第31話 新学期
入学式、彼女の姿を探した。
だが、いない。
店で読んでいた本のタイトルから、偏差値がそんなに低い高校ではないだろう事は推測できた。市内であるなら同じ高校に進学したのではないかと淡い期待を寄せていた。
だが、いない。
馬鹿な俺は、大勢の新入生に埋もれて見つけられなかったのかもしれないという期待を捨て去ることは出来なかった。
期待???
なんじゃそりゃ。ああそうそう、良いお姉ちゃんかもしれないっていうね、そういうやつね、うんうん。
自分への言い訳がどんどん酷くなっているのはわかっている。だけど、自衛だ。好意を認識した後に彼女が陰険な女だと知ったら、立ち上がれないから。
******
「入学おめでとう!」
夜、店で家族から祝われる彼女の姿があった。
「それにしても、この店、だいぶ気に入ってくれたようで嬉しいな」
「パパったらうれしそうね。そうよね、あおいったら私の手料理よりもこの店のほうがいいなんて言うんだもの」
「そんな言い方してないじゃない。何が食べたいかって聞かれたからこの店を言っただけでしょ。ママの料理だって美味しくて大好きだよ」
「お姉ちゃん、僕もここのお料理大好き!おいしいよね」
「ねー!パパに連れてきてもらって本当によかった」
漏れ聞こえてくる会話が俺は心底嬉しかった。誰かが何かの記念やお祝いに親父の店を選んでくれる事は、これ以上ない誉だ。
その日は他にも入学祝いのため家族で訪れる客で店は大忙しで、もちろん彼女の家族の様子だけを見ていると言うわけにもいかなかったが、それでもなるだけ彼女の情報を集めようと無意識に動いている自分に気づいた、気づいてしまった。
自分の心の変化に戸惑いながら沢山の客と仕事を捌いているうちに、その日もいつも通りおっさんは「うまかったよ。ごちそうさま」と言って店を出て行った。その後、彼女もまたいつもと同じように控えめに微笑んで「美味しかったです。ごちそうさまでした」とにっこり笑って帰って行った。
******
学校に行くと、彼女の姿を探した。
だが、いない。
そんな毎日が一週間ほど続いたある日の放課後、彼女が店にやってきた。ここで友達と待ち合わせだと言った。
「高校が離れてしまって」
そう言って彼女は寂しそうな表情を浮かべたが、次の瞬間
「でも高校生の良いところはこうやってカフェでおしゃべり出来るところ」
そう言って微笑んだ。
「俺の友達なんて小学生の頃から、うちの店に居座ってるけど」
「それは、お友達だから、でしょ、えっと、その」
「ああ、裕一郎、俺の名前」
「裕一郎、くん…。あ、わたし、あおい、葵っていうの」
「葵ちゃん…、よろしくね」
そのまま、うちの店にやってくる俺の幼馴染達の話をした。葵はにこにこと聞いていたが、時折馬鹿な幼馴染どもの話に笑いを堪えきれないのか、口を手で押さえている。その様子が家族や友人と一緒にいるときと変わらない感じだったから、一人勝手に安心した。
気さくに笑う彼女は制服姿で。どうやら隣の大きな町の進学校のようだ。これで一緒に学校で過ごす高校生活は無いことが確定したらしい。
話しているうちに「お待たせ」と言って現れた友達はと言うと俺と同じ学校の制服を着ていた。
その時になってようやく俺は、彼女のお友達の顔をよく見ていないことに気がついた。向こうは俺が同級生だと知っているようで、この間は挨拶をすることもなかったのに今日はペコリと頭を下げられたので、条件反射のように俺も同じく頭を軽く下げて返した。
二人はおしゃべりを楽しんだ後、一緒に揃って店を後にした。葵はいつも通り「おいしかったです。ごちそうさま」そう言って店を出て行った。
次の週にも彼女は制服姿で店にやってきた。「今日は一人なの」と言ってテーブルに課題を広げた。
読書を邪魔するのは気がひけるが、課題だと少しはおしゃべりしても許されるんじゃないだろうかと訳の分からない理屈を脳内で展開し、アイスティーを運んで行きながら、葵に声をかけてほんの少し話をした。
ころころと笑う彼女だが、弟に向けているものと同じ微笑みを向けられて、俺は少し複雑な気持ちになった。
******
あの日、店で夏樹や悠一達と盛り上がったあの日も、
彼女もまた友達と二人で訪れておしゃべりしていた。
彼女が店にやって来たのはわかった。夏樹達と盛り上がっていたけれど、視線で「いらっしゃい」の合図は送ったつもりだ。彼女もわかったのだろう。微笑んで、その後は友達との会話に集中しているようだった。
夏樹達が帰ったら葵のところに顔を出そうと思っていたけれど、そのまま夕ご飯をみんなで食べることになって。
気づいたら、葵は帰ってしまっていた。
そして、葵は店に来なくなってしまった。
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