VOICE#4 イケボって英語でなんて言うんですか?

 春――


「ぶぇえええっくしょぉおおい!!!」


 箱ティッシュを犬尾いぬお課長に渡す。

「花粉の季節が来ましたか?」

「うぅ……橋本さんは花粉症じゃないんだね?」

「正直、辛さが分かりません」

「そうかそうか。花粉症にとってね、この季節の外出というのは拷問なんだよ」

 課長はすでに赤くなった鼻をティッシュで擦る。見てても痛そうだ。

「リモートワークする人間が多い中、営業はそうもいかない。しかも、先週の件で外の新鮮な空気をたくさん吸ったわけだよ、僕は」

「その節はすみませんでした」

「いや、君たちも徹夜して大変だったよね。僕は、一課の課長に頭を下げる羽目になったけども、それも別にいいんだよ。そのせいで君にも苦労を掛けるわけだしね」

「すぐ戻りますよ」


 そう、営業二課である私、橋本みのり。これから一課のヘルプに出るのだ。先週、一課の人間(そして広報)を手伝わせたことで、向こうの課長が乗り込んできた。課長同士の話し合いで、私がしばしの人身御供ひとみごくうとなった。


「えっと、PCと……」

「せーんぱいっ」

 ぴょんぴょん、と跳ねながら恭子ちゃんが近づいてくる。彼女は、青田恭子。

 ゆるふわパーマを肩先で揺らしながら、首を傾げるポーズが得意だ。上目遣いで話しかける彼女は、自分の見せ方をよくわかっている。女の私でもキュンっとする可愛らしさだ。


「先輩、今日からお隣にヘルプですね」

 恭子ちゃんは、不思議と女子の反感を買わない。なぜなら――

「一課の方との飲み会セッティングお待ちしてます」

 とてもストレートだからだ。

「特に宮沢さん、お願いします! 一課の出世頭!」

「恭子ちゃんってブレないよね」


 入社直後の懇親会からずっと寿退社を目指していると公言している彼女。しかも、『絶対、玉の輿!』と、社内の人間を物色しているのだ。

 あっけらかんとした彼女の言動に反感を覚える人間はいるだろう。でも、二課の人間はすっかり慣れてしまって、怒りや呆れを通り越して面白がっている。


「どうかな~」

「オンラインでも歓迎ですよ! これ、どうぞ」

「なにこれ?」

「恭子のマル秘ノートです。お役立てください」

 言われてパラパラとページをめくる。一課の名簿らしきものと会社の情報かな?

「先日、やらかした会社、わたしが担当してたじゃないですか」

「そうね」


 前回のミスは、結局は印刷所が古いデータを使っていたことが発覚した。こちらに落ち度はなかった。問題となった個所も徹夜でなんとかカバーして、イベントは結果的には成功したのだが、担当を変えて欲しいという先方の強い要望のため、今後の案件は一課に回されることになった。私のヘルプは、関係各所への謝罪行脚あんぎゃも兼ねている。


