第9章 Sonnatag - Nacht

 ベッドの中で目を覚まし、エアデは身体を起こした。何度目か分からない朝だった。布団から出て、窓を覆うカーテンを開けても、外は暗いままだ。でも、そんな朝は今日で終わる。


 リビングに向かうと、テーブルの前にゾネが座っていた。彼の姿を確認すると、彼女はにっこりと笑って首を傾げた。クリーム色の髪が空気の影響を受けて舞う。まるで空間に色が滲み出て、そこだけ明るく光ったようにエアデには見えた。


「月の勢力が拡大しつつあります」正面の席に座ったエアデをまっすぐ見つめて、ゾネは言った。「今日手を打たなければ、手遅れになります」


「ゾネは、もう大丈夫なのか?」依然として保存食を口に放り込みながら、彼は尋ねた。「翼とか、怪我とか……、もう、問題ないのか?」


「ええ、まったく問題ありません」ゾネは笑顔で答える。「万全の状態で戦えます」


 そうとだけ呟いて、エアデは頷いた。


 当日を迎えても、彼には未だに実感が湧かなかった。きっとその実感は、相手と対面したときにやって来る。このままでは、いつもと変わらない日常だった。いつもと変わらない、日常……。ゾネが傍にいるのがいつの間にか当たり前になっていたことに、エアデは自分でも驚いた。


 準備を済ませて、二人は家を出た。エアデに準備はいらなかったが、ゾネは最初から翼を開いていた。早くから慣らしておいて、本番によく動くようにしているのかもしれない。彼女のそんな生き物じみたところが、エアデには愛おしく感じられた。


 ゾネの予測に従って、二人は橋の上に向かった。橋とは、エアデが以前ゾネの衣服を買った店舗へと繋がる、あの橋だ。


 道路を歩いていくことはせず、ゾネに手を引いてもらって、二人は空路でそこまで向かった。相変わらず空は真っ暗だが、今が朝であることに変わりはない。けれど、いつもより少し早く起きたから、まだ人々は活動していなかった。


 空を飛んでいくと、あっという間に目的地に到着する。鉄骨を組み合わせて作られた巨大な橋の上に、二人は降り立った。


 相手が来るのを待つと言って、ゾネはその場に佇んだ。橋の欄干に腕を載せ、彼女は遠くの方を眺め始める。エアデは欄干を背にして座り込んだ。いつも着ているジャケットの袖から手を出して、軽く人差し指を立てた。


「相手は、どんな攻撃を仕かけてくるんだ?」


 エアデが尋ねると、ゾネが説明してくれた。


「単純な、エネルギー派による攻撃です」前を向いたまま彼女は話す。「ただし、その攻撃には追尾性があります。対象を目がけて追ってくるのです。彼が用いるのは、基礎的なエネルギー派にすぎませんが、私は熱エネルギーと光エネルギーを二重にかけることができるので、威力のうえでは勝っています。ただし、それ故に一度に多くのエネルギーを消費するため、手数は劣ります。ですから、エアデさんにはその手数をカバーしてもらいたいのです」


「僕の明かりで、その攻撃を凌いでほしいってことか?」


「その通りです」


「でも、そんなふうに言われても、できる気がしないんだけど……」


 エアデがそう言うと、ゾネは振り返って笑いかけた。


「心配いりません。飛来する攻撃に向けて、明かりを灯すだけで構いません。私は、エアデさんのエネルギーを増幅させることができます。そちらの方が、私自身で攻撃するよりも効率が良いのです。そして、こちら側の攻撃にも追尾性を付与することが可能です。エアデさんには、その標的の指定をしてもらうだけで充分です」


