VOICE#5 IKEteru-VOiceということでいいですか?

Minori, wake upみのり、起きて


 愛しの彼が、優しく私を起こしてくれる。


 開いたカーテンから差し込むカリフォルニアの朝陽の眩しく、オレンジのように甘酸っぱい一日の始まりを告げている。そう、ここはアメリカ。西海岸――サンセットビーチの美しい街・カリフォルニア。


「んー……」

「起きて。遅れるよ」


 そう言って彼は私の髪にキスをする。まるで髪の毛の一本一本まで大切に思ってくれているように。その仕草すらくすぐったくて、私は二度寝をする振りをしてしまう。


Hey, sleepy headほら、お寝坊さん

 彼は幼い子にそうするように『僕のお姫様』と髪を撫でてくれる。

「今日は会議でしょ?」

「……あー」

 そうだった。今日は東京とテレ会議だ。時差にはすっかり慣れたけれど、サマータイムには慣れない。すっきり目覚めるためにシャワーを浴びる。


 メイクをしてパンツスーツでダイニングに出る。すると、彼のお決まりの言葉。

Gorgeous美人さん

 彼がタンブラーに入れたコーヒーを持たせてくれる。サングラスを掛けながら、それを受け取る。カリフォルニアの太陽は厳しい。サングラスはかなりの必需品だ。


 また後で、とウィンクして右手で投げキッスをするが、彼は物足りなさそうに私を引き寄せる。優しく……。


 ――みのり。


「橋本みのり!」

 突然目の前に宮沢くんが現れる。気が付けば、現実。ここはカリフォルニアではなく、灰色の街・東京。営業車の中だ。


 なんたる白昼夢――!


「――さん。橋本みのりさん」

「あ、ごめんなさい。何でしたか?」

「……本気にしてないですよね?」

「本気に?」

 そう、ついさっき私はプロポーズを受けた。初対面のアメリカ人に。その衝撃は、会議を『無事に』終えて会社へ戻る車の中――今の今まで、妄想に浸からせるには十分過ぎるものだった。

「彼、本気だと思いますか?」

「知りませんよ」

 宮沢くんはどこかイラついているようだ。強めのブレーキで停車する。

「あの……?」

 ハザードがたかれた車の中で、宮沢くんがシートベルトを外す。そして、こちらに覆いかぶさってきた。触れそうな近さで――。


「好きです」


 いや、もう前髪が触れているような……。って、何を言ってるの? この人は。


「どう思いました?」


 平然とした顔で、ニコリともしないで、宮沢くんは身体を運転席に戻す。

 シートベルトを締めて、車が動き出す。何事もなかったかのように。


「……性格悪いと思いました」

「そうですよね」

 運転席にいる宮沢くんはそう言って鼻で笑う。

「分かったら、仕事に集中してくださいよ」

 あの悪趣味な冗談は俺から注意しとくんで――と続ける。そうか、確かに仕事の邪魔ですよね。それで、機嫌が悪かったわけね。


「すみませんでした……」

 連続で、びっくりさせられ過ぎて心臓が痛い。


 はあ……宮沢くんの冗談も十分、悪趣味じゃない?