「そこの社長と副社長のことも書いてあるんで」

「営業ノートってこと?」

 営業職にとっての生命線だ。

「こんな大事なもの……」

「はい、飲み会よろです」


 恭子ちゃんは今日一番の笑顔で微笑んだ。


 ・・・


「二課の橋本みのりです。ご迷惑をお掛けします。どうぞよろしくお願いします」

 まばらな拍手。それもそのはず、今この場には私を除いて2人しかいないのだ。


 私の横に立っている一課の猿渡さるわたり課長は、午前中だというのに顔をテカらせながら鼻息荒く話しかけてくれる。

「いや~橋本くん! すまんねぇ。一課はなにせ海外案件を中心に回しているから、時差のせいで基本的に全員が揃うことがないんだよぉ。がっはっはっ!」

「はい、存じてます」

「うんうん。じゃあ、さっそくだけど宮沢くんと組んで、改めて挨拶して来てねぇ」


 デスクから形式だけ立ち上がってくれた宮沢くんはすでに余所者よそものへの興味を失って、PCに向かっている。私は小さく息を吐きだしてから、デスクに近寄った。

「先日は、ありがとうございました。しばらくの間、よろしくお願いします」

「どうも。じゃあ行きますか」


『恭子マル秘ノート①

 宮沢けい、28歳。営業一課エース。有名大学卒。イケメン。買い。

 海外留学経験あり。現在はシンガポールの案件を担当中。

 レモンティーが好き(NEW!)』


 ……レモンティーね。あとで、不愛想って書き加えてやろう。


 営業車の助手席に乗り込む。カーナビに住所を入れてから、私は改めて宮沢くんにお礼を言う。

「先日は、本当にありがとうございました。就業時間外だったのに」

「いいえ」

「……」

「……」

 うん、会話が続かない。


「あの、今日の会社――イノクチ製作所さんは、うちの香山と青田が担当してたんですけど。なんだか社長さんが気難しい方だそうですね」

「そうですね」

「……ええ」

「橋本さんは基本黙ってていいですよ」

「……あ、はい……」

「……」

「……」

 もしかして、もしかしなくても――嫌われてる!?


『恭子マル秘ノート②

 イノクチ製作所。精密部品を製造するいわゆる町工場。

 2代目社長の井口季実子いのくちきみことその夫の井口徹いのくちとおるが夫婦で経営している。

 外国籍の従業員多数。外国人留学生から積極的に採用している』


「まあまあ、宮沢さん、お待ちしておりましたわ~」

 工場の前に車を停めると、いそいそと年配の女性が近づいて来た。

 ん? 思っていたより話しやすそうな人だぞ?


「井口社長。本日は、どうぞよろしくお願いします」


 ――この爽やかな笑顔の方はどなた!?


 車から降りた宮沢くんは、見たことない表情で社長に話しかけている。好青年を絵にしたような宮沢くんは笑顔のまま、私を紹介してくれた。


「こちら、例の案件のアシスタントに入る橋本です」

「……どうぞよろしくお願いいたします」


「あらそう」

 井口社長は、こちらを見ることもなく宮沢くんの腕に手を絡めた。

「今日は少し暑いですわね。冷たい麦茶をご用意してますよ~どうぞ中へ」

「恐れ入ります」


 華麗に空気扱いされ、中に二人を見送った。


『恭子マル秘ノート② 補足

 2代目社長の井口季実子⇒爽やかイケメン好き(香川さんは好みじゃないみたい)

 副社長の井口徹⇒キャバ好き。私、超気に入られてる』


 もしかして香川くんと恭子ちゃんが外された理由って……好みの問題?


 ・・・


「それでは、前回提案させていただいた海外展開のお話ですが、今アメリカにいる弊社の人間から軽くご説明させていただければと――」

 海外展開――なるほど。自らに営業力を持たない小さな町工場にとって、海外の会社に部品を売りつけるのは夢のまた夢だ。国外の協力会社との案件を取り扱う一課ならではの提案だ。

 あわよくば二課に案件を戻せるかと思っていたけれど、ここは残念ながら宮沢くんに言われた通り、黙っているしかない。


 宮沢くんは柔らかいトーンで説明を続けたまま、手慣れた様子でPCを立ち上げ、オンライン会議を始める。


『Hi, K』

 鼻に掛かった低めの声。画面に映し出されたのは金髪碧眼へきがんのビジネスマン。

 こ、これは――


『今日はヨロシク』


 アメリカ人イケボ、きたーーーーーーーーー!!!


 ・・・


『――では、資料はミヤザワからお渡しします。ご検討いただけますと幸いです。本日はありがとうございました』

「デイヴ、ありがとう」

『You too, K』


 なにボイス……これは、なにボイスと言うのでしょうか。

 デイヴさんの素晴らしい説明を聞いているだけで耳の奥がしびれている。とても滑らかな日本語も英語もすべてがこんなにも耳を幸せにしてくれるなんて。


「橋本さん」

「……は、はい!」

「……資料説明するのでコレ、お願いします」

「はい」


 PCを渡される。危ない危ない。意識がアメリカの大地へと飛んでいたわ……。


『Wow』


 わ、まだ繋がっていた。早めに切らないと……。

 宮沢くんと井口社長の会話の邪魔にならないように、二人と距離を取る。


「デイヴさん、初めまして。橋本みのりと申します」

『ミノリさん』

「本日はありがとうございました。会議、終了しますね」

『Ah, wait. Please』

「はい?」


『Minori-san, would you marry me?』


 後ろで宮沢くんが資料を落とす音が聞こえる。振り返るとこちらを凝視している。つまり、幻聴じゃない?


 ケッコンシテクダサーイ? ――テ、イイマシタ?

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