VOICE#9 イケボは気づけばそこら中に溢れていませんか?

 春先とはいえ、夜はだいぶ冷え込む。でも、頭が冷えていいわね……。

 涙もすっかり引っ込んで、私は震えながら宮沢くんを待っていた。


「お待たせ」

「ありがとう」

「……冷えちゃった?」


 ジャケットを羽織った私の上に、自分のコートを掛けてくれる。

「俺、暑がりだから。駅まで着ててよ」

「……うん」

「代わりに鞄持つよ」

「悪いよ」

「いいって」


「ありがとう」

 さっきのことも――と言いたいけれど、自分から蒸し返していいものか。

 考えているうちに、宮沢くんは無言で歩き出してしまった。遅れてついていく。


 繁華街を抜けると、駅前のロータリーでストリートミュージシャンが歌っていた。

 茶髪にニット帽被って、ギターをかき鳴らしながら、通る声を張り上げている。歩いている人も思わず足を止めるほどの美声だ。

 思わず、私も見ていると――宮沢くんが声を掛けてきた。


「橋本さんって……まだ時間ある?」

「え?」

 腕時計を見てみる。まだまだ終電までは時間はある。

「うん、大丈夫」

「ちょっと座らない?」

 そう言って宮沢くんはロータリーの前のベンチを指した。

「寒かったらどこか入ってもいいけど」

「ううん。大丈夫」


 若々しい声が駅前の聴衆を集める中、宮沢くんが口を開いた。耳を澄まさないと聞き取れないくらい、静かな声だ。

「なあに?」

「いや、タメ口になっちゃってすみません」

「あ、え……? 本当だ。全然気づかなかった」

「さっき、俺テンパっちゃって。ああいうの慣れてなくて」

「助かりましたよ」

「……」

「なんですか?」

「タメ口でもいい……ですか?」

「どうぞ」

「あの、橋本さんも」

「宮沢くんが良ければ。そういえば同期だしね」

「そう……なんだよね」

 宮沢くんが乱暴に頭をかく。セットされた短い髪が少し乱れる。

「実はさ、俺入社したころって海外行くことしか考えてなくてさ」

「へえ?」

「五年で海外行けないなら会社変えようって思ってたんだ」

「え、そうなんだ」

「そう。すごい生意気でしょ?」

 そう言って宮沢くんは笑う。今までみたことのない、少年のような笑顔だった。

「一課に配属された時は嬉しかったんだけど、担当するのはアジア圏ばっかりで本社から動く気配まったくなくて。他の同僚がアメリカ行ったりしてるのすごい悔しくて」

 一課のエースと呼ばれている男がそういう風に思っていたなんて正直驚きながら、私は黙って頷いた。

「実は結構半年前まで腐ってたんだけど……そんな時、橋本さんに怒られたの」

「え!?」

「あ、やっぱ覚えてない?」

「一課と二課の合同会議でさ。申し訳ないけど、そのころ本当に腐ってて。態度悪かったんだよ、俺」

「へえ……?」

「そしたら、『仕事を仕事としてこなせないなら、今すぐ辞めたらどうだ』って。『相手にも自分にも失礼だ』って」

「え、そんなことを……」


 どうしたの、その時の私――。


「あ」


 半年前――彼氏の浮気に気づいて、上司には『女の子って結局結婚するでしょ』と言われて落ち込んでいたころだ。に救われたあのころ。

 心が腐っていたのは、私の方だわ……。


「その節はどうも……」

「いやいや、目が覚めたんだよ。感謝してるんだ」

「そうなの?」

「じゃあ辞めてやるよって言えるほど、いい加減に仕事して来てなかったなって。営業っていう仕事が、本当は楽しくなってたんだなって気づかされたんだ」

「……」

「感謝してたから、イノクチ製作所の印刷ミスの時、手伝ったのもあって」

「あ、そうなんだ」

「本当は食事会の時にちゃんと話したかったんだけど、仕事で抜けなくちゃいけなくて……そもそもなんて言ったらいいか分かんなくて、かなり緊張もしてたし」

