VOICE#2 イケボをおかずに食べるご飯どうですか?

 春らしくなってきた今日この頃。28歳、橋本みのり。いわゆるOL。

 なぜ私は、ここにいるのでしょうか?


「えーっと、右から営業一課の宮沢くん。広報の木下くんと、ダーリン」

「おいおい。俺のこともちゃんと紹介してくれよー」

「えー? 営業二課のラブリー香山きゅん?」

「もーしょうがねぇなー。純ちゅんは」


 私は、何を見せられているのでしょうか?


「純ちゅんは二人の時だけだってばー」

「ごめんごめん」

「あはは」


 あはは。


「えっと、こっちはー、営業二課エースの橋本みのりん」

 みのりんです。

「なんと、彼氏と破局したてホヤホヤです!」

 おいおい。プライバシー皆無ですね!?

「そして同じく二課の青田恭子ちゃんです!」

「よろしくお願いしまーす」

 可愛らしく挨拶した恭子ちゃんは、そのまま笑顔で首を傾げる。営業先の親父どもを何人もノックアウトしてきた実力が遺憾なく発揮されている。彼女は今日ヤル気のようだ。私は、なぜここにいるのか……そう、時を戻そう。


 ・・・


 失意の金曜日明けの出社日。私はのお陰でなんとか気力を取り戻していた。

「おはよー」

「あれ、みのりん。なんか肌つや悪くない? 夜更かしした感じ?」

 純ちゃんは本当に嗅覚が鋭い。

「金曜日に彼氏くんと~って言ってたけど、まさかプロポー……」

「きっぱりとフラれました」

「ず……ずず、なんてこと……みのりんってフツーにしてたら超優良物件なのに!」

「フツーって」

「まさかアレかしら、新しい女ね? きっと若さに負けたのね?」

「エスパー?」

「そんな男忘れよう! 飲むわよ、マイフレンド!」

「そう言って話聞きたいだけでしょ?」

「ないとは言わない! でも、みのりんのことを思ってる、本当よ」

「ていうか、月曜からガッツリ飲む元気ないわよ」

「なーに言ってるの! まだまだ若いんだから」

「若さに負けたって言われたばっかりですが」

「細かいことは気にしない! そーれ、おっしょっくじ~お食事♪」


 そして恭子ちゃんも行くという話になり、純ちゃんの彼氏も後で合流するかも~なんて言ってたら……。


 ・・・現在、合コン中


 彼氏と別れたばかりで合コン……。妹のはなちゃんが結婚して、家を出る前に新しい恋を見つけたいとは思っていたけれど。これはなんだか、痛い感じが否めない。

 すごく恋愛にガツガツしてるみたいじゃない!? しかもオフィスラブとか無理。純ちゃんとラブリーくんには悪いけど、恋人と一緒に仕事できる気がしない。


「で、みのりちゃんは?」

 突然下の名前で呼んできた広報の木下くん。少し長めの茶髪をエアリーに遊ばせているように、言動もかなり軽めなようだ。

「え?」

「なになに、聞いててよ~。みのりちゃんって天然ちゃん?」

「え?」

「だから、みのりちゃんはインドア派? アウトドア派?」

 それって当たり障りのない話題になるのかしら。本気で答えるなら、インドアですけども。一日中家でゴロゴロしてのイケボに浸かっていたいですけども。でも私は社会人なので……。

「どっちですかね~妹とショッピングとか行くのが好きですけどね」

「へ~! 妹ちゃんいるんだ。っぽい! お姉ちゃんっぽい! なあ、宮沢」

「ん?」

「おい~お前も話聞いてない系かよ~。みのりちゃんがお姉ちゃんっぽいって話」

 そこで初めて宮沢くんと目が合う。短めの黒髪だけど、体育会系という感じでもない。営業マンとして必須項目である清潔感を漂わせて、宮沢くんはニコリともせずに目線を外した。

「ふ~ん」

 つまらなそうに背広からスマホを取り出している。おやおや、営業マンとしての愛想は欠席中のようですね!?

