VOICE#8+α 青田恭子の場合
「恭子ちゃ~ん、お疲れ様」
コピーを取りに廊下に出たら、木下さんがいた。
「みのりちゃんは元気?」
木下さんは、初めての食事会の時も、
(――軽薄な人)
「お疲れ様ですー」
(……でも、この人、宮沢さんのお友達なのよね)
広報の木下さんと営業一課の宮沢さんは、性格とか正反対に見えるのに同期だからか
(まあ、あれは元々みのり先輩を元気づけようの会だったんだけど……)
「みのりちゃん、今一課にヘルプ行ってるんでしょ? なんか『赤バラ事件』とかあったみたいだし。心配になっちゃってさ」
「『赤バラ事件』……」
そんな名前になってもう関係各所に出回っているのか。あるいは、彼が特段そういったうわさ話に
(仲良くしてて損はないのよね)
「えーもうそんな噂になっちゃってるんですかー? そういえば、たしかにみのり先輩、『最近落ち込むことが多かったから、気分上げたいな』って言ってましたね」
「え~? そうなの?」
木下さんが両手を合わせる。
「あ、じゃあさ。飲み会しようよ、飲み会」
「えー飲み会で上がりますー?」
「あれだよ、打ち上げにすればテンション上がるでしょ」
「打ち上げですか?」
・・・
「それでは一課と二課の合同プロジェクト成功を祝って――カンパーイ!」
木下さんの思いつきで打ち上げをすることになったけど、その強引さのお陰で宮沢さんとまた食事ができるなんて。
(これは、チャンス!)
「宮沢さん、その節は本当にすみませんでした。もともと、わたしたちのお客さんだったのに……それに先輩がお世話になりました」
しっかり宮沢さんの隣の席を確保して、まず礼儀正しく接してみる。なにしろ宮沢さんは『誠実』なタイプだから。そういう女子が好きなはず。少しでも仲良くなるきっかけを掴んで、うちの会社一の買いをゲットする。これに尽きる。
「いえ、橋本さんの資料がなかったら厳しかったですよ」
社交辞令で言ったのに、宮沢さんはさらっと、みのり先輩を褒める。みのり先輩もまんざらでもなさそう。なんかいい雰囲気なんですけど……?
「そうなんですねー。先輩、仕事に専念したいって言ってましたもんね」
みのり先輩は数回瞬きをして私を見た。
「でも実際、恭子ちゃんのお陰なんだよ」
そう言って、みのり先輩は、ふわっと笑う。
「恭子ちゃんが今までの先方とやり取りしてきたことを教えてくれたから、資料作る時も、最終プレゼンの時も本当に助けられたの。ありがとう」
「先輩……!」
ナイスアシストです! わたしは泣き顔を作って、みのり先輩にハグする。先輩は「よしよし」と頭を撫でてくれる。そこに、香山さんが「俺は? 俺は?」なんて言うものだから、話題の中心がズレていっちゃう。
「今回の件は、本当残念なアクシデントから始まったけど、結局みんな幸せになってよかったと思う。香山くんは置いておいて」
いじけるぞ! なんて言う香山さんの肩を叩いて、木下さんが楽しそうに言う。
「まったくその通りだね! 二課の恭子ちゃんと香山の頑張りでイベントまで漕ぎつけて、案件を引き継いで一課の宮沢と二課のみのりちゃんが力を合わせて海外展開を成功させた――これは一人でも欠けてはいけなかった成功なんだよ!」
そう言ってから、木下さんは純ちゃん先輩に軽くウィンクする。
「もちろん――徹夜組の功労者である純ちゃんとこの俺もね」
「あら、ありがとう。そういえば、そんなことあったわね」
純ちゃん先輩は、そう言って香山さんに寄りかかる。仕事中はそうでもないけど、こういう飲み会みたいな場になると、純ちゃん先輩は香山さんへの好意を隠そうともしない。仕事の時でも結構バレバレなんだけど。
みのり先輩がニコッと笑う。
「確かに、木下くんもありがとうございました」
「みのりちゃ~ん、いいんだよいいんだよ。今度遊ぼうね」
「私、土日忙しいんで……」
「クールビューティーきたー」
「だからそれなんですか」
どっと笑いが起こる。みのり先輩、前よりも木下さんに対して優しくなってる気がする。これは完全脈なしってわけでもなさそうだけど……。
(え?)
