VOICE#10+α 遠藤純の場合

 ここ数週間は、なんだかバタバタしていた。

 すっかり目が冴えてしまってスマホをいじっていると、隣がもぞもぞ動き出した。

「ごめん、起こしちゃった?」

「んー……眠れないの?」

「ちょっとね」

「スマホ見てたら……よけいに、ねむれないよ、ほら」

 うとうとしながら、香山くんはゆったりとした口調で私の手からスマホを取り上げる。そのままグレイのスウェットがぐるっと体に回り、抱きしめられる。ぽんぽん、と子どものように背中をやさしく叩かれる。

「ねんね、純ちゅん、ねんね……」

「ふふっ」

 ふたりでいる時の香山くんは赤ちゃんのように、子どものように私に接してくれる。そして、私も香山くんの髪に顔を埋めて、後頭部をやさしく撫でる。香山くんの頭の形は愛おしい。よく眠る親孝行な子だったんだ、今はどうか知らないけれど――なんて彼はよく冗談めかして言う。

「ぐう」

 すぐに寝息を立て始めた香山くんの頭を撫でながら、私もゆっくり目を閉じた。


 今朝、みのりんはご機嫌だったし、宮沢くんともいい雰囲気で会話してた。恭子ちゃんと木下くんは……まあ、置いておいて。宮沢くんとランチに行ったみのりんは落ち込んでいて、話を聞こうとしたら、なんでもない、なんて泣きそうな声で言われた。今日うちに泊まりに来た香山くんに宮沢くんの話をしていたら――「ああ、あいつ転勤するらしい」と軽く言われてしまった。


(みのりんが、かわいそう……)


 みのりんとは入社時の研修の時に仲良くなった。何にも自信がなかった私に笑顔で接してくれて、いろんな相談にものってくれた。ある時を境に、私の化粧が濃くなっていった時も何も言わずにそばにいてくれた。


(今度は私が……そばにいないと、ね)


 すうっと息を吸った次の瞬間には、私も眠りの世界にいた。


 ・・・


 それからは、宮沢くんは引継ぎで、みのりんは一課と二課の案件で、二課は年度末の進行で忙しかった。木下くんがグループチャットでしきりに壮行会をしようと話していたけれど、結局実現することはなく――宮沢くんが旅立つ日が来た。


 その日、空港にはいつものメンバー6人が見送りに集まっていた。もちろん、言い出しっぺは木下くんで、それに強く賛同したのが香山くんと恭子ちゃんだった。みのりんは、実は最後まで迷っていたみたいだった。

「わざわざ来なくてもいいのに」

「なあに言ってんだよ親友。壮行会だって……もっとしっかりやりたかったんだから、な」

「いいよ、もう。ありがとな」


 涼しげに笑っている宮沢くんと号泣寸前の木下くんを横目に、私はみのりんを見ていた。泣きそうな顔してる。


「またすぐ帰ってくるから」

 宮沢くんが挨拶していく。木下くん、そして香山くんと私に。

「香山、仕事頑張れよ。遠藤さんと仲良くな」

「お前もな」

 香山くんが笑いながら、宮沢くんの肩に拳を当てる。

「遠藤さんも」

「ありがとう。でも、すぐ帰って来るんでしょ?」

「まあね」

「みんなおおげさね」

「俺もそう思う」


 彼が――アメリカに本格的に移住するまでにちゃんと決着つけられるのかしら。まさか、みのりんは諦めたなんてことないわよね……だって泣きそうだったもの。


「宮沢さん!」

 考え事をしていたら、横からぐいっと押される。私の肩を押し退けた恭子ちゃんの手は冷たい。

「まさか、こんなお別れをすることになるなんて思ってなかったです。ぜひ、日本に戻って来られた際にはまたお食事に行きましょうねっ」

「だから、さ来週には戻るわよ」

「さびしくなります……」

 ダメだ、聞いてないわ。空港の馬鹿みたいに高い天井を見上げながら、私がため息を吐いていると宮沢くんが軽い笑い声でそれを見ている。


(でも――)


 私の肩に依然乗せられたままの恭子ちゃんの手が震えている。


(ああ、この子も割り切れない子なんだわ)


 必死に笑顔を作っている恭子ちゃん、むせび泣いている木下くん、その背中を軽く叩いている香山くん、腕を組んでそれを眺める私、そして横で鼻をすすってるみのりん。


「ああ、花粉症っていやだなあ」


 言い訳ばっかりしてどうするの――冗談でなら、なんとでも言えるのに。いざという時には、そばに立っているのが関の山。


(本当に、臆病ね……私)

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