「おい~。ちょっとは参加しろよ」

「……悪い、仕事」

 宮沢くんは軽く会釈して、諭吉を置いて席を立った。

「あ、……」

 私もそろそろ――と言いかけた時だった。


「僕なんて、まだまだだよ」


 ああ、奪われた。耳を。心を。

 身体の奥をくすぐるような低い声。落ち着いた大人の男にしか出せないトーン。

 こんなに甘い『僕』が今まであっただろうか。


 思わず隣のテーブルに目をやると、男性二人組がいた。

 二人とも眼鏡を掛けた40前後のサラリーマンという風貌。お酒を飲みながらもスーツを着崩すことなく、大人の時間を過ごしている。そのうちの一人が口を開く。

「だけど、次のプロジェクトもみんなと成功させたいな」

 はい、きた。イケボ。しかも仲間思いのおじ様系イケボ。ありがとうございます。


「ごめんね~みのりちゃん、あれ、みのりちゃん? 聞いてる?」

 軽め広報木下くんの声のボリュームを自分の中で限りなくミュートにしながら、おじ様の声に耳を澄ませる。地獄の食事会が一転、至福のひと時だ。


「次も頼むよ」

「そうだな、僕としては……」

「ありがとう」


 おじ様の甘い声をバックグラウンドに、私は最低限の社交性で乗り切った。


「じゃあ、みのり~ん。明日ね~」

「純ちゅん、飲み過ぎだよー。もーしょうがねぇなー」

 バカップルを見送ると、「では」と早々に闘気を失った恭子ちゃんも足早に帰っていった。広報木下くんと取り残されてしまった。

「木下くんは電車ですか?」

「ううん、俺バス」


 安堵。


「では、私、こっちなので。お疲れ様でした~」

「ね~ちょっと待ってよ。せっかくなんだから、連絡先だけでも、ね?」

「え?」

 笑顔が固まってしまった気がする。正直、結構イヤだけど……かなりイヤだけど。この場を収めるため……。


「すみません」

「は、はい?」

「駅までは、どうやって行ったらいいかな?」

 振り返るとイケボのおじ様がそこにはいた。もう声だけですべてがかっこいい。背中を少し曲げた立ち姿も、皺の入ったジャケットも、無造作な白髪交じりの髪も。

「あ、私、同じ方向なのでご案内しますよ」

「え、みのりちゃん」

「木下くん、お疲れ様でした」

 こういうのなんて言うんだっけ。地獄の中に仏? 何はともあれ助かった。


 まだまだ明るい繁華街を二人で歩きながら、駅に向かう。

「すみません」

「え? なんですか」

「実は僕、電車じゃないんです」

「え?」

「ちょっと……君が困ってるように見えたから。勘違いだったらすみません」


 ずきゅん。


「せっかくだから、駅まで君を送って行ってもいいかな? 女性一人は心配だし。ああ、でも初対面のおじさんじゃ……」

「いえ! あの、さっきの人も初対面でした!」

「そうか」

 小さく笑う声も低い。少し掠れてるその声は哀愁すら感じられて――。


「好きです」

「え?」

「あ、あの、声が……すみません」

 なにを言ってしまっているのか。私は……。

「お声がすごく素敵だなと思って」


 おじ様は驚いたように少しだけ目を開いたけれど、すぐに微笑みに変えた。

「それは、ありがとう」

 果てしないイケボに顔が熱い。お酒そんなに飲んでないんだけどな。


「こんなおじさんでよければ、いつでも声くらい聞かせてあげるよ」


 神様。新たな恋をありがとうございます。


 おじ様はジャケットのポケットからスマホを取り出す。その左手に光る指輪。

「……ああ」

 私の目線を感じたのか、おじ様は指輪を外した。手つきが妙に慣れている。

「気になるなら、外すよ。みのりちゃん」

「名前……」

「ごめんね。さっきのお店にいた時から可愛らしい子がいるなと思っていて。君の名前が聞こえたから覚えちゃってたんだ」

「……」

「その時から気になっていたんだけど、こんなおじさんでよければ……」

「やめてください」

「え?」

「とても素敵な低いお声でそんなことを言うのはやめてください!」


 イケボなら大概のことは許しちゃうけれど、さすがに不倫はダメ! 絶対!!!


「やめてくださいー!!!」


 周囲から何事からと不審な目を向けられて、逃げていくイケボおじ様。

 ああ、私って男運がないの? 新しい恋すら始められないんですか! 神様!?

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