VOICE#11 イケボの『わんこ』属性もありですよね?

 葉桜が目立つようになった頃――年度が変わり、人々が新たな生活をスタートさせる中。私、橋本みのりの周りにも変化が起きていた。


「新入社員の成瀬亮なるせりょうです! 皆さん、どうぞよろしくお願いいたします」

「うんうん、元気があっていいね」

 営業二課の犬尾いぬお課長が鼻をすすりながら頷く。まだ花粉症は厳しい時期が続いているようだ。他人事で拍手をしていると、課長から突然呼ばれる。

「橋本さん」

「はい?」

「君、成瀬くんの教育係お願いね」

「はい?」

「成瀬くんは海外案件にも興味があるみたいだし、一課と二課の橋渡し役である君について回っていれば学ぶことも多いだろう」


 誰が橋渡し役だって?


 私は笑顔のまま、課長を見た。

 宮沢くんが出張に出ている間、確かにその連絡を受けてイノクチ製作所につなげたり、二課と連携できる案件があればそれをつなげてはいた。

 でも、宮沢くんに思いを告げないまま、仕事をすることははっきり言って苦痛だ。


 だって例えば奇跡的に告白してOKをもらったとして、頻繁に行き来しているうちはいい。でも、手続きが終わって本格的にアメリカに行ってしまったら、超遠距離恋愛になる。そんなのうまくいくわけがない。

 フラれたらフラれたで、気まずいし。


 それに――宮沢くんの好きな人って誰なんだろう。


 そう、結局告白できていない理由の大部分は、ここにある。確信が持てないから。一緒に仕事してからの態度を考えて、嫌われているとは思わないけれど……他に好きな人がいるなら絶対無理じゃん。


「橋本さん?」

「はい?」

「えっと、よろしく頼むね」


 しばらく飛んでいた間に話は終わっていたらしい。

 こうして、私は新人成瀬くんの教育係になった。今風に言うとメンターだ。


「橋本さん、よろしくお願いします!」


 成瀬くんは初々しさ全開で挨拶をしてくる。思わずその大きなわんこっぽさに笑顔になってしまう。よく聞いてみるとハスキーだけど癖になる癒し系ボイスだ。茶色っぽい髪はふわふわとゆるやかにウェーブしている。癖毛だろうか。柔らかそう。

「僕、何をすればいいでしょうか!」

 元気に話すその姿には、明らかに幻覚だろうが尻尾まで見えるようだ。


 ――撫でたい。という気持ちをぐっと堪えながら私は落ち着いて話した。


「そうですね。まずはPCとか名刺とか、会社からの貸与品について確認してください。メールの設定とか諸々できたらさっそく会議に出てもらいたいです」

「分かりました!!」


 良い子だわあ。私は思わずほっこりする。


 ピロリン。ピロリン。


 スマホから小さな着信音。テレビ電話だ。ディスプレイに表示されているのは――『宮沢くん』。


「うぅっ」

 思わずスマホを握りしめる。どうしよう化粧を直す時間もない。掛けてくれるなら30分前には予告していて欲しい。でも掛けてきてくれただけで嬉しい。いやそもそも就業時間中なんだから仕事の電話でしょ。音声通話でよくない!?

 様々な葛藤を払いのけながら、応答する。


「はい――」

『Minori-saaaaaaaan!』


 画面に映し出される、にっくきアメリカ人――デイヴ・ジョンソン。


 プツッ。


 しまった。身体が拒絶反応を示すあまり、秒速で終了ボタンをタップしてしまったわ。あんなのでも、一応、仕事仲間……仕事仲間。


 ピロリン。ピロリン。


 スマホから再び着信音。『宮沢くん』の文字。深呼吸して応答する。


「はい」

『橋本さん、こんにちは』

「ひっ――宮沢くん!」


 金髪碧眼のオジサンが出てくるとばかり思って油断していたせいで、思わず叫んでしまった。慌てて咳払いする。


「宮沢くん、そっちは今こんばんは?」

『うん、夜の9時回ったところだね。今大丈夫?』

 画面越しの彼は、数日ぶりなのにひどく懐かしい。遠いところにいるんだな、と改めて思う。

『先にメッセージ送ろうと思ったんだけど、デイヴか勝手にコールしちゃって。実はイノクチさんの件で――』

「――うん、うんうん」

 宮沢くんの言葉に集中しながら、手元にメモを引き寄せる。ペン――ペン、ペンと手をさまよわせるけど、見当たらない。引き出しを開けようとしたら、目の前にペンが差し出された。


「どうぞ」


 小声のわんこボイス成瀬くん。ありがと、と口だけ動かして、ペンを受け取る。


『よろしくお願いします』

「はい、了解」

 ペンを置いて、ふと気づく。

「以上?」

『うん』

「じゃあ、さっそくメール出しておくね」


 ああ、連絡事項だけでもう終わってしまう。またしばらく見れなくなってしまう宮沢くんをしっかり見ておこう。画面に映った宮沢くんは少年スマイルを見せてる。


「どうしたの?」

『あ、ごめん』

 宮沢くんが襟足を撫でてる。

『音声通話でもよかったんだけど、やっぱ顔見て話したかったから』

「ぅっ……うん」

『元気そうでよかった』

「うん。私も……顔が見れてよかった」

『そうだ。来週戻るけど、その前に一課の人間が日本戻るんで挨拶に行くと思う。よろしくお願いします』

「はい」

 なんて穏やかな時間なのかしら。このままずっと続けばいいのに。


『――じゃあ、皆さんによろしく』


 スマホの画面が黒くなっても余韻を少し楽しむ。始めはなんの冗談かと思ったけれど、宮沢くんとこうやって話せてよかった。もう告白してもいいんじゃないかな! 私、遠距離いける気がしてきたし……!


「せーんぱいっ」

 ぴょんと跳ねながら、恭子ちゃんが隣にやって来た。レースのあしらわれたシャツに淡いピンクのスカートはアシンメトリーに切り替えられていて、愛されオフィスカジュアルに身を包んでいる彼女は今日も可愛い。

「もートリップしてる場合じゃないんですよー」

「え、あれ?」

 肩を揺らして恭子ちゃんを見ると、その横に直立不動で待っているわんこ――じゃない、成瀬くんがいた。

「成瀬くん! ごめんなさい、ペンありがとうございました」

 慌ててペンを返して、メモ帳とスマホをデスクに置く。


「いえ、お役に立ててよかったです」


 眩しい笑顔で成瀬くんはペンを受け取って、なにかよく分からないキャラクターものの筆箱にしまった。


「恭子ちゃんもありがとう」

「いいえーー」

 右手の人差し指を頬につけて、恭子ちゃんが首を傾げる。


「青田さーん」

「はーい」

 香山くんに呼ばれて、自分の席に戻っていく恭子ちゃん。それを成瀬くんは目で追っている。まさか――


「じゃあ、成瀬くん。会議室行きましょうか?」

「は、はい!」


 二課を出て廊下を歩いていると、後ろからついて来ていた成瀬くんが両手をもじもじさせている。これは一応、聞いておいた方がいいやつかしら?


「どうかしました? 成瀬くん」

「あ……いえ」

「そう」

「あ! その……」

「はい」

「さっきの人は」

「青田恭子さん?」

「あおたきょうこさん……っていうんですね」


 成瀬くんは繰り返しながら下を向く。まつ毛長いな、この子。


「あの、青田さんは彼氏いるんでしょうか?」

「はい?」

「あ……いえ! す、すす、素敵な方ですね!」


 最近の若い子はすごいですね! ――28歳、心の叫び。

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