 ・・・


「ただいま戻りましたー」

「橋本くん! お花が届いているよ。君のデスクに置いておいたから。いやあ、そういうことなら言ってくれればいいのにぃ」

 テカテカしながら一課の猿渡課長が近寄ってきた。

「彼とは良きビジネスパートナーだ。どうかこれからもよろしく、と伝えてくれ」

「彼……とは?」

 腰までの高さのキャビネット越しに、二課にある自分のデスクを見る。

 そこに置かれていたのは、バラの花束だった。


「何輪あるのよ、これ?」

 純ちゃんが興味津々に数えている。

「じゅう……しい、ご、15本もあるわ」


 恭子ちゃんは手でグーを作って口元に添えている。高度なアイメイクが光る愛らしい目は、今は、聞きたいことがたくさんあるんですけども、と光っている。

「先輩、いつからアメリカの営業所と付き合いがあったんですか?」


『恭子マル秘ノート③

 Dave Johnson デイヴ・ジョンソン 37歳。アメリカ営業所主任。買い。

 5年間の日本滞在歴あり。英語、スペイン語、日本語堪能』


「え、恭子ちゃん。アメリカの方もチェックしてるの?」

「甘くみちゃいけません。婚活というのは戦争ですよ。情報戦です」

 恭子ちゃんは真剣な顔をしている。

「もちろん、アメリカ以外の営業所も、人づての情報ですけどチェックしてますよ。でも、アメリカの主任さんと先輩がこういう仲だなんて聞いてません」

「私も初耳だよ。そもそもさっきプロポーズされたばっかで……」


「「プロポーズ!?」」


 純ちゃんと恭子ちゃんが声を揃えて叫ぶ。フロア全体に響き渡りそうな声は、営業二課だけなく、営業一課まで届いたようだ。


 ……宮沢くんが睨んでる。ひぃぃぃ……。


「ランチ行くわよ! みのりん!」


 ・・・


「は? どういうこと?」

 さっきまでの一部始終を聞いた純ちゃんの反応は正しい。私は激しく頷く。

「意味が分からないよね?」


「先輩に一目惚れってことじゃないんですか?」

 髪の毛を人差し指に巻き付けながら恭子ちゃんが言う。口を尖らせながら。

「さすがですよねぇ。職場に花束とか、海外っぽい。ああ、いいなー。熱烈な愛」


「よくないわよ。お陰で宮沢くんには――」

 睨まれるし……それにあんな……。


『好きです』


 フラッシュバックした記憶を掻き消すように、私は激しく首を振った。

「こっぴどく怒られるし!」

「へえ、そういうの許せないタイプなんですかね」

 そう言いながら、『誠実』――と恭子ちゃんが閻魔帳に書き込んでいる。

「あ、先輩。『不愛想』とか勝手に書かないでくださいよ」

「だって本当のことじゃない」

「オンオフ切り替えてるだけですよ」

 恭子ちゃんの反論に純ちゃんが軽く同調する。

「そうそう。ダーリンが言ってたわよ。宮沢くん、かなりモテるんだって」

「分かります~。ああいうのが不意に見せる笑顔とか、女心くすぐるんですよね」


 笑顔ねぇ……そういえば徹夜明けの時って……。


「で、どうするのよ、みのりん」

「え?」

 純ちゃんの言葉で思考が戻される。

「どうするって?」

「そのアメリカ人」

「いや、だって、冗談でしょ?」

「冗談で、出会って数時間で日本の花屋に超特急のフラワーギフト頼む?」

「いや、出会って数分でプロポーズする?」

「だとしても、何も言わないわけにもいかないでしょ?」

「確かに……純ちゃんは大人だね」


 そうだ、私は2年付き合った男の心を見極められずにフラれたばかりなのだ。最近の出会いは、ことごとてない。


「先輩、宮沢さんに相談しましょうよ。デイヴさんのことも知っているし、状況も理解してるし……そして仲良くなってください」

「仲良くなるの?」


「そしたら飲み会開きやすいですもんね」


 本当にブレないね、恭子ちゃん!

 いっそ清々すがすがしいよ、恭子ちゃん!


 ・・・


「宮沢くん、ちょっと……」

「さっきの件ですか?」


 ランチから戻って、会議室に宮沢くんを呼び出す。課と隣接した会議室は、純ちゃんと恭子ちゃん以外からも注目を浴びているようだ。


 私は、急いでブラインドを下ろした。


「彼と改めて話したいんです……お花まで送られて……このままじゃ、これからの仕事にも支障があるし」

「……」

「安心してください。私、職場の恋愛はしないので。仕事、優先です!」

「……そうですか」

 宮沢くんが軽くため息を吐きながら、腕を組む。

「実はさっき、デイヴと話したんです。その件で橋本さんに謝りたいって」

「そうなんですか?」

「ほんの冗談のつもりだったけど、彼女を混乱させてしまったって。お詫びのつもりで橋本さんにバラの花束を贈ったそうです」

「ん……どういうことです?」


「15本のバラの花束は謝罪の意味があるそうですよ」

「なん、……」

 ――だって!?


「冗談キツイんですよ、デイヴ。でも橋本さんがその気じゃなくてよかったです」

 傷は浅いですよね、と宮沢くんが続ける。いや、よくないんですけども!?

「……で、橋本さんって本当に社内恋愛しないんですか?」


「――絶対、しません!!!」

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