イケボだけじゃダメですか!?

くまで企画

VOICE#1 イケボから始まる恋があってもいいでしょう?

 春満開。私、28歳。今まさにこの世の春を迎えている。


 今朝、2年付き合った彼氏から「話があるから」とメッセージが届いた。

 呼び出されたのは、思い出のレストラン。忘れ物をした私を追いかけてきてくれたのが出会い。お礼にお食事でも、から始まった恋愛もそろそろ次のステージに進んでもいいんじゃないかなと思っていた。

 ごめんね、妹。お姉ちゃん、結婚します。


「別れて欲しい」


 低い落ち着いた声だ。私が好きになった「これ、あなたの?」と同じ。とても心地の良い、まるで春の日の木漏れ日のような。少し気だるげな声。

 2年間変わらず大好きだった声で放たれた別れの言葉に、私が出せたのは一言。


「どうして?」

 彼はありきたりなこの一言にため息を吐いた。180センチの長身には、高級レストランのテーブルでも少し窮屈なようで、デニムからくるぶしを見せながら足を組み替えた。小さく傾げた首に手をまわして目を瞑っている。

 短い沈黙。息ができない。

「みのりは、悪くないよ。好きな人ができたんだ」

 息……息、ってどうやって吸うんだっけ。

 大好きな声が聞こえない。なにも聞こえない。

「新しい店のヘルプに来てくれた子でさ。名前は……いいか、えっと、とにかく」

 みのりには幸せになってほしい、と彼が続ける。なにか言ってるみたい。でも聞こえない。聞こえない。


 聞きたくない。息を吸え!


「ふっざけるなぁああああ!!!!」

 白を基調とした広い店内に私のブサイクな声と頬を叩く音だけが響いた。


  ・・・


「うっ……うぐぅ……」

「まだ泣いてんの?」

「ぅるさいわよ、あんたにゃ分からんのよ」

「はいはい、よかったんじゃん。剛士たけしくんってチャラい系だったし。あたし、あの人がお兄ちゃんにならなくて安心したよ」

 冷たい妹は、冷蔵庫からビールを出してテーブルに置いてくれた。

「いつかこうなると思ってたし」

「……ぅう、薄情者ぉ……ビール開けてぇ」

「自分でやんなさいよ」

 そう言いながら薄情な妹は、ビールのプルタブを引いてくれる。ツンデレな妹だ。

「まったくどっちが姉か分かったもんじゃないわ」

「迷惑かけるねぇ……」

 レストランから無我夢中で逃げた私は、今日は飲むぞ! なんてコンビニで散財してきた。目の前に並んだ、永遠ダイエッターの私が普段食べないお菓子に手を伸ばす。

「はあ……」

 お菓子に伸ばした右手。この手で大好きだった彼氏を叩いたのか。

 心なしか手がしびれてる気がする。手を出したことなんてなかったから力加減、分かんなかったな。黙って右手を見てると、妹が顔を覗き込んできた。

「かっこいいよ? みのりお姉ちゃん」

 可愛い妹は、一瞬だけ笑顔を見せて、そのままお菓子を物色し始めた。

「ありがと」

「また泣きそうな顔してる」

「本気で泣きそう」


 人生計画が白紙だ。明日からなにを信じて生きていけばいいんだろう。

 彼氏――彼氏はブロックした。連絡は来ないだろう。叩いたことを怒られるのも怖いし、なによりもあのイケボで謝られたら、ささやかれてしまったら、なにもかも許してしまいそうでとても怖い。

「ああ、イケボだったなぁ……」

「お姉ちゃん、いい加減さ、声で人好きになるの止めた方がいいよ」

「きっかけだもん。その後ちゃんと中身を愛するもん」

剛士たけしくんの中身? どこが好きだったのさ」

「そりゃあ、もちろん」


 もちろん……?


「どこ……?」

「お店やっててお金ないからって、デート代を彼女に払わせるところ?」

「えっ」

「その時に『お会計よろしく』ってイケボで許しちゃったんだっけ?」


「客が来ないからって、彼女のスマホ勝手に使って、片っ端から集客するところ?」

「わっ」

「その時も『勝手にごめんな』がイケボで許しちゃったのよね?」


「女好きで、新しいスタッフだけでなく、彼女の妹にも粉かけてくるところ?」

「うげっ」

「節操なしに、『かわいいよね。心奪われちゃうな』って言ってたよね?」


 そうだったのか……。


「あのね。何度も言うけど、お姉ちゃんがもったいないの。仕事もできて、きちんとしてればそれなりに美人系で、とっても人が良いお姉ちゃんは、もっと幸せになっていいんだから」

「はなちゃん」

 褒めてくれてる?


「唯一残念なところは、イケボ馬鹿ってだけだから」

「はなちゃん」

 けなしてるよね!?


「あたしがこの部屋出て行っても大丈夫なように安心させてよ」

「え? 出てくの?」

「あ……こんなことになったから、言うつもりなかったんだけど……」

「まさか」

「あたし、結婚……する」

「すごい! おめでとう!!」

 思わぬ知らせに妹を抱きしめる。

「そっかあ、誠人まことくんついに、そっかあ」

 神様! 今日は踏んだり蹴ったりだと思ってたけど、素敵なニュースをありがとう。

「はなちゃんと誠人まことくんは付き合いが高校からで長いし、逆に心配してたよ。それにはなちゃんが出て行ったら見放題だし……」

「ああ……そういうことね」

「しまった。本音が出ちゃった。でも! 妹の幸せが嬉しいのは本当だよ」

「ありがとう、お姉ちゃん」

 お酒が入ってたからか、年甲斐もなくそのまま二人で抱き合ってた。


 照れた妹は傷心の私を思ってか、珍しくリビングで視聴の許可をくれた。久しぶりに大画面で動画を視聴する。毎週金曜日は大好きなゲーム実況者のライブ配信がある。はなちゃんが夜更かし怒るし、今日は人生の重大な日だと思ってたから諦めてたんだけど、これでファンになってからの皆勤賞が守られた。


『みなさん、こんばんは。勇者のゲーム実況、今日もお付き合いお願いします』


 本当のところゲームはよく分からないけれど、動画サイトでたまたま聞こえた声。一瞬で心を奪われて半年くらい。過去動画を聞きながら満員電車もやり過ごし、夜は眠りに着いている。声だけずっと垂れ流していたい。

 そして、金曜日は一週間のご褒美の日。生放送でゲーム攻略まで何時間も幸せな時間が続く。勇者様、今日もイケボご馳走様です。


「きもっ」

 にやにやする私への妹の罵倒もこの時だけは気にならない。

「やっぱりイケボの傷はイケボで癒すしかないよね」

 妹の軽快な突っ込みを期待したけど、すでに妹はお風呂に消えていた。

 いいもん、一人で勇者様の冒険を応援するから。


 ピロン。

 スマホから通知音。そうだ、私は一人じゃなかった。

 私の『ご馳走様』というつぶやきに対して勇者様ファン仲間であるレモンさんからコメントがきていた。『お茶碗二杯目』といういつもの反応。

「ふふ……同じイケボ好き嬉しい」

 そうだ、レモンさんももしかしたらイケボに恋をすることで幸せに生きているのかもしれない。いや、そうに違いない。それに、レモンさんだけじゃない。イケボで始まる恋はゴロゴロ転がっているに決まっている。


 妹が秋には出ていく。それまでに、私も新しい恋を見つけるんだ。素敵なイケボから始まる恋があってもいいでしょう?


『今日もご視聴ありがとうございました。勇者でした。バイバイ!』

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