 ゾネの説明を聞いただけでは、全然安心することはできなかった。けれど、彼女ができるというのだから、きっとできるのだろうと思うことにした。


「この戦いに勝てば、すべてが終わります。そうしたら、人間はもう自分で明かりを灯す必要はなくなります。ですから、その分の力をここで発揮して下さい」


 暫くの間沈黙が続く。


 そっと後ろを振り返ると、ゾネは険しい顔で空を見つめていた。


「ゾネは、怖くないのか?」エアデは尋ねる。


 彼の声を受けて振り返り、ゾネは少し表情を緩めた。


「戦うのが、ですか?」


 エアデは頷く。


「怖くはありません」彼女は答えた。「守るもののためなら、恐怖を感じることはありません。恐怖を感じていられる間は、まだ危機は迫っていないのです」


「じゃあ、今は、それだけ危機が迫っているってことか?」


「ええ、そうです。この星の未来を守れるのは、私たちだけです」


 そう言われても、エアデにはやはり実感は湧かなかった。でも、それはゾネの恐怖心と同じようなものだと思った。スケールが度を超えているが故に、感覚が麻痺しているのだ。


 突然、空が暗くなった。


 今までずっと暗かった空が、さらに照度を下げる。


 近づかないとそれが何か分からないほどに、辺りは闇に包まれた。


「予想していたより、早かったですね」ゾネが静かに言った。「エアデさん、明かりを灯して下さい」


 ゾネはいつになく真剣な表情になって、エアデに要求する。人差し指を立てて言葉を呟き、エアデは指の先に小さな明かりを灯した。


 雲一つなかった空に突如として紫色の渦が現れ、時空を飲み込むようにそれは大きくなっていく。周囲の空気の流れが変わり、嵐が来たのかと錯覚するほどに、辺りは重たい雰囲気に包まれた。


 エアデも立ち上がり、ゾネの隣に並ぶ。道路に立ち並ぶ木々が、風に靡いて大きな音を立てた。


「来たのか?」


 エアデが尋ねると、ゾネは前を向いたまま頷いた。


 紫色の渦の中心から、人の形をした何かが下りてきた。一目見て、それがゾネの相手だと分かった。彼はゾネとは対象的に黒い髪を持ち、瞳は赤く、四肢が異様に長かった。真っ黒なコートのような装束に身を包み、口元を僅かにその中に埋めている。


 空中を滑るように飛来して、彼はエアデたちの前にやって来た。そして、隠していた口もとを顕にすると、裂けた口を開いて低い声で言葉を発した。


「やっとこのときが来たな、ディ・ゾネ」


 彼の言葉を聞いても、ゾネは表情を変えない。目の前に立つ彼を射抜くように、視線は一直線に固定されていた。


「デア・モント」ゾネは彼に呼びかけた。「このときを待っていたのは、私の方です」


 彼女の言葉を聞き、デア・モントと呼ばれた月の精霊は、ひらひらと両手を振る。一度目を閉じて下を向くと、再び笑みを浮かべて彼女を睨みつけた。


「先の戦いでは、よくも虚仮にしてくれたな」デア・モントは言った。「自ら生み出した生命に縋らないと、私と相対することさえできないとは、創造主とはとても思えない苦行だ」


 ゾネは彼を睨みつけたまま、口を開く。


「それが、創造主が口にする言葉ですか?」


「私一人で生み出したのではないよ」月の精霊は言った。「お前と、私の二人で生み出したのだ。だが、それは失敗だった。彼らはすべてお前の従者にすぎなかった。お前が存在しなければ存続することのできない、哀れな生命たちだ。己自身で地に足をつけて生きることのできない、出来損ないにすぎない。その証拠に、彼らは明かりを灯すために、お前が与えた力に縋ったではないか。そこに立つ少年も、その出来損ないの一つだろう?」


 デア・モントと名乗る月の精霊に指摘されて、エアデは彼を睨みつける。威勢良くしているつもりでも、脚は僅かに震えていた。生き物としての本能が彼に危険を告げている。


「彼らは、私と貴方の両者が存在することで、初めて存続していけるのです」ゾネが口を開いた。「私たちなくしては、彼らの存在はありえない。それは、どの系においても同じです。生命とはもとよりそういうものです。私たちに頼らずに生きていける生命を作ることが、私たちの目的ではなかったはずです」