「あー、宮沢さんの笑顔可愛い~」
思わず、珍しい光景に口に出さずにはいられなかった。すごく大人っぽい宮沢さんだけど、思ったより子どもっぽく笑う。この流れは――あの質問がいけそう。
「宮沢さんもいつもクールですよね。彼女さんいるんですか?」
「好きな人はいますよ」
「えー? そうなんですか?」
意外な答えだった。もっとはぐらかされると思ったのに。前のめりになるわたしの隣でみのり先輩が席を立つ。
「ちょっと酔ったかも。失礼~」
「みのりん、珍しいね。大丈夫~?」
純ちゃん先輩が、みのり先輩の背中に問いかける。みのり先輩はたしかに少し体調悪そうな笑顔で、大丈夫、なんて言いながら手を振った。
「で、宮沢さんの好きな人って……会社の人だったりして?」
「え! そうなのか!? 宮沢!」
「なんでお前が一番食いついてるんだよ、木下」
香山さんの突っ込みに笑いが起こる。
「ばーか、宮沢が会社の女子と付き合ってみろ。怖いぞ~」
「あ~確かに宮沢くんってモテてるもんね。何気に」
木下さんの言葉に純ちゃん先輩が頷く。
「で?」
話が脱線しそうだったから、わたしは笑顔で宮沢さんに向いた。
「……どうなんでしょうね」
宮沢さんはビールを飲み干してから、ゆっくりとテーブルに置いた。
「俺も、ちょっとトイレ」
・・・
「あれ? 宮沢さん、どうしたんですか?」
やっと戻ってきたと思ったら、宮沢さんが「橋本さんの荷物って?」と言う。
「みのり先輩がどうかしたんですか? そういえば帰って来てない……」
「すみません、橋本さんがちょっと体調悪そうだったんで駅まで送ってきます」
「え、なんで宮沢さんが?」
わりとマジなトーンで出てしまった抗議の声を遮って、純ちゃん先輩が、みのり先輩の荷物を宮沢さんに渡している。
「みのりんをよろしく」
「はい」
お疲れ様です、と言ってから宮沢さんが木下さんを見る。
「悪い、後で金払うから」
「気にすんな。みのりちゃんを頼んだぜ」
(いやいや、なんでみんな応援してる感じなん?)
脳内で突っ込みながら、頬を膨らませてみる。みのり先輩ばっかりズルくない?
「つまんない」
ずっと宮沢さん狙ってたのに。最初の食事会でも宮沢さんだけ帰っちゃうし。
印刷所がミスった時はどうしようかと思ったけど、宮沢さんが手伝いに来てくれた時には、チャンスだと思ったのに。話しかけても素っ気ないし。
一課のヘルプに出たのは、みのり先輩だった。
仕事できる上に、宮沢さんまで持ってっちゃうの?
「まあまあ、恭子ちゃん。あの2人なら大丈夫だよ。ところで恭子ちゃんはインドア派? アウトドア派?」
木下さんは前にも聞いたようなことを聞いてきた。
「アウトドアです。家には一秒もいたくありません」
「へえ、奇遇だね! どう? 今度スキーとか」
「スノボなら……大学の時に行ってましたけど」
っていうか、春になったばかりなのに、いつの話?
「ニュージーランドに別荘あるんだけどさ。みんなで行こうよ」
「は?」
ニュージーランド?
「別荘ですか?」
「そう。うちの親がさ、好きな映画のロケ地だからとかって買っちゃったんだよ。ハワイので十分なのに。別荘なんてそう何個も要らないよね~?」
ん~?
「木下さんのご実家ってお金持ちだったんですかー」
「親はね。俺はしがないサラリーマンだよ~」
「へえ……」
『恭子マル秘ノート④
木下??? 28歳 広報課。買い(NEW!!!)
親が金持ち。ハワイとニュージーランドに別荘。
「木下さんって下のお名前なんでしたっけ?」
(――逃がしてなるものか)
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