VOICE#8 イケボは一旦忘れませんか?

「それでは一課と二課のプロジェクト成功を祝って――」


 広報木下くんの音頭に合わせて、その場の全員がグラスを上げる。


「カンパーイ!」


 なぜお前が乾杯の音頭おんどを取るんだ、とは誰もが思ったに違いない。

 しかも、あれ? いつから一課と二課のプロジェクトに?


「宮沢さん、その節は本当にすみませんでした。もともと、わたしたちのお客さんだったのに……それに先輩がお世話になりました」

 そう言いながら、ちゃっかりと恭子ちゃんは宮沢くんの隣の席を確保している。

「いえ、橋本さんの資料がなかったら厳しかったですよ」

 お、宮沢くん。いいぞ、もっと言ってちょうだい。仕事っぷり褒めてちょうだい。


「そうなんですねー。先輩、仕事に専念したいって言ってましたもんね」

 恭子ちゃんがこちらを見て言う。これは……もしや、若干けん制されている?


 大丈夫。社内恋愛なんてごめんだから。


「でも実際、恭子ちゃんのお陰なんだよ」

 恭子ちゃんが口元をとがらせて、首を傾げる。

「恭子ちゃんが今までの先方とやり取りしてきたことを教えてくれたから、資料作る時も、最終プレゼンの時も本当に助けられたの。ありがとう」

「先輩……!」

 恭子ちゃんが泣きそうな顔で抱きついてきた。よしよし、と頭を撫でていると、香山くんが、テーブルの向かいから聞いてくる。

「俺は? 俺は?」

「そう言えば、香山くんも担当だったね」

「ひどいな!」

「今回の件は、本当残念なアクシデントから始まったけど、結局みんな幸せになってよかったと思う。香山くんは置いておいて」

 いじけるぞ! と言う香山くんの肩を叩きながら、木下くんが口を開く。

「まったくその通りだね! 二課の恭子ちゃんと香山の頑張りでイベントまで漕ぎつけて、案件を引き継いで一課の宮沢と二課のみのりちゃんが力を合わせて海外展開を成功させた――これは一人でも欠けてはいけなかった成功なんだよ!」


 だから、なぜあなたがまとめるのよ。木下くん。


「もちろん、徹夜組の功労者である純ちゃんとこの俺もね」

「あら、ありがとう」

 純ちゃんがそういえばそんなことあったわね、と微笑んだ。


「確かに、木下くんもありがとうございました」

「みのりちゃ~ん、いいんだよいいんだよ。今度遊ぼうね」

「私、土日忙しいんで……」

「クールビューティーきたー」

「だからそれなんですか」


 笑い声が上がる。


「あー、宮沢さんの笑顔可愛い~」

 恭子ちゃんが可愛い声で言う。え、笑ってたの、宮沢くん?

「宮沢さんもいつもクールですよね。彼女さんいるんですか?」

 おお、恭子ちゃん、グイグイいくね。


「好きな人はいますよ」


 どくん。


 あ、そうなんだ……。ん? なんだろう、鼓動が……。

 お酒まわってきちゃったかな?


「ちょっと酔ったかも。失礼~」

 そう言って席を立ってお手洗いに向かう。


 ・・・


 鏡に映る自分を見る。顔は赤くない、意識もハッキリしてる。

 そもそもそんな飲んでない。


「……疲れてんのかな」


 プレゼンのために結構遅くまで残業してたし、すごく緊張もしてた。

 今日は早めに帰らせてもらおうかなあ。恭子ちゃんは宮沢くんと楽しく会話できてるみたいだし、閻魔帳恭子マル秘ノートの借りは返せたよね?


「――よし」


 前髪を軽く整えてから、お手洗いのドアを開ける。


「あれー?」


 心臓が跳ねる。この声は――。


「みのりじゃん。奇遇」

「……剛士たけしくん」


 2年付き合って、浮気をした挙句、別れた元彼氏が――目の前にいる。

 変わらず耳に心地良い、木漏れ日のような気だるげな声で。私の名前を呼ぶ。

 頭が真っ白になってる。どうしよう、どうやって逃げればいい?


「会いたかった」


 頭が真っ白になってると、剛士くんが近づいてくる。後ずさるけど、すぐに壁に当たってもう動けない。そのまま、剛士くんの腕が顔の横に来て、すっかり退路を塞がれてしまう。


 ジャケットから覗いた手首に時計が鈍く光る。私が誕生日にあげた時計だ。


「――これ? 気に入ってるんだ」

 そう言って、剛士くんが笑顔を見せる。

「みのりは昔から趣味が良かったもんな」

「……怒ってる?」

「ん? ああ、叩かれたこと?」

 剛士くんの右手が、頬に当たる。

「怒ってないよ。あれは俺が悪いんだよ。みのりは何も悪くない」


 剛士くんの常套句じょうとうくだ――


「あれからずっとみのりのことばっかり考えてた」


 耳元で囁かれる。


「連絡したかったのに、ブロックしてたでしょ?」

「……」

「でも今日会えて良かった」


 剛士くんは付き合っていた時以上に優しい声でそう言った。


「みのり、好きだよ。やり直そう?」


 それは2年間、何度も何度も聞いてきた声。私の愛してきた声だった。


「……」


 答えは決まってる。


「私、剛士くんの声が好き」

「うん」

「剛士くんに好きな子ができたって言われた時も、携帯勝手に触られた時も、デートのお金だって、プレゼントだって……剛士くんのためなら何でもできた」

「みのり……」

、そう言われるたびに――もっと大人にならないと。いい彼女でいないとって思ってた」


 そうすることが恋愛なんだって思ってた。


「だけど、何度も自分に嘘をついてたって最近になってようやく分かってきたの。自分で自分を傷つけてきたって」


 視界がぼやけてきた。涙なんて流したくないのに。


。……私が一人で舞い上がってただけ」


 ――そう、振られた時は悲しかったんじゃない。悔しかったんだ。

 自分がどれだけ恋に恋して浮かれていたか、叩きつけられたみたいで。


 声が震える……これじゃあ説得力がない。


「みのり」


 剛士くんが肩を掴んでくる――。


「いやっ……」


 触らないで――。


「おい」


 剛士くんの身体がぐいっと後ろに下がる。

 宮沢くんが剛士くんの腕を引いていた。


「あんた、何してんだよ」

「は? なんだよ、お前」

「こっちのセリフだよ」


宮沢くんが手を差し出してくれる。


「橋本さん、行こう」


「おい、お前、ふざけん――」

「剛士くん」

「みのり」


「さよなら」


 宮沢くんの手を取ると、早足で宮沢くんはお店の外に連れ出してくれた。


「あー……もう席には戻れないよね? 送るよ。荷物、取って来るから待ってて」


 そう言って、宮沢くんだけ店内に戻って行った。

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