「それは単なる言い訳にすぎないよ、ディ・ゾネ」デア・モントは言った。「我々の目的は、たしかに生命を生み出すことだったが、その生は、強く、そして逞しいものでなくてはならなかった。だが見給え、この現実を。お前の輝きが失われた途端に、この有様だ。彼らは自ら生きる術を知らない。貴様の力がなくては、自分たちを存続させることができないのだ。そんなものを生命と呼べるのか? そんな脆弱な存在を、お前は生命と認められるのか?」


「生命とは、そういうものです」月の精霊を真っ直ぐ見据え、ゾネは告げる。「私たちだけではなく、そのほかの多くものと、彼らは関わって生きています。その関わりがあるからこそ、彼らは生命たりえるのです。関わりが消えて、彼らだけで完成されてしまっては、この宇宙の秩序が乱れます。その乱れを引き起こすことを画策した貴方に与えられるのは、ただ罰のみです」


「……宇宙の秩序を、乱す?」


 声を漏らしたエアデの方を向いて、ゾネは話す。


「エアデさん。彼の目的は、この宇宙そのものを掌握することなのです」彼女は言った。「それは、新たな創造主の誕生ともいえます。この系だけではなく、宇宙そのものを司る唯一の創造主……。けれどそれは、自己以外のものと関わりを持たない、それだけで完結した、新たな生命の誕生を望む創造主です。それは生命の姿として正しくありません。彼の思惑を打破し、今ある生命の形を存続させる。それが私のなすべきことです」


「その稚拙な考えが、彼らを出来損ないにしたのだ」


 デア・モントの声を聞き、ゾネとエアデは彼を見る。


「幾度となく、彼らは失敗を繰り返してきた。そして、これからも繰り返すだろう。そんな無学な生命が作り出す連鎖は、ここで断ち切られなくてはならない。そのための努力を怠る者、創造主の恥、ディ・ゾネ。貴様はここで屠られる運命にある」


 ゾネは一度目を閉じる。


 息を吐き出して目を開き、彼女ははっきりと告げた。


「お断りします」


 そう言ってゾネは宙に舞い上がる。彼女が動き始めたのと、デア・モントが身を翻したのは同時だった。


 突然の事態にエアデは困惑する。二人が動き出したことで生じた風圧を手で凌ぎ、顔を上げた彼が目にしたのは、宙に軌跡を引いて飛び交う二つの光だった。


 一つは橙色の軌跡。そしてもう一つは、紫色の軌跡。


 エアデの頭に閃光が走る。


 衝撃でずっと忘れていた、あのときの光景を思い出す。


 橙色の光は、空中でステップを踏むように方向転換し、紫色の光へと一気に距離を詰める。しかし、彼はそれを許さなかった。周囲から発せられた紫色の光線が彼女の背後をとり、着弾する手前で形を変え、四肢を包み込むようにして炸裂する。被弾する直前でそれを回避し、彼女は再び軌跡へと化す。今度は右方向から迂回し、彼の背後に回ろうとするが、新たに生み出された光線が一点に集中して、巨大な盾のような形状へと変化し彼女の接近を防御する。


 橋の上。


 エアデは、上空に輝く軌跡を目で追うことしかできなかった。


 盾が形象崩壊し、橙色の光が紫色の光へと迫る。


 しかし、瞬時に構成されたエネルギーの防壁に弾かれ、彼女は自身が込めた力を霧散させながら、宙を滑っていく。


 途中で、旋回。


 空気を脚で蹴るようにして体勢を整え、急降下し、彼女は再度接近する機会を伺う。


「エアデさん!」


 橋のすぐ傍を通過したとき、ゾネがエアデに声をかけた。


「援護を!」


 動きを完全に読んでいるかのように、生み出された紫色の光線が彼女を追尾する。


 その数、無数。


 橋の上に留まるエアデを巻き込むように、光線は欄干を掠めて通り過ぎる。


 エアデは、明かりの灯った人差し指を大きく振り翳し、接近する光線の内の一つにそれを向けた。


 明かりは瞬間的に爆発的なエネルギーを発し、熱と光を纏いながら光線の一つへと直進する。


 やがて接触し、明かりは光線を消滅させる。


 自ら発した明かりの影響を受けて、欄干の一部が焦げついた。


 灰。


 炭。


 金属が焼け焦げた匂いを鼻腔に感じて、エアデはようやく現実を認識する。


 もう、戻れないと悟った。


 このときのために自分は生きてきたのだと、そう思うことにした。


 理性は健在。


 しかし、通常通りには制御不能。


 それは、本能?


