までに終わりそうにないな。


 俺は鞄を置いて、非常階段から下の階に下りた。

 修正液なら備品庫にあるはずだ。少しでも役に立てるかもしれない。


「おー宮沢ー」

 この時間帯の下の階は、本当にもぬけの殻という表現が相応しいのに、木下がいる。定時男が何をしているんだ?

「お前残業?」

「いやー食事行ってたんだけど、忘れ物したんだ」


 木下が手にした携帯を左右に振る。


「――で、宮沢は? お前残業なん?」

「ああ、修正液取りに来た」


 ・・・


 営業二課に戻って、空いてるデスクの上に修正液の入った箱を置く。

「お疲れ――」

「お疲れ様~! みのりちゃ~ん、救世主だよ!」

 橋本さんに挨拶をしようとしたが、木下の大声に掻き消された。

「宮沢から聞いたよ。俺とみのりちゃんの仲なんだから、手伝わせてよ~」

 木下の言葉に、二課の人たちが生気を取り戻したように見える。言いたいことは木下に奪われたが、俺には作れない空気だなと改めて木下を尊敬する。


「……ありがとうございます」


 橋本さんも笑顔を作っている。


(……俺が手伝いたいって思ったんだけどな)


 なにかよく分からない複雑な気持ちのまま、俺は背広を脱いだ。


 それからは気の遠くなるような作業だった。眠らないように雑談はしていたが、ほぼ内容は覚えていない。気がついたら最後のパンフレットが積まれていた。


「お疲れさまでしたー!!」

 橋本さんの明るい声に負けない声で香山が叫ぶ。

「朝日が眩しいー!!」

「宅配手配してきます!」

 そう言って青田さんが部屋を出ていった。


「いやーさすがにさすがに、だったな、宮沢」

「そうだな……」

 思わず気が抜けてデスクに倒れ込むと、頭上から橋本さんの声が聞こえた。

「本当に、ありがとうございました」

「みのりちゃん、お疲れ様~」


「木下くんも」

 橋本さんが柔らかく笑う。今まで見たことのない、穏やかな顔だ。思わずじっと見る。同じく木下が橋本さんを見ながら、ニヤニヤしている。

「……へ~、みのりちゃんってそうやって笑うんだ」

「え?」

 橋本さんは目をパチクリさせてから、微笑んだ。

「あ、皆さん、もう少しいます? お礼に夜明けのコーヒーでも」


 そう言って橋本さんも部屋を出ていった。

 その後ろ姿を見ながら木下が呟く。

「いやあ、やっぱいいよな~みのりちゃん」

「……」

「な? 宮沢」

「……さあな」


 ・・・


「ただいま……」

 しばらくして帰ってきた橋本さんは、なぜか生気を抜かれたように呆けていた。

「みのりん、みのり~ん?」

 遠藤さんが橋本さんの目の前で手をヒラヒラさせる。

「大丈夫? コーヒー買いに行ったのよね? なにかあった?」

「純ちゃん……はい、どうぞ。コーヒーです」

「あ、ありがとう」

 橋本さんは遠藤さんの質問には答えずにコーヒーを配り始めた。


「香川くん……恭子ちゃん、コーヒー。宮沢くん、どうぞ。木下くんどうぞ。」

「ありがと~。みのりちゃん、マジ大丈夫? あ、そういえば来週新しいコーヒーマシン来るらしいから。元気出してね?」

「ありがとうございます……」


 俺はそのやり取りを横目にカップを手にした。


(ん? あれ、コーヒーじゃない……?)


「あれ~? 宮沢だけ、レモンティー?」


 こういう時に絶対気づくよな、木下。


「ええ……コーヒー苦手でしたよね?」


(え?)


「え~贔屓~。俺もビール!」

 木下の意味不明なワガママを橋本さんは軽くかわしている。

「あはは、私も飲みたいですよ、それ」


(そっか、橋本さんは知ってたんだ。俺がコーヒー苦手なの。なんか、こういう気遣いって)


「嬉しいっす……」


 思わず漏れてしまった。口元を手で隠す。

 誰にも見られていなかったようで胸をなでおろす。


(……ニヤけてんじゃねーよ、俺)

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