 営業スマイル不参加の裏にはそういう感情があったのか……。

「いろいろあったけど、橋本さんと今回仕事できて光栄でした。今回もあの会議の時も、ありがとうございました」


 宮沢くんはベンチに座ったまま、深々とお辞儀をした。

「こちらこそ」

 それにつられるように、私もお辞儀をする。傍から見てると、駅前のベンチでお辞儀しあってる酔っ払いに見えるんだろうか。それを想像してなんだか笑える。

「あはは、なんかそんなストレートに言われると照れちゃうなぁ」


「いや、本当に感謝してる。お陰で長年の夢も叶いそうだし」

「夢って、海外の?」

「そう。橋本さんは? 二課のエースの夢」

「そんな大したものじゃないけど……そうだなあ」


 夢とか社会人になってから考えたことなかった。ぼんやりと結婚して、その後も共働きで仕事続けていくのかなあとか、本当にぼんやりとしか考えてなかった。


「私の夢は、妹が――」


 幸せになってくれることかな……と続けようとした時、男と目が合った。


 宮沢くんの脇に置かれた私の鞄を狙う男と。


「え?」


「ちっ!!」


 男は舌打ちして、鞄を持って走って行った。


「いや、ちょ――」


 こんな不運あります!?!?


 声を上げるより前に、男を宮沢くんが追いかける。

 駅に向かう人をかき分けて走っていく男は、瞬く間に地面に叩きつけられていた。


「ナイス背負い投げ!」


 ストリートミュージシャンがマイク越しに言う。爽やかなイケボに合わせて、駅前の人たちが拍手をして、あれよあれよという間にお巡りさんがやって来た。


 ・・・


「被害届はこちらで」


 駅前の交番で被害届を出すように言われた。若いお巡りさんは、体育会系なのか鍛えられた太い声で説明をしてくれる。空気を震わすイケボに私はゆっくり頷く。


 ――しかし、最近思ったけど、私の中のイケボって範囲広い?

 それともこの世の中にイケボが溢れかえっているのかしら。


「それにしても、彼氏さん背負い投げしたんですって?」

 お巡りさんが宮沢くんに言う。

「柔道されてたんですか?」

「あ、咄嗟でつい――」

「いやあ、お怪我なくてよかったですよ」

 はっはっはっ、と明るく笑うお巡りさんに、宮沢くんが営業スマイルで返す。

「彼女さんも、頼りになる彼氏さんで良かったですね」


「いや、あの……」

「彼女じゃ「彼氏じゃ――ないんで」」

 思わず声がハモってしまった。


 仲良しですねー! とお巡りさんはさらに快活に笑っていた。


 ・・・


 ようやく交番から出た時には、終電ギリギリだった。

 急がないと、と思いながら私は不思議な気持ちでいっぱいだった。


「……」


 さっきからイケボにときめいてない。

 恋はしないんだ――って思ったけれど、かなり好みのイケボだったのに。

 あのストリートミュージシャンのお兄さんも。


「橋本さん」

「はい?」

「走らなくて大丈夫?」

「あ、まだ大丈夫だけど――」

「ん?」


 ずきん。なんて優しい「ん?」なんだろう。


「どうかした?」

「ううん。犯人捕まえてくれてありがとう」

「いや、俺が荷物預かってたのにごめん」

「ううん」


 何を話せばいいんだろう。


「じゃあ、私……行くね」

「うん。気を付けて」


 宮沢くんは地下鉄に向かって歩き出す。背中が小さくなっていく――。


「おやすみなさい!」


 叫び声に近い感じで言うと、宮沢くんが笑顔で振り返った。少年のような笑顔。

 そして、軽く右手を上げる。


「おやすみ!」


 階段を下りていく背中。姿が見えなくなるまで――立ち尽くしていた。


 今の私にとって誰よりもイケボなのは、きっと宮沢くんの声だ。

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