 けれど、恐ろしいほどの早さで演算を繰り広げる知性。


 紫色の軌跡が橙色の軌跡の背後に回った。継続的に灯している明かりを空に向け、エアデは彼女へと接近する次の光線を新たな標的として指定する。


 再度、明かりの肥大化。


 そこから発せられたエネルギーの束が、紫色の光線を射抜く。


 接触。


 瞬時に、炸裂。


 消滅。


 紫色の光線を発する本体が高速で宙を舞い、橙色の光へと接近を試みる。橙色の光は空気を裂くようにステップを踏み、伸ばされた腕状の攻撃を回避する。その場で一回転して距離をとり、追尾する光線を右へ左へと動かさせる。


 人差し指を立てた方の腕を横に引き、エアデは明かりを線状に引き伸ばす。


 その通りの挙動で、彼の指から放たれた明かりはいくつにも分裂し、周囲を飛び交う紫色の光を消滅させる。


 金属製の橋が悲鳴を上げた。


 エアデも、声を出しそうになった。


 歯を食い縛って体勢を立て直し、腕を伸ばしたまま彼はその場で回転する。


 放たれた明かりはその通りにループしながら、紫色の光へと接近する。


 背後からの攻撃を察知した紫色の光は、それを翻してエアデが立つ橋の方に身体を向ける。風圧生み出して橙色の光を一時的に退けると、橋に向かって急接近を試みる。


 突然の戦況の変化に翻弄されて、エアデはその場から動けなくなった。足が言うことを利いてくれない。一瞬、莫大な量の過去の記憶が蘇りかけたが、それを意識する前に目の前に橙色の光が飛来し、彼を庇った。


「ゾネ!」


 やっとの思いで、エアデは声を上げる。


 紫色の光の衝撃を全身に受けつつも、勢いに任せて彼女はそれを押し退ける。一瞬できた隙を見切って再び上空へ飛翔し、それに追従するように紫色の光もまた彼女を追って上空へ躍り出る。


「エアデさんは、援護に集中を!」飛び交う二つの光が織り成す煌々たる舞台から、ゾネの声が聞こえてきた。「それぞれの役割を意識しなければ、戦況は一気に不利になります!」


 余所見していたエアデの死角から、紫色の光線が波状攻撃を仕かけてきた。


 咄嗟に振り向き、エアデは人差し指をそちらに添える。


 自分の身体が耐えられるのか心配になりながらも、言葉を呟く。


 もともと灯っていた明かりは渦を描いて展開し、膜状の形態となってすべての攻撃を防ぐ。


 紫色の光線はすべて消失し、焼け焦げた匂いだけが残る。


 顔を上げ、空を見る。


 橙色の光は地面に向かって高速で降下し、接触する直前で上方へ光線を放つ。そのまま再度上昇して相手との距離をとる。舞い上がる噴煙を引き裂きながら、幾数もの光線が遥か遠くから襲来し、着弾する手前で一本の巨大な光の筋へと集約される。自身の掌から発せられたシールド状の光を放ち、それらを完全に防ぎ切ると、反動を受けて彼女は空中を数メートル後退する。その際に生じた隙を橋の上にいるエアデが埋める。放たれた明かりが光線の残滓を飲み込みながら、真っ暗な空に一瞬大きな花火のように光を描く。


 旋回しながら橋の上へと飛来し、橙色の光はエアデの隣に勢い良く着地した。


「エアデさん」顔を上げてゾネは言った。「彼は接近戦を好みません。それは、彼の躯体そのものが弱点だからです。形を持つもの同士の接触は、そうでない場合と比較して衝撃が大きくなります。物質同士の接合を解除するには、その接合を支えるエネルギーより大きなエネルギーをぶつけるのが一番です」


 彼女の方を向いて、エアデは尋ねる。


「どうしたらいい?」


「一度、攻撃を中断して下さい」ゾネは言った。「私が彼を引きつけたら、タイミングを合わせて、それまで溜めていたエネルギーをすべて放って下さい」


「そんなことができるのか?」


「できると思えば、できます」


 それだけ言うと、ゾネは再度空中へと飛翔していく。接近していた紫色の光線がブレード状に変化し、彼女に迫る。


 デア・モントは、たしかにゾネへの直接攻撃を避けているみたいだった。近づく局面もあるが、その頻度はゾネのそれよりは高くない。積極的に近づきたくない理由があるのは間違いなさそうだった。その代わり、彼が放つ紫色の光線は手数が多く、ゾネ一人で対処しきれているとはいえない。それをエアデがカバーしているが、彼が攻撃を中断している間は、ゾネは単独で行動せざるをえなくなる。


 どうしようかと迷ったが、エアデは攻撃を完全に中断することはしなかった。自分の内にエネルギーを溜めつつ、ゾネに迫る攻撃を一部迎撃することに決めた。


 エアデは息が上がっていた。それは恐怖によるものではなく、極度の集中によるものだった。明かりを灯す行為はそれ自体が労力を使う。身体を動かさずに、意識だけでエネルギーを消費しているようなものだからだ。


 紫色の光線が放射状に放たれる。


 上半分は橙色の光に向けて直進。


 下半分は左右に分裂して、橋の上に立つエアデへと迫ってくる。


 明かりを灯した人差し指を大きく振りかぶり、エアデは斜めに明かりの束を構築する。それを使って、迫りくる光線の一方を一刀両断する。


 その勢いのまま身体を翻し、指を立てた方の腕を真横に振って、弧を描いた波動を上空に向けて放つ。放たれた攻撃は分裂した光線に向かって飛んでいき、残りの光線をすべて消滅させる。


 橙色の光に攻撃が迫る。


 尾を引きながら橙色の光は空中を飛行し、途中からスピンをかけて自身のエネルギーを周囲に撒き散らす。


 紫色の光線はそれらと接触して、音を立てながら消滅する。


 エアデは、自分を守るだけで精一杯だった。でも、今自分が手を止めたらすべて終わってしまうような気がして、荒い呼吸を整えることもせず、足を大きく開いて踏ん張り、ゾネを支援していた。


 こんなところで負けるわけにはいかなかった。


 もし負けたら、ゾネと過ごしてきた時間に意味がなかったと証明されるような気がして、動かずにはいられなかった。


 そして、理想とかけ離れていれば現実を捨て、自分勝手に新しい現実を作り出そうとする彼が、許せなかった。


 自分たちは生きているのだと、証明したかったのだ。


 この戦いが終わったら、彼女ともう一度海に行く。


 その約束を、何としてでも果たしたかった。


 橙色の光が速度を上げてこちらに迫る。


 彼女が、手を伸ばして、自分のもとへ飛び込んでくるようにエアデには見えた。


 だから、彼はそれに答えようとする。


 意識を集中させ、エネルギーが向かう先をただ一点に。


 自身の内に存在する生命を顕現させるように、立てた指にすべての力を込める。


 橙色の光を追って迫る紫色の光に向けて、彼は自身が起こせる限りの明かりを放った。


 一瞬の、明滅。


 真っ暗な空が照らされる。


 それと同時に、すべてを焼き尽くすように視界は真っ白になった。


 かつてこの星を照らしていた恒星が持っていたのと同じように、それは絶大な力を帯びた光だった。


 エアデが発した光はデア・モントへ向かい、空間に存在するすべての光を飲み込んだ。


 昇った噴煙もその光の中へと取り込まれる。一つの生命から溢れ出したエネルギーの凝縮体は、その意思の力と相まって、この戦いに終止符を打ったかのように思えた。


 でも、違った。


 自己以外の不純物を吸収していた光が、今度は別の何かに吸収されようとする。


 エアデの隣にゾネが降り立つ。


 険しい表情で正面を向いたまま、彼女は小さな声で呟いた。


「そんな……」


 吐き出す息を整えながら、エアデは尋ねる。


「……どうしたんだ?」


 エアデは、ゾネの手が僅かに震えているのに気がついた。彼女は狼狽しているのだ。今まで彼女のそんな状態を見たことはなかったから、想定外のことが起こったのだと、彼はすぐに悟った。


「……失敗したのか?」


「いえ、そんなはずは……」ゾネは目だけでエアデを見る。「そんなはずはないのです」


 噴煙の向こう側。


 瞬間的に生まれたすべての光を飲み込んだ月の精霊が、そこに佇んでいた。


 閉じていた瞼をゆっくりと持ち上げ、彼は不敵に笑う。


 とても、彼がゾネと対等な立場にある存在だとは思えなかった。


 エアデはゾネの傍に近寄り、正面に立つ月の精霊を真っ直ぐ見つめる。


「残念だったな、ディ・ゾネ」低い声で、デア・モントは言った。「貴様は、一歩遅かったようだ」


 ゾネの様子は依然としておかしいままだ。彼女は今にも崩折れそうだった。それが何に起因するものなのか、エアデには分からなかった。


「……貴方は、本当にこの星を見捨てるつもりなのですね」


 ゾネの言葉を聞いて、デア・モントは高らかに笑う。


「当然だ。最初からそう言っただろう? その思いきりのなさ、鈍さ。すべて貴様の致命的な欠点だ。そんな者が、創造主として相応しいはずがない」


 ゾネは目を閉じる。


 再び瞼を持ち上げると、彼女は憎しみを込めた瞳で彼を睨みつけた。


「……いくつ、自分のために使ったのですか?」


 ゾネの質問の意味を理解しかねて、エアデは彼女の横顔を見つめた。


「さあな」デア・モントは答える。「もう分からんよ。別によいではないか。いくつ使おうと、我々が作り出したものだ。惜しむ必要などない。そして、この星はいずれ消えてなくなる。使える内に使っておくに超したことはないだろう」


 エアデはゾネに声をかける。


「ゾネ……」


 正面に浮遊する月の精霊を睨みつけていた彼女は、ゆっくりと首を動かしてエアデを見た。


「エアデさん」ゾネは言った。「彼に私たちの攻撃が利かなかったのは、彼の有するエネルギーが、私たちのそれを上回っていたからです」


「……上回っていた? どういうことだ?」


 ゾネは再度顔を正面に向け、そこに立つ月の精霊を睨んだ。


「彼は、この星に住む生命を、自分の贄として使ったのです」


 彼女の言葉の意味が、エアデにはすぐに理解できなかった。


 しかし、やがて思い至った。


「……それって、誰かを殺したってことか?」


 ゾネは頷く。


「何を驚くことがある」二人を見据えて、デア・モントは言った。「この星は我々が作り出したものだ。ならば、何をしようと我々の自由だ。そうではないか? それに……」


 醜い口もとを持ち上げて、月の精霊は静かに言った。


「それは、貴様も同じだろう?」


 彼は自分の掌を前方に向ける。


 示された手の行く先を見て、エアデは自分の目を疑った。


 その先には、ゾネがいた。


 ゆっくりと顔を上げて、彼女はエアデを見つめる。


 でも、そこに否定の言葉はなかった。


 ゾネはまた顔を下に向け、沈黙する。


「……ゾネ?」


 エアデが声をかけても、彼女は何も応えなかった。


「哀れな人間よ」デア・モントは言った。「貴様も、彼女の贄となるのだ」


 風が、吹き抜ける。


 その風は、二人の間を通り過ぎ、そこにあるすべてを攫って、消